TOP > バックナンバーコンテンツ > 酒・食・場(第3回)

会員サイト

入会特典

・「いい酒のめーる」の購読
・利き酒会やイベントへのご案内
・検定やサイト機能の利用
・マナベル度の獲得

会員登録

すでに会員の方はこちら

ログイン

イベント情報

  • 利き酒会について

地酒の用語集

あなたの地酒の知識を増やしましょう

  • 地酒用語集
盃にも大小サイズがありますが、最も小さいものには、直径2センチくらいの指先でつまむような盃があります。
実は、お酒に弱い「下戸(げこ)」専用の盃で、百貨店などの酒器コーナーに売っているようです。ただし、酒を遠慮したいからといってむやみやたらと使うと、「付き合いの悪い奴」と思われます。できるだけ、宴席などのウケ狙いも兼ねて使うほうが良いでしょう。
ちなみに、これと同じような小さな薄い盃を使っていたのが、織田信長だったそうです。
彼のあだ名には「下戸大将軍」というのもあって、酒はかなり弱かったそうですね。
「酒は飲め飲め♪ 飲むならば♪」の歌い出しは、年輩の日本酒ファンなら誰もがご存知のフレーズ。民謡「黒田節」は、福岡県地方に伝わる酒席の歌ですね。
これは豊臣秀吉の参謀であった黒田官兵衛の精神、ひいては黒田藩の武士の気骨を語ったものだそうです。 黒田官兵衛の後継者・黒田長政と武将の福島正則は仲が良かったが、正則は大酒のみの暴れ者で、武勇も酒豪も人に譲らず、ある日長政の部下・但馬に大盃を出してこれで飲めと無理強いします。
但馬が辞退すると正則は「卑怯ものめが、黒田の侍はうぬのような腰抜けばかりか」と罵ります。但馬は長政と正則の間柄もあって、じっと我慢しました。すると正則は「この大盃で飲んだら、望みのものは何なりやるぞ!」と挑発。但馬の目が光り、なげしの上にかかっていた槍を見つけました。それは正則秘蔵の槍で、太閤・秀吉が天下無双の一物として与えた槍でした。
但馬は黒田家の面目にかけて、正則の鼻を明かせすべく「それではあの槍を頂戴したい」と言います。正則は「よかろう!」と鼻で笑いますが、但馬はみごとに朱塗りの大盃を飲み干して、その槍を奪って帰ったのです。その翌日、正則は槍が惜しくなり、家来に取り戻させよう黒田藩邸へ走らせますが、但馬は「武士に二言はない」と断り、返しませんでした。このふるまいが黒田武士の誉として謡い継がれてきたわけです。
千葉県の銚子市と言えば醤油の産地として知られていますが、実は明治時代までは、利根川沿いに酒蔵もたくさんありました。
「なるほど! だから“お銚子”って言うのね」というのは、早合点です。
銚子の名は、先章の「酒器は日本の心とともに」でお話ししたように、結婚式の時に三三九度で酒を巫女さんがついでくれる、柄杓みたいな物が原型です。その注ぎ口が、利根川の川幅が細くなる銚子あたりに似ているためにこう呼ばれたのです。
この「銚子」の名は全国的に多くて、どこも広い道がそこで急に狭くなったり、川幅が細くなったりしているところに使われているようですね。
今では瓢箪(ひょうたん)の形を目にするのは、料理屋の弁当箱や箸置き、そば屋の薬味入れぐらいですが、昔から瓢箪は便利でしかも縁起の良い酒器でした。
腰からぶら提げた浪人侍や旅商人がたくさんいたそうで、現代のスキットルみたいですね。
「三つ揃えば三拍(瓢)子。六つ揃えば無病(六瓢)息災」とひっかけて、とくに6つの瓢箪は6つの吉運を呼ぶと言われました。豊臣秀吉の千成瓢箪はさらに上をいって、大阪商人のモットーです。
ちなみに、この瓢箪の酒器は「ひさご」と呼ばれ、今でもその名をつけている居酒屋や割烹が多いですね。
さしつさされつの作法が薄れたものの、やはりビジネスの接待では、お銚子と盃で酌み交わす席が多いですね。
若い方の中には日本酒に酔ってしまって、「もう飲めないな~」と盃を受けあぐねることもあるはず。そんな時には、上手なお酌の断り方があるのです。
今ではほとんど使わなくなった言葉なのですが「私、盃が不調法(ぶちょうほう)なものですから」とさりげない言い回しをしましょう。
これは「飲めません」とはっきり断るよりも、上品な辞退の仕方。「ほう! 若いのに感心ですな」なんて、返って褒められそうですね。
盃を持った時から、口の中で「不調法」をつぶやいておくことをオススメします。
いろいろな酒器のこぼれ話をすると、それをきっかけにして酒席が盛り上がります。また、接待相手から新しいネタも聞かせてもらえることもあるでしょう。
そんな時にはメモしておくと別席でも使えますし、相手は「ほう! 熱心ですね」と好意を示してくれるでしょう。
居酒屋で独酌するなら、お店の主人から酒器ネタを聞くのもオススメですね。