TOP > ポンバル太郎 > 第74回 象鼻盃(ぞうびはい)

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Vol.74 象鼻盃(ぞうびはい)

 夕刻になっても、陽炎と逃げ水がアスファルトの路面へ虚ろっている。ポンバル太郎の通りには人いきれだけが満ちていて、鳩やカラスの声は聞こえない。きっと街路樹の枝にもぐりこんで涼を取っているのだろうと、右近龍二はしたたる汗を拭いながらポンバル太郎の玄関を開けた。

 よく冷えた店の空気に火照った顔を包まれた龍二は、しばし立ち止まって深呼吸をした。
「あ~、こりゃ極楽ですねぇ」
 と龍二が独りごちた瞬間、目にも鮮やかな光景が広がっていた。カウンター席の真ん中と端っこ、そして大小のテーブル席にも、紅い花が咲いていた。半開きの蕾もまざった蓮の花が、レトロな色柄の盃洗の水に浮かんでいる。
いつにない店内の雰囲気に、龍二は汗を吹く毛穴も閉じるほど鳥肌が立った。
「うわ~、まさに極楽浄土の花じゃないですか。太郎さん、今夜はどういった趣向を凝らすんですか?」

 ところが、厨房の奥に揺れている人影から返事はない。にゅっと顔を出したのは中之島 哲男で、珍しく割烹着姿で左手に団扇、右手にはしゃもじを握っていたが、さすが堂に入った恰幅である。
「今夜は、象鼻盃(ぞうびはい)を楽しもうっちゅう、わしからの企画や。太郎ちゃんは蓮の葉っぱを取りに、剣ちゃんと一緒に上野の不忍の池まで行ってるわ。ぼちぼち、帰って来る頃とちゃうかな。龍ちゃん、それまでに、こいつを味見してくれへんかな」

 象鼻盃の言葉に首を捻る龍二の前へ、中之島は、まぜご飯の入った半切りの寿司桶をカウンターへ置いた。緑色に刻んだ菜っ葉が、夏の草っぽい匂いをほのかに漂わせている。
「菜飯ですか……うん、香りが優しくていいですね。あれ? この歯ごたえは……あっ、蓮根を刻んで入れてるんですか」

 口へ放り込んだひとつまみの寿司飯は、すこぶる食感がいい。
「その通り! 細かく刻んだのに、蓮根と言い当てるとはさすがやなぁ。これは“蓮飯(はすめし)”ちゅうてな。蓮根が名産だった大阪の門真市や守口市で、昔はよう食べてた盂蘭盆のご飯や。緑の菜っ葉は、蓮の葉を蒸して刻んでる。さしずめ、精進ご飯やな。仏様の御供えにもなってたんやで」

 シャキシャキと小さな嚙み音を立てる龍二は、“門真レンコン”と表示された厨房の段ボールと立派な節をつないだ蓮根に感心しながらも、ふと表情を変えた。
「確か……上野の蓮飯って、葉っぱで巻いたご飯ですよ。これとは、ちがいますね」

 龍二の疑問に、中之島がごもっともと言いたげな視線を玄関へ投げた。
「それってさぁ、もち米をハスの葉に包んで蒸した奴でしょ。五月の節句で食べる、チマキの原型だよ」

 ふいに飛んで来た声に振り向いて、またもや龍二は驚いた。
上半身をすっぽり隠してしまう大ぶりな蓮の葉を、剣が茎ごと抱えていた。偶然なのか、緑色のTシャツ姿がよけいに剣の姿をカモフラージュさせていた。
自分の身の丈よりも高く、大きな蓮の葉はまるで雨傘のようで
「こりゃ、河童やなぁ」
 と中之島が腹を抱えて、冷やかした。
「ちげぇねえや。だけどよ、この蓮の葉にお前は酒を入れらんねえぞ」

 火野銀平の顔も、蓮の葉の間から覗いていた。どうやら近くで、太郎と剣に出くわしたらしい。
「ちぇっ、分かってるよ。水で我慢しますから!」

 舌打ちした剣はひと抱えもある蓮の茎葉の束を厨房にかつぎ込むと、一枚ずつ丁寧に洗い始めた。それを見つめながら「象の鼻か……」と腑に落ちない顔をしている龍二へ、太郎が問わず語った。
「象鼻盃は、かつて中国の唐の人たちが夏の盛りに家族や友人を招いて蓮の花を観賞し、池のほとりで歌会や酒宴を催して暑気払いをしたのが始まりと伝わってる。蓮の葉を象の鼻に見立て、茎から酒を吸い取って飲み干す格好が、象に似ているってわけだ。まあ、仏教の影響を受けた習わしだな」
「なるほど、ってことは象鼻盃の発祥は、インドってことかも知れませんね。奥が深いな」

 ようやく納得した龍二が、厨房へ入って象鼻盃を準備する剣を手伝った。みずみずしい緑の葉っぱが、玉になった水滴をコロコロと弾いた。

 そのようすに目尻をほころばせる中之島が蓮飯を皿によそうと、銀平が思い出したように言った。
「ところで、中之島の師匠。さっきの蓮飯の話し、江戸と大坂じゃあ形がちがうけど、あの理由を俺は察しがついたぜ」
「ほう~、そらいったい、どんなもんや」

 中之島の差し出した蓮飯に、銀平が箸を割りながらやにさがった。
「関西の寿司は、バラ寿司ってえだろ。つまりはチラシ寿司みたいな、まぜごはんじゃねえですかい。それに比べて、江戸は気短で手っ取り早い握り寿司や巻き寿司だ。だから、蓮の葉で巻いた形になったわけだ」

 言い得て妙な銀平の答えに普段テーブル席にいる新顔の客たちなら感心しただろうが、中之島は安直すぎると鼻で笑い、龍二は胡散臭いとばかりに苦笑した。
「な、なんでぇ、なんでぇ! 筋が通ってるじゃねえかよ、龍二」

 蓮飯を口いっぱいに入れる銀平に、象鼻盃の準備を終えた剣が一番大きな蓮の葉を渡した。手にした銀平に、剣が思わず吹き出した。
「ぷっ! 一見、剃った頭がお坊様みたいなんだけど、何だか妖怪の子泣きじじいみたいだなぁ」
 と剣が河童の恨みをやり返した。
 冷蔵ケースのガラスに映る自分の姿に銀平が赤面すると、龍二と太郎は肩を震わせ笑いをこらえた。
「ぐ、くっそう。ええい、剣。早く酒を注ぎやがれ」
 やけになって茎をくわえた銀平は、カウンターの下にしゃがみこんだ。そして、剣にせかして一升瓶の純米酒を蓮の葉に注がせた。
途端に、中之島がいじくった。
「銀平ちゃん、“蓮っ葉な奴”っちゅうてな。キワ者やまがい者っちゅう意味も、蓮にはあるんやでぇ」
むせ返った銀平の息が逆流して、蓮の葉は酒のシャワーを吹き上げた。
そのしずくが、太郎たちの笑顔と蓮の花を輝かせていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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