Vol.132 ハーフコート

マチコの赤ちょうちん 第一三二話

公園の夕闇の隅に、遅咲きの彼岸花が、明かりを灯すかのように赤く咲いていた。その前でしゃがみ込んでいる幼い姉妹に、急ぎ足の松村が目を留めた。
「マンジュシャゲは、取っちゃダメなの。縁起が悪いって、お祖母ちゃんが言ってたでしょ!」
「いやだ!これ、欲しいもん。欲しい!欲しい!」
ダダをこねる妹を、利発そうな姉が諭していた。
今どき彼岸花を取るのは縁起が悪いなど、おつな言葉を聞かせてくれる子だなと松村はその背中を見つめながら、チラと腕時計を気にした。
澤井とマチコで待ち合わせた時刻から、20分ほど過ぎている。
「6時半か……近頃は物騒な事件が多いし、ひと声、かけとくか」
植え込みの半円の柵をまたぐ松村に、姉がはっとした顔で振り向いた。
一瞬たじろぎながらも、彼女は、食い入るようにハーフコート姿の松村を見返していた。
「二人とも、もう暗くなってるから、お家へ帰らなきゃいけないなぁ」
近づく松村を、まばたきもせず見つめる姉の背中に、妹が隠れた。額から鼻先にかけての面差しが、そっくりだった。
「お名前は、何て言うの?大丈夫、怖いオジサンじゃないから」
腰をかがめて松村がほほ笑むと、少し警戒心を解いたのか、姉は薄っすらと小さなえくぼを浮かべ「小池さちこ」と答えた。
「そうなの……さっちゃんだね」
松村の呼び方に、姉は嬉しげにコクリと頷いた。
「お母さんを待ってるの!もうすぐ、迎えに来てくれるの!」
妹が姉の後ろでアカンベしながら、口を尖らせた。その途端、グルルッと二人のお腹が鳴った。
「あれれ~!何の音だぁ?」
わざとらしく耳に手をやる松村に、妹はキャッっと笑ったかと思うと、「お姉ちゃん、みき、お腹すいたよ。お母さん、まだぁ~?」とべそをかきだした。
すると気丈夫そうだったさちこもじわっと目尻を涙で濡らし、二人とも泣き出す始末で、通りすがりの人たちの怪訝な視線に、松村は背中を向けざるを得ないのだった。
「ちぃと、厄介なことになったなぁ~」
眉をしかめる松村の背中に、声が飛んで来た。
「よ~し!それなら、こっちのイイおじさんとご飯食べようか。その“変なオジサン”が、ここでお母さんを待っててくれるからね~。すぐ近くのお店で、何か食べよう。おいで!」
マチコでシビレを切らしていた澤井が、ニヤニヤして立っていた。
「そりゃないよ、澤井さん。どうせなら、一緒に行けばいいじゃん」
「この子たちのお母さん、どうすんだよ?お前が先に面倒見たんだから、最後までちゃんとしろよ。じゃ、お二人さん、行こうか~♪」
日頃から「子どもは、可愛い娘がイイよ」とこぼす独り者の澤井だけに、目に入れても痛くないようなようすだった。
妹のみきは食欲にあっさりと負け、「バイバイ~」と素っ気ない態度を松村に見せて、澤井の手を握った。
「ちぇっ!まぁ、今日のところは仕方ないか。約束した時間に遅れたし。ほら、さっちゃんも行っておいで。オジサンも知ってる、素敵なオバサンが美味しいご飯を作ってくれるよ」
そう言った松村の腹が、グゥと鳴った。
「あっ!ははは、オジサンも腹ペコだよ」
松村は笑いで誤魔化すと、心配そうに見つめているさちこの肩を押しやるのだった。
あどけない少女を前にしたマチコのカウンターは、俄然、賑やかになった。二人の皿には、若かりしパパの頃を懐かしむオジサンたちから、ご馳走がふるまわれた。
みきを膝に乗せた澤井は、ぎこちない箸使いを治してやりながら、宮部や顔見知り客に酒を奢るほど上機嫌になっていた。
