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名倉山酒造株式会社 ~蔵主紹介




深い森としじまに響く、厳かな祝詞。鄙びた木造の社殿で、玉串を手にして清め祓う宮司。その前に列座するのは、会津若松市近辺に営む蔵元たちです。
あたりは幽玄な気配に包まれ、その奥ゆかしい風情と光景に、取材スタッフは感動を憶えます。

ここは新潟県と福島県の県境、西会津町の外れにひっそりと建つ「松尾真福寺」。酒の神・松尾神社を奉るこの境内で、秋大祭の御水取り神事と醸造講社祭が挙行されているのです。名倉山酒造を訪問した日、筆者は松本 健男 社長からその情報を聞き、「またとない機会、ぜひ取材を!」と急遽、同行をお願いしました。
一社ずつ、柄杓で汲まれた御神水を賜り、それを自社の蔵に祀る松尾神社へ奉献し、酒造りの安全と繁盛を祈念するのです。

「とても静謐な雰囲気で、良かったでしょう。こういう空気は、酒造りを司る立場として意義深い経験です。お酒そのものだけでなく、その歴史背景が教えてくれる伝統的な価値や文化を、これからも大事にしなければいけませんね」と終了後の松本社長。
集まった7、8社の蔵元たちと親しげに話す姿に、福島県酒造組合の要職にあって業界をリードする人となりを、あらためて感じます。

松本社長は、昭和32年(1957)に長男として誕生しました。冬になれば杜氏や蔵人たちと暮らす日々の中、物心がついた頃には、何となく蔵元としての将来を予感していたそうですが、本心は将棋のプロ棋士になりたかったとか。
地元では負け知らずだった大学生時代、武者修行とばかり関西へ向かい、つわものの小学生と対局しました。ところがコテンパンに打ち負かされて夢から覚めたと、破顔一笑します。
「将棋を仕込んでくれたのは、蔵人たちなんですよ。私が子どもの頃は、いつも傍に彼らがいました。先代の鎌田 元八 杜氏と同じ台所で食事をし、若かりし鎌田 敬次 杜氏に遊んでもらったり、将棋をさしたり。そんな蔵元と職人の近しい関係を、ずっと大切にしています」と松本社長はおだやかな表情で語ります。

中学生の時には未来の酒造家としての才を発揮し、酒税法違反とも知らずに、冬休みの自由研究の題材として酒造りにチャレンジ。カルピスに酵母菌を入れて発酵させ、それを繰り返し、酒もどきの液体を造ります。最後は失敗に終ってしまいましたが、その原因は、アルコール添加と火入れを知らなかったためでした。

「そんなことができたのも、蔵人と家族同然の暮らしがあったからだと思います。ですから、毎年皆造を終えた彼らと別れる日は、物悲しかったですね。蔵だけでなく、胸の中まで空っぽになってしまうようでした。今でも、3月になって杜氏たちの部屋の鍵を閉めていると、涙がこぼれそうになります」
少年時代を懐かしげに振り返る、松本社長。どことなく、その瞳は潤んでいるように見え、純粋な人となりが浮かびます。
松本社長が蔵元四代目となったのは、昭和61年(1986)。父の英治が58歳で急逝し、名倉山酒造の将来は、弱冠29歳の松本社長の双肩にずっしりとのしかかったのです。

しかし、この艱難辛苦が松本社長のチャレンジ精神を掻きたて、勇躍させることとなります。それは、やはり代々の血がなせる本能の業だったのでしょう。
見直すべき技術や設備は多々ありましたが、何よりも大事に考え、試行錯誤したのは、蔵人たちの心身の負担にならない安全で清潔な製造環境を作ることでした。

今回、名倉山酒造の製造現場を歩いた筆者は、塵ひとつ落ちていない各工程に思わず目を釘付けにされました。さらに、松本社長が杜氏・蔵人たちと創った無駄のないアイデアいっぱいの設備には、驚きの連続でした。

「お金をかけた高価な機械が、果たしていい設備でしょうか。もちろんハイテクのサーマルタンクや甑などは仕方ありませんが、簡単な設備なら、その理論が分かりさえすれば自分たちでも創れるんじゃないかと気づいたのです。少々不恰好な設備でも、それが完成するまでのお互いの気持ちやコミュニケーションの深さが、良い酒造りにつながると思いました」
翌年の4月、名倉山酒造は東北新酒鑑評会において優等賞を獲得。その栄誉は、今年も含めて17年間連続受賞という快挙へと発展しているのです。

すでに全国新酒鑑評会金賞も受賞した名倉山酒造ですが、松本社長は、ここ数年の日本酒の低迷を危惧しながらも、新しいモチベーションを持つ酒造りに心血を注いでいます。
「しいて名倉山の酒って、どんな味が理想なのかと言えば、ちょっと甘薄く、ほのかな吟醸香があって、優しく体になじむことです。香りや味が突出しないことですね。そのためには、新しい酵母や設備に頼り過ぎずに、昔から当社が培ってきた技と細やかな仕事で、ごく自然に吟醸香や旨味を引き出していくことが大事です」

例えば、何が何でも全国新酒鑑評会金賞の金賞を獲る、そのための酒質は細部にわたってかくあるべきだと理論武装するような酒造りは、もはや名倉山酒造に必要ないと松本社長は言います。
その理由は、自ら経験した全国新酒鑑評会金賞での落選と当選の妙味。絶対の自信で臨んだ年にあえなく落選し、落選と思った年にみごと受賞。結果として、松本社長の中にわだかまっていた“金賞酒には何が重要なのか”が、はっきりと見えたそうです。

「私も杜氏も近視眼的になっていました。点の情報ばかりを追いかけ、大局をとらえていなかったのです。それ以後はチェックすべき大きな課題が分かり、金賞に通るか落ちるか、こちらの予測が先に立つほどになりました。しかし、近年はまた難しくなってきましたね」

いずれにしても、金賞にこだわるのではなく、これからは「名倉流」の酒造りがテーマ。それは高い品質や味わいとともに、より酒に魅力を感じてもらえる価値観を社長、蔵人、社員みんなで見出していくことだそうです。
「素直で、柔らかくて、温かい味。会津人の心と似たところが、名倉山の個性でしょうね」と、松本社長は付け加えました。


名倉山酒造の名を全国に伝播する銘酒「月弓」シリーズは、名倉流の真骨頂と言えるでしょう。発売するやいなや、平成8年(1996)雑誌・特選街の全国日本酒コンテスト純米酒部門でグランプリを奪取し、一躍脚光を浴びたのです。
その品質には、福島県の開発した「うつくしま酵母」と鎌田 杜氏が研鑽を重ねた「9号香露酵母」をブレンドし、芳しい香りと米の美味しさが上品に織りなされています。「実は、酒質そのものよりも、私はパッケージやラベル、ネーミングをまず検討しました。名倉流の酒の顔とは、その伝統とは、そのシズルとは、そのストーリーとは……さまざまな角度から名倉山の魅力を観察し、お客様の心を揺さぶる価値を考え、完成したのが月弓の銘でした」
漆黒の夜空に冴える、刃のごとき三日月。月夜を仰ぎ見るような鶴が城。目にした瞬間、どことなく会津の儚さ、もののふの心を偲ばせ、心が澄みわたるような味わいを期待させます。

飲む人がそんな期待を抱く酒、それに応えて感動を贈る酒こそ、松本社長の考えている名倉流のようです。また、吟醸香とすっきりとした口当たりを優先した「月弓かほり」も登場し、女性ファン層を広げています。

松本社長は、近いうちに、祖父や父がそうしたