TOP > ポンバル太郎 > 第90回 わりした

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Vol.90 わりした

 クリスマスソングが都内の寒空にこだまし、LEDライトのイルミネーションが青山や六本木の並木道をひときわ輝かせている。消費税アップのせいで秋口から買い物を我慢していた人々はボーナスの勢いもあって、ここぞとばかりプレゼントやご褒美品を買い込んでいた。

 ポンバル太郎が催すクリスマス会へ向かう高野あすかの両手も、ふくらんだ紙袋でふさがっている。

 店の玄関に立った時、鉢合わせた初老の男が今夜の案内状を手にしながら独りごちていた。
「ふむ、ここか……なかなか粋な店構えじゃないか」

 初めての客のようだが、どこか見覚えのある着物姿の男に、あすかはその場しのぎの会釈をした。男も笑みを返しながら、あすかに先を譲って店内に入った。

 クリスマスツリ―が店の中央に配され、剣が飾りつけをいじくっている。その向こうのカウンター席には、火野銀平や右近龍二、平 仁兵衛といった常連が背中を並べていた。

 おもしろいことに、ツリーに吊り下げてあるのは酒瓶や盃、キセルやかんざし、三度笠や草鞋といった江戸時代の品のミニチュアだった。なかなかの出来栄えに、男もあすかも感心顔で見入っていた。
「ほう! こりゃオツだねぇ。なるほど、日本酒専門店のクリスマスツリーか」
「あっ! 源太郎おじさん、いらっしゃい! へへぇ、この飾りつけ、僕がぜんぶ作ったんだよ」

 自慢げな剣に、源太郎は頷きながら袂から小さな祝儀袋を取り出した。鍋料理らしき具材をテーブルに置いた太郎が、その動きを手で制した。
「おっと、源さん。そいつぁ、いけないよ。今日は、源さんの再出発のお祝いも兼ねてんだ」
「何を言ってやんでぇ。こいつぁ、剣坊のこずかいみてえな小銭だよ。それに、お前さんにしなきゃなんねえ御礼は、はした金じゃすまねえよ」

 源太郎はごま塩頭を掻きながら、カウンター席の面々に愛想笑いをとりつくろった。だが、一抹の陰りが覗いている。

 どうやら銀平たちは源太郎と顔なじみのようだと、あすかは悟った。だが要領を得ない二人の会話に、クリスマス会じゃないのかと首を捻りながら訊いた。
「それにしても太郎さん。プレゼントのついでにデパ地下で私に干し椎茸を買って来いなんて、珍しいわねぇ。しかも奥多摩産じゃなきゃだめだなんて、どうしたの?」

 カウンター席の端っこに座ったあすかが紙袋から取り出したのは、肉厚で大きな笠を乾かせた干し椎茸だった。すると銀平から平、龍二まで、嬉しそうに口をつないだ。
「やっと、名脇役の登場だぜ!」
「そうですねぇ。鍋源さんのすき焼きの魅力は、椎茸の風味たっぷりのわりしたですからねぇ」
「地物の多摩産椎茸って、東京のすき焼きには欠かせませんよね。そして、わりしたの仕上げには多摩の純米酒だ」

 三人の言葉にポカンとしているあすかの鼻を、厨房から漂う甘く濃い醤油の香りがくすぐった。わりしたの匂いだと気づいた時、太郎は干し椎茸を鍋の中に入れていた。

 気をきかせた剣が冷蔵ケースから多摩の純米酒の一升瓶を取り出し、太郎へ手渡した。
「これで、細工は流々! 後は源さんに、わりしたの仕上がりを御覧じてもらうだけだ。緊張するぜ」

 銀平の声に奥多摩の椎茸が必要だったわけをぼんやりと呑み込めたあすかが、平の言った「鍋源」の店名にはっとして、声を上げた。
「ああっ! 思い出した。春に火事で全焼した、神田の老舗すき焼き店の旦那さんだ!」
「はい、世間をお騒がせして、お客様にもご迷惑をかけて、大変申し訳ありやせんでした……百年前の創業時から継ぎ足しているわりしたも失くしちまって、あっしは御先祖に顔向けできねえ。それで、廃業を考えたんです。だけど、うちの常連だった太郎さんがわりしたを再現するってきかねえんでさ。それで、まんまと乗せられちまって、今夜ここへ来たわけでさ」

 恥を忍んでうつむく源太郎だったが、剣は「早く、すき焼き食べた~い!」と渋い唐桟柄の着物の背中を押してあすかの隣に座らせた。

 湿っぽい空気をはぐらかす剣に平が目を細めた時、太郎が問わず語った。
「火事の後、ハル子が夢に出てきましてね……百回以上、鍋源のすき焼きを食べてるあんたなら、わりしたを作れるでしょって言うんです。俺が初めて鍋源へ行ったのは、ハル子となんですよ。その時、ハル子のお腹には剣がいた。だから、物心ついた剣も常連になっちまったんでしょう」
「僕だって源太郎さんのわりしたの味、よく憶えてるもん!」

 静まるカウンター席に、干し椎茸からしみ出したうまそうなわりしたの匂いが満ちた。

 太郎は、わりしたを味見の小皿に取った。褐色のわりしたと白い湯気に、源太郎の目尻がほころんだ。
「いただきます」

 そっと口をつけた源太郎を全員が固唾を飲んで見守る中、剣が口を開いた。
「どう? ダメ?」
「ああ……ちがうな」

 ひとしきり口の中で舌を動かした源太郎が、目をつぶったままつぶやいた。
 銀平と龍二が肩をガックリ落とし、平とあすかが深いため息を吐いた。
「だけど、これでいい。新しい鍋源のわりしたの誕生だよ、太郎さん。もう一度、出直しだ」
 源太郎は、誰へともなく感謝するように合掌した。
 カウンター席へ明りが射したように、全員の表情がほころんだ。
「そうかい…じゃあ、このわりしたのすき焼きを、また何百回も食べないといけねえな」
「うん、将来は僕の子どもにも食べさせないとね」
 太郎と剣のいたわりに、源太郎の顔から小皿へ一滴のしずくが落ちた。
「源さん……わりしたがしょっぱくなるぜ」
 銀平の声に、源太郎は潤んでいる瞳をほころばせた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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