TOP > ポンバル太郎 > 第92回 千枚漬け

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Vol.92 千枚漬け

 大晦日から元旦に降りしきったぼたん雪の名残りが、街路樹の根元をほの白く染めている。それでも景気の悪さや天災への不安といった先行きの見えない世の中に、明治神宮の参詣客は長蛇の列をなしていた。

 ポンバル太郎は三が日を休み、今日は恒例の常連だけの新年会。通りには元旦のみを休んで二日から開けている居酒屋が去年よりも増えていたが、初詣の帰りに立ち寄る客たちはまばらだった。賽銭と同様、財布のひもは固い。
「正月早々、こんなに頑張ってるのによぉ。やっぱり消費税アップなんて、殺生だぜ」

 独りごちる火野銀平は珍しく着物姿で、藍色と鈍色の縞柄を織った唐桟に臙脂色の羽織である。

 新年早々目にした居酒屋の扉には、値上げはしないと宣言する店主の言葉が貼ってあった。しかし、その店は火野屋の得意先の一つで、今年からは安い外国産のマグロやサーモンに切り替えると取引を断ってきていた。昨年末から、この界隈のいずこの店にもそんな風潮が見えている。

 銀平が苦々しげな気分を雪駄の尻金の音に出した時、誰かが角帯の貝ノ口をひっぱった。
「銀平ちゃん、おめでとうさん! 新年早々、腹を立てとったら運が逃げて行きよるで」

 振り返ると、中之島哲男が黒紋付の羽織袴で立っていた。驚いたのは、同じ和装の若い男を従えている。そのやさ男が持つ風呂敷は、正月らしい松竹梅の絵柄だった。
「こりゃ、中之島の師匠。明けまして、おめでとうございます。恰幅が良くて、ビビッちまいますよ。それにしても、まだ三日だってのに、師匠もわざわざ大阪からご苦労様です」

 ポンバル太郎の玄関先で銀平が中腰になって中之島へ御辞儀をすると、まるでその筋の人たちのようにも見え、通行人たちは二人を遠巻きにして歩いた。
「あの店もこの店も商魂たくましいけど、どうも食材が気に入らん……あんた、そんな顔をしてるぞ」

 居酒屋の脇に山積みになっている野菜の空き箱には外国の名前が明示され、それを一瞥した中之島は銀平の背中を押してポンバル太郎へ入った。若い男も、それに続いた。

 おせち料理の重箱を前にして、平 仁兵衛、右近龍二、高野あすかがカウンター席に並んでいた。年代物の輪島塗りの重箱は、カウンター席で先に一杯やってる平 仁兵衛が太郎に寄付した物である。

 常連客たちが互いに年賀の挨拶を交わすと、太郎と剣も厨房から現れ、それに続いた。 手越マリは故郷の熊本へ、菱田祥一は千葉へ、そしてジョージはニューヨークへ帰っていると剣が告げた。

 中之島が口を開いて、みんなの視線を集めている連れの男を紹介した。
「京都の錦市場で漬け物屋を営んでる、壬生 清次郎 君や。彼の親父さんとは四十年来の付き合いでな。ほんまもんの京野菜しか使わん店や。ただ、商売が厳しゅうなって今年からは東京でも商品を広めたいそうで、ついては太郎ちゃんに試してもらおうと思うてなぁ」

 清次郎は、全員に控えめに年賀の挨拶をした。生真面目そうな表情は、育ちのよさと脆弱さを併せ持っているようだった。

 太郎が、正月用の新酒あらばしりを用意しながら訊いた。
「中之島の師匠がわざわざお連れするとは、いったい、どんな漬け物ですか?」
「うむ。聖護院かぶらで漬ける、京都では今が旬の千枚漬けや」

 代弁する中之島が目で指図すると、清次郎がカウンターで風呂敷を開いた。

 そこには「壬生屋 謹製」と焼き印が押された、小ぶりの杉樽があった。
「この樽も、京都の北山杉にこだわりました」

 問わず語る清次郎は、そのまま長い京言葉をつないだ。

 甘くてみずみずしい聖護院かぶらの肉質を作るのは、京都北部の亀岡盆地を覆う夏から秋にかけての霧の力だと説いた。その聖護院かぶらを薄く切り、漬け汁には利尻昆布の粘りと京都産の鷹ノ爪の辛さが欠かせない。だが、安い千枚漬けは京都以外のかぶらが多く、本来の千枚漬けが減っている。だから、あらためて正統派の京漬物で勝負したいと杉樽を手にした。

 樽の中のビニールパックに入った千枚漬けを目にする銀平が、首を捻りながら割り箸で重箱の漬け物をつまんだ。
「俺にはどうも、ピンとこねえなぁ。江戸っ子の冬の漬け物ってえなら、このべったら漬けだよ」