その隣に、さちこが背筋をしゃんと伸ばして座り、曽祖父のような津田と受け答えしている。臆することなくハキハキと答えるさちこに、真知子は「躾のできたお譲ちゃんねぇ」と感心しきりで、好きなものを食べていいとほほ笑んだ。
「ところで、さちこちゃんのお母さんは、どこへ行ったんかな?」
津田が、消したタバコの煙を手であおぎながら訊いた。
「お仕事を探しに、ハローワークへ行ってるの」
ハローワークはマチコから目と鼻の距離にあったが、この時刻まで子どもを公園に置いて行くことに、津田や真知子はワケありの家庭事情を察するのだった。
「……そうか。心配せんでも、大丈夫やから。さっきのオジサンが、お母さんをここへ連れて来るよってな」
津田の言葉に、さちこは「あのオジサン……」と黙り込んだ。
しかし、真知子の視線を感じて、はぐらかすように「きっと、お腹ペコペコだよ」と言った。
その時、玄関がガラリと開いて、松村と髪を短くカットした女性が現れた。
偶然にも、女性のまとっている茶色のコートは、松村と同じような仕立てで、二人はペアルックのようにも見えた。
「おっ!ほら、お母さんだ!」
澤井の声に、みきが膝から滑り降り、女性の懐へ飛び込んだ。
さちこも無造作に箸を置いたまま席を離れたが、並んだ松村と母親の姿を前にして、唖然としていた。
「ごめんね、遅くなって……皆様、本当に、ありがとうございます」
みきを抱きしめて律儀なおじぎを繰り返す母親に、津田は「ほらなぁ。このお母ちゃんにして、この娘さんありや」と嬉しそうに澤井とお燗酒をなめた。
2年前に主人を病気で亡くしてから派遣社員などして働いているが、最近は就労条件が厳しくて、職探しに時間を割く毎日だと、母親はしばしの間、近況と心情を語った。
津田はじっと目を閉じていたが、指先の落ち着かない動きには職場環境へのはがゆさが覗いていた。みきをじっと見つめる澤井は、津田とは対照的にあからさまに憤り「国は、母子家庭の支援策を改善しろ!」と叫んだ。
話がひと段落すると、真知子は一家をテーブル席へいざなった。しかし、母親は「見苦しいとこをお見せしました。もう、失礼しますから」と、さちこを目でうながした。
「……いやだ。もう少し居たい」
さちこは、母親に上目づかいすると、視線をそのまま松村に向けた。そしてひと言、「オジサン、ポケットに手を入れてもいい?」とつぶやいた。
「うん!?どうした?」
松村が答えると、母親がはっとして自分のハーフコートと見比べた。
「……このコート、主人とお揃いだったんです。さちこは、主人の後ろから抱きついて、コートのポケットに手を入れるのが好きでしたから……」
真知子やカウンターの客たちの顔に、切なげな表情が浮かんだ。

松村は小さく頷いて「お父さんの手、あったかかっただろ?」と、さちこにほほ笑んだ。
「うん!ポケットの中は、もっとあったかいの。ねっ、みき!」
母親の腕の中で、みきが何度も頷いた。
松村は、「じゃ、行きますか」と母親につぶやくと、ゆっくりとさちこへ背中を向けた。
「和也、ゆっくり駅まで、送ってこいよ。待っててやるから」
「うむ……今日は、わしの奢りやさかいな。戻って来たら、ええ酒、飲みや」
澤井と津田の声に、松村が目じりをほころばせた。
「オジサンのコート、あったか~い!」
「さっちゃんの手、柔らか~い」
ポケットに手を入れてきたさちこに、松村が答えた。
真知子と母親が、嬉しそうに目を合わせた。
「あ~!オジサン、お父さんみたい~!」
はしゃぐみきの瞳の中に、茶色のハーフコートが映えていた。