TOP > バックナンバーコンテンツ > 酒・食・場(第4回)

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お燗の字は、「火」の「間」と書きます。字の起こりからも想像できますが、「火」を使うということが特徴。つまり、その歴史は「火」が日本人にとって大切だった時代に遡ることになります。
ここで「火」が重用された神話時代から奈良時代までの、日本人の典型的な酒ライフを考えてみましょう。
現代のように都会化しておらず、自然に囲まれた村々があった。四季折々の気候が明確で、温暖化は少なく朝晩は非常に冷え込んだ。ましてや当時の建築は木造りの板戸や枝折り戸が主流で隙間風も多く、そのため酒は日常の必需品。自家製ドブロク酒は体を温める薬でもあった。
冷蔵庫の無い時代。天然の雪や氷を入れた「氷室(ひむろ)」は一部の高貴な人物のための設備だった。したがって、民衆は夏でも冷たい酒を口にできず、常温で酒を飲むことが常だった。そして、風邪や腹くだしなどの病気の際には、体を温めるために、燗酒を飲んだ。それは、卵酒の原型のようなものであった。
農耕民族の日本人は古くより集落を形成し、村長を中心とした年寄り衆などの談合・和議によって暮らしを守ってきた。
「火」を囲み、じっくりと話し合い、神楽や宴を催す。また、寒さしのぎのために囲炉裏は常に火を起こし、それを無駄なく効率よく使うことが家々のしきたり、囲炉裏の文化であった。つまりは、炉辺で酒を温めつつ、話し合いも温めていたのだ。
岐阜県大野郡に残る世界遺産「白川郷の合掌造り」の民家などは、その時代をほうふつとさせる。
日本人は「火」と「四季」のある暮らしの中で、独自の「お燗」文化を創り出しました。というのも、古来より温めて酒を飲む習慣は、世界を見わたしても日本とお隣りの中国の「紹興酒」が顕著なもので、欧米ではほとんど見当たりません。
ホットウィスキーは、日本人が考え出したものです。ワインは常温でしたね。本場のドイツ地ビールは、今でも作り立てをぬるいまま楽しむようです。本来は日本酒も「口噛み酒」ですから、噛んだ米を甕(かめ)に吐き出し、それが醗酵・熟成した「にごり酒」を常温で飲んでいたはず。
それが、「火を囲む和の文化」の中でさまざまな生活の知恵を出し合って、できあがったのが「お燗酒」でした。「酒は百薬の長」の言葉にも、それを実感できます。
旧暦の菊の節句(新暦10月初旬頃)から桃の節句(新暦4月上旬)までの期間、酒を温めて飲んだそうで、ちなみに歴史的な文献として、平安時代の貴族にもてはやされた中国の白楽天(はくらくてん)の詩集「白氏文集(はくしもんじゅう)」に、「林間に酒を煖めて、紅葉を焚く」という有名な詩句があります。また、「万葉集」の歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)の「貧窮問答歌」には塩をなめつつ、お湯で薄めた酒粕で暖をとったとあります。
このようにすでに律令制の完成した時代には、お燗酒は貴族を中心に普及していたのです。


さて、日本酒は鎌倉時代に入ると、またもや常温が主となります。将軍や武将クラスは別として、戦乱の世においては、ゆっくりじっくりなどと酒を楽しむのはご法度で、戦場では甕の酒をがぶ飲みするのが当り前でした。それに武士といっても、織田信長の戦国時代以前の侍(足軽クラス)はその土地土地を護ってきた農民でした。
火を起こして、悠長にお燗を楽しんでいる場合ではありませんでしたが、面白いのは、足軽が鉄鉢(てっぱち)を燗器代わりにしてお燗をした記録もあるそうです。
また、この頃は僧侶が酒造りをすることも多かったようです。本来は厳しい戒律によって酒はご法度でしたが、寺の庫裏(台所)には大きな甕が置かれ、いわゆる「般若湯」と呼ばれるお燗酒がふるまわれていたのです。
厳冬の山中での厳しい修行、早朝から深夜までの勤行に耐える、唯一の楽しみだったのでしょう。
その後、太平の江戸時代には、またもや燗酒が広まります。特に、「夏に燗」を楽しむ人が増えました。というのも江戸は人口300万人の大都市になり、社会的なストレスも生まれていました。また、いわゆる夏バテ対策として「土用のうなぎとぬる燗の酒」が流行したのです。
夏の暑い日の燗酒は、江戸の粋・いなせでもあったようです。徳利燗はこの頃に広まりました。
少しおおげさに考察しますと、歴史上、燗酒を楽しめたのは平和で文化的な時代だったようですね。
さて、前置きはこれぐらいにして、燗酒が普及した理由には日本人特有の体質も関係しています。
元来、欧米人と比較して胃腸の弱い日本人。米・菜・魚を伝統的に食してきたため、よく噛み、すり潰してお腹に入れることが習慣でした。このため胃腸自体の消化力は、昔から肉料理など脂物を飲み込んできた欧米人に比べて弱いのです。
ですから、冷酒など温度の低いものは、腹の中で体温近くになるまで温めてから吸収する。その方が私たちには適しているわけです。これを考えずに冷たい酒の盃を重ね、ついつい飲み過ぎて、酔ってしまうともいえます。
先祖からのDNAは、そう簡単には変わりません。 その点、お燗酒ならゆっくりと酔えて、体も芯から温まります。
そして、もう一つのアイデアが「割り水」をしたお燗酒。アルコール度数を下げてから燗する酒は、体内に入ってきたアルコールを処理する酵素の一つ「アセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)」の少ない日本人にピッタリなのです。
例えば「粕汁」は、酒粕をだし汁でといて温め、消化のよい野菜や魚を入れますね。日本人に適した「割り水お燗酒」の発展型ともいえるでしょう。
このように、内臓のデリケートな私たち日本人ですが、その体質はさらにいろいろです。そんな嗜好性の多様化が下のような、燗の区別を作っています。
日向燗 人肌燗 ぬる燗 上 燗 熱 燗 飛びきり燗
30度ほど 35度ほど 40度ほど 45度ほど 50度ほど 55度以上