Vol.18 独楽

マチコの赤ちょうちん 第一八話

 「さあさ、お正月、お正月!パーッとやってくださいよぉ。今日の酒はうちの奢りですからね。ご贔屓のマチコさんだけへの特別サービス!じゃんじゃん飲んでください」
秋月商店と染め抜いた半被を着るその男が、真知子の店内を忙しく歩き回っている。五十歳前後と見える出っ腹な体型を、水色の布地がよけいに目立たせた。
カウンターに座る澤井や松村はうんざりといった表情だったが、新年宴会もたけなわの団体客たちは、しごく満悦して、男から枡酒を受け取っていた。
「真っちゃん、何だいありゃ?獅子舞いならまだしも、賑やかな野郎だなぁ」
暖簾をくぐった辻野が、新年の挨拶も忘れて目を丸めた。
玄関には蓋を割った中サイズの酒樽が据えられ、杉のいい香りを漂わせている。
「ごめんね。でも、悪気はないから許してあげて。あの人、宮部さんていって、酒屋さんの営業マンなんだけど、今年からウチの恒例行事にするってきかないのよ」
ささやきながら片目をつぶる真知子に、三人は呆れ顔を見合わせた。
「しかし、商魂たくましいってか。ありゃ、講談師顔負けだね」
澤井がとっておきの大吟醸を舐めながら、冷ややかに一瞥した。
「うん、確かに。でも、今は日本酒も売れなくて大変だからなあ。焼酎や発泡酒ばっかりだもんね、どこ行っても。地酒党の俺としては、非常に嬉しいな。ああいう営業マンがいると、やっぱり日本酒だよなってことになるじゃない」
松村がテーブルに積まれた枡を取り、樽酒を注ぎに行った。
「あの人ね、以前は物静かだったの。配送の現場責任者を20年もやってた。でも、いろいろあってね。自分で自分を変えたんだって」
ひょうきんな仕草で団体客のご相伴にあずかる宮部に、真知子は憂いを含んだ眼差しを送っていた。
そろそろ看板前となり、大方の客も引き揚げ、澤井たちの前にも空のお銚子が転がっていた。座席の間を縫いながら片付けを手伝う宮部に、酔い心地もよさげな辻野が声をかけた。
「あんた、人間ができてるねえ。気に入ったよ。今度からあんたんとこで、俺も買うことにする。そっちが片付いたら、一緒に飲まねえかい。なあ、真っちゃん。もう少しだけ、いいだろ?」
微笑む真知子が口を開きかけた時、半被をたたみながら宮部が答えた。
「ありがとうございます。せっかくですが、ちょいと顔を出さなきゃいけない所がありまして。申し訳ないんですけど、今日はお気持ちだけ頂かせてください」
「何だぁ、まだ仕事かよ。と、年初めから、そ、そんなにガツガツしなくたっていいんじゃないのぉ。よぉ」
酔いすぎて呂律のからんだ澤井を、真知子がとがめた。
「仕方ないじゃないの。宮部さんの都合もあるんだから。まったく、原酒ばっかりグイグイ飲むからよ」
澤井の前に氷水を置きながら、真知子は目で宮部をうながした。
姿勢を正した宮部は、深く頭を垂れ、格子戸を出て行った。
「何だよ、ま、真知子さん、やけにあの親父の肩を持つじゃない。ど、どう言うことよ?ねぇ」
「よさねえか。もう、いいんだよ。……あの人、見てくれとはちがうよ。何か悟ったような、落ち着きを持ってるな」
辻野の言葉に皆が静まった。柱時計が11時30分を打つと、真知子がおもむろに話し始めた。
「去年のお正月に、職場の仲間を全員亡くしたの……交通事故で」
宮部は、二年前まで出荷現場を仕切っていた。そのまま定年を迎える方がむしろ幸せと割り切っていた矢先、組織の再編成が始まり、小さな営業所へ異動となった。
その年の暮れ、殺到する得意先の注文を何としてもやりこなさねばならない宮部は、社員でのスキー旅行を返上することとなった。
現場業務を忘れられず、営業回りに逃げ腰の一年だった。そんな弱気がツケとなって返って来ていた。
だが、若手営業マンも女子社員も彼を手伝い、どうにか大晦日の夕刻には形をつけ、それぞれが旅の支度にかかった。残るは、宮部の売上伝票の処理だけだった。
初日の出を迎える頃、ようやく宮部は残務を終えた。晴れ晴れとした気持ちで煙草を一服した途端、机の電話が鳴った。
受話器を割るような警察官の甲高い声に、宮部は茫然と立ちつくしていた。越後湯沢を目指し雪道をひた走るマイクロバスが、渓谷に転落したのだった。誰一人助からなかったその事件のことを、真知子は新聞で知っていた。
「それから半年後だった。梅雨明け頃から、宮部さん変わったの。妙に明るくなってね。去年の暮れ、年明けの準備をしてる時に、その樽酒の件で来てくれて。私、訊いてみたの。どうしてって」
「どうだって……」
酔いの醒めてきた澤井が、上目使いで真知子に訊ねた。
「これですよ、って……このコマを指差すの。宮部さん」
カウンターに置かれた正月用のコマ飾りを、真知子は目で示した。
木製の大きなコマは、漆塗りの縞模様が鮮やかだった。
「コマって、独楽と書くのね。独りでも楽しくって。宮部さんは亡くなった人たちの分まで、お客さんと接するように決めたの。いつまでも回り続けるんだって……そう言ってた。あのお正月を、ずっと忘れないためにも」

 ふうっと、溜息とも感心ともつかない声を、松村がもらした。
「独りじゃ、回れねえもんなあ。……回してくれる人がいて、喜んでくれる人がいてこそ、楽しいってことだな」
そう言って辻野は、ひっくり返された空の酒樽の上で、コマを回した。
縞模様が入り混じり、温かな朱色を描いていた。