 銀平は麹をまとった白いべったら漬けを口へ入れ、うまそうな音を立てた。気のない答えに清次郎が肩を落とすと、平と龍二が千枚漬けへ瞳を凝らした。
「でも、このままじゃ、単なる京土産と同じですよね。食材としては文句なしなんだけど、商品としてのインパクトに欠けるなあ」
「そうですねぇ。値段とのバランスもあります。どれほど京都産のかぶらが良いのかは、口の肥えた京都人にしか分からないでしょう。聖護院かぶらの仕入れで割高になるなら、なおさら個性的な味わいや食感が必要じゃないでしょうか」

 確かに、二人が指摘するように旧来の漬け物から脱皮できないのが壬生屋の弱点だった。
「私も、それはよう分かってます。けど、壬生屋の主人である父は、頑として本来の京漬物の域から出よりません。私はそれに手をこまねいて今の状況に陥り、中之島さんに救いを求めたんです。自業自得ですわ」

 弱腰になる清次郎に中之島は顔を曇らせ、ため息を吐いた。それを目にする太郎は、中之島が壬生屋の主人から息子の人となりの指南も託されているのだろうと悟った。

 太郎が口を開きかけた時、言わんとするところをあすかが先取りした。
「漬け物って、ご飯の友だけじゃないわ。東北じゃ、お客さんのお茶受けにだって出すわよ。それに、お酒のつまみには欠かせないもの。京都は上品だからやらないかも知れないけど、相馬の囲炉裏端じゃ、鉢にたっぷり盛るんだから」

 ハッとする清次郎に中之島は冷蔵ケースから伏見の純米吟醸の四合瓶を取り出し、おだやかな口調で手渡した。
「つまり、東北出身者の多い関東で売るなら、酒のつまみになる新しい千枚漬けちゅうわけやな。清次郎はん、あんたも親父さんも下戸やから、漬け物を酒の肴にする気持ちは分からんやろう。あんた今日から、日本酒を嗜んだらどうやねん」

 それにもためらう清次郎の前へ、太郎が厨房の奥から小さな甕を運んだ。陶器の蓋を取ると、カウンター席で米麹と日本酒の匂い、そして甘ずっぱい香りが入り混じった。

 全員が不思議そうな顔で中を覗くと、ほのかに白く濁った汁の中に大根が漬かっていた。
「この大根漬けには、日本酒のモロミを入れている。うちのオリジナルだよ。酒の麹がべったら漬け風だし、いい塩梅になったら取り出して吉野杉の樽で漬け直すんだ。テルペンの香りを少しつけるためにね。そうすることで、日本酒のツマミにふさわしい漬け物になる。そこが、新しい工夫ってことだ」

 甕の中の大根を訝っている清次郎に、その漬け物を食べ慣れた銀平がしびれを切らして割り箸を押しつけた。
「ええい、じれってえ野郎だな。京都の御公家様じゃねえんだからよ、さっさと味見しな!」

 荒い口調に気圧された清次郎は、目をつぶって大根漬けを口にした。
「うっ、うまい! 甘さと辛さの調和が絶妙だ!」

 一転した表情で嬉々とする清次郎に、龍二が自分の盃を開けて手渡した。
「日本酒のモロミを入れたせいなんですよ。このぬる燗の純米酒にバッチリですから、清次郎さんの千枚漬けもやってみましょうよ」
「そうよ。薄い千枚漬けなら何かを巻くことだってできるじゃない。だったら、太郎さんや剣君に千枚漬け巻きの肴を考えてもらえばいいわ。それも、パッケージのレシピに紹介したらいいし」

 続けざまのヒントとアイデアに、清次郎の頬が紅潮した。そして太郎が切った大根漬けをかじると、盃を飲み干した。

 苦手だった日本酒が、大根漬けのうまさに渾然一体となった。ニンマリした剣が親指を立て、清次郎に二杯目を注いだ。

 胸を撫で下ろすように、中之島が口を開いた。
「ここまでヒントをくれたんやから、清次郎はんもちゃんと答えなあかんな」

「ええ、親父を口説いてみせます。この仕込み方を、京都へ帰って千枚漬けに使ってみます。結局、僕は親父とやり合うのを避けてただけなんやと思いました。うちの漬け物は、親父の味を受け継ぎながらも、僕の流儀で新しい価値を作るべきなんや。みなさん、今日は本当にありがとうございました」
 清次郎はお礼にと、千枚漬けのパックを開けてふるまった。
 酔いの回った銀平が、剣につぶやいた。

「お前もいつか、太郎さんを越えなきゃなんねえんだぜ。しっかりやれよ」
「そう言う銀平さんは、どうなのさ?」
「お、俺か……そりゃ、もうとっくに俺が火野屋の看板でぇ」
 すると、あすかが口を挟んだ。
「へぇ、そうなの。私、年末に築地へ買い出しに行ったら、お隣りの干物屋の女将さんが言ってたわよ。『先代の金太郎さんには、まだまだ及ばないねぇ』って」
「ぐ、くっそう、おしゃべりな古漬けババアめ。あっ、失言……」
 鼻白む面々の視線が銀平に集まると、剣の声が響いた。
「あ~あ、下品だねぇ。だから上品な京漬物の味が、分かんないんだよ」
 それを笑うあすかたちの口が、清次郎の千枚漬けをうまそうに食べ始めた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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