TOP > ポンバル太郎 > 第86回 うどんすき

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Vol.86 うどんすき

 師走の声とともに増税の影響で夏以後冷え込んでいた盛り場には、忘年会の客足が戻っていた。居酒屋では鍋をつつくグループ客が増えて、ポンバル太郎の換気扇からもダシのいい匂いが漂っていた。
「おっ、この匂い! カツオでも昆布でもねえな。だけど、たまんねえや」

 独りごちた火野銀平が勢いよく扉を開けると、カウンター席はすでに満席だった。今夜は珍しい鍋料理がふるまわれるとあって、さしずめ常連客の忘年会といったようすで、端から端まで見知った顔が並んでいる。

 菱田祥一は隣の右近龍二と、ようやく搾られた新酒の出来栄えをきき酒している。平 仁兵衛は手越マリの盃にぬる燗の純米酒を注ぎながら、小鉢に入った茶色い煮豆を口にしていた。その隣で手帳を開く高野あすかが、同じ記者のジョージと海外の日本酒事情について情報交換している。

 それぞれの前には二人に一つ、小さな七輪が置かれていた。どんな鍋料理が始まるのかと、銀平が期待した時、太郎の声が飛んで来た。
「おう、銀平! おめえは俺と同じ鍋をつつくんだ」

 厨房ではなく、カウンター席の端っこに太郎は座っている。じゃあ、料理しているのはいったい? と銀平が厨房で動く影に誰何した。
「今晩は、さぬきうどんの鍋や。本場のうどんすきをご馳走したるでぇ、銀平ちゃん」

 にゅっと顔を現した中之島哲男が、右手に太いうどん包丁を持っていた。幅が五寸、刃渡りは一尺近い包丁を、ジョージが食い入るように見つめていた。
武骨な中之島の指先は、うどん粉で白くなっている。

 今しがたのダシの匂いを得心した銀平が太郎の隣に座ると、あすかは興奮した口調で割烹着姿の中之島に訊いた。
「中之島さん。私、東北人だから、うどんすきって初めてなんです……でも、蕎麦は日本酒に合うけど、うどんで酒を飲むって聞いたことがないでしょ?」

 福島県は蕎麦文化の国だからと、あすかは言い添えた。

 そこへ、無類の蕎麦好きで通っている菱田が口を挟んだ。
「うむ、確かに。蕎麦のワリシタってか、ツユの辛さに日本酒は合う。麺のざらついた食感もうどんほどなめらかじゃないし、蕎麦粉の風味を楽しむには、まず噛まないといけない」

 さぬきうどんの本場・香川県と同じ四国出身の龍二が、うどんの肩を持った。
「本場の香川県じゃ、『うどんは、喉で嚙む』って言うんですよ。麺を噛まないで、飲み込むそうです。だから、酒と味わう習慣はないですよ」
「オウ! うどんはニューヨークでもファンが増えています。ニューヨーカーは忙しいから、うどんのようなファストフードが大好き! だから、酒とは食べませんね」

 ジョージが箸を使ってうどんを掻き込むしぐさをすると、それを見ていたテーブル席の客たちが目を丸くした。

 口々にうどんを語る面々の前に、茹でたうどんが中之島の手で笊に上げられた。冷水でしめられた麺の一本一本が、つや光っている。

 カウンター席の全員が思わず唾を呑み込むと、中之島はダシのはった小鍋をそれぞれの七輪に乗せた。
「たかが、うどんで、そないに話しが盛り上がるちゅうのは嬉しいなぁ。けど、このピカピカでモチモチのうどんすきに合う日本酒は、ちゃんとあるんやでぇ」

 うどんすきは、そもそも本場の香川県で考えられた鍋料理ではなく、食い道楽の大阪人が発想したのだと中之島は語った。当初は、関西風のカツオと昆布のたんぱくなダシだったが、どうも日本酒には合わせにくい。そこで中之島が考えたのは、さぬきのイリコ(雑魚)ダシをブレンドすることでダシの旨味を強める方法だった。
「イリコの風味はちょっと生臭いけど、それを抑えるのが小豆島の甘い醤油や。さぬきの国は、昔から砂糖にこだわっててな。高級な菓子に使うあの和三盆ちゅうのも、香川県の名産品や。つまり、甘さを大事にする料理がさぬきのモットーなんや。ほれ、平先生のつまんでる醤油豆(しょうゆまめ)も、香川の甘いおかずやで」

 中之島の目の先に、空豆を醤油につけただけの何の変哲もない肴があった。それをつまむ平が、純米酒の盃を飲み干して絶賛した。中之島が薦めた、香川県の地酒だった。
「この酒が、甘い空豆によく合います。瀬戸内の日本酒ってのは、広島もそうですが、やはり甘い味付けの料理があるからなんですねぇ」
「それなら、あたしの故郷と同じたい。九州の醤油は、もっと甘かよ。長崎のしっぽく料理は、醤油の甘さが大事やけんね」

 平に頷く手越マリは盃を飲み干すと、江戸時代の長崎人はカステラに甘い醤油をかけて、酒のつまみにしたのだと自慢した。
「さよう。西に行くほど醤油は甘くなって、したがって日本酒も甘くなる。ならば、うどんすきのダシにイリコを使って、しかも甘く味つけすれば、さぬきの地酒に合うはずやろ。近頃はトマトスープ鍋や海鮮カレーチゲちゅう、けったいな無国籍な鍋物が増えてるけど、このうどんすきこそ、地産地消のさぬきの鍋や」

 熾した炭火がゆっくりと鍋のダシを温め、うまそうなイリコダシの香りがカウンターに広がった。瀬戸内海のサワラの切り身やタイラギ貝が、鍋の中でうどんに寄り添っていた。 
テーブル席の客たちが「俺たちも、うどんすきを頼みます!」と、具材を鍋に入れる中之島に手を上げた。

 銀平がふと目をやると、具材の笊に丸餅が乗っていた。
「へぇ、うどんすきのシメには餅かよ。こいつぁ、腹持ちしそうだな」

 すると、中之島と目を合わせた龍二がニンマリして言った。
「しかも、それってただの餅じゃないです。銀平さん、齧ってみてよ」
 龍二の言葉に、銀平が訝しげな顔で丸餅を噛んだ。途端に、蒼ざめた顔で叫んだ。
「わ、わわっ! なんでぇ、こいつはアン餅じゃねえか。中之島の師匠、白餅とまちがえてますぜ!」
「いいや、それが正しいうどんすきの餅や。さぬきでは正月の雑煮も、あんこ餅やさかいな」
 甘い物が大の苦手の銀平は胸やけをおぼえて、げんなりとした。
 すかさず、あすかがツッコミを入れた。
「銀平さんって、人間は甘いのに、甘い物が苦手なのね」
煮立ってきた熱いうどんすきとお燗酒に汗をふく面々の中で、冷や汗をかく銀平に笑いが巻き起こった。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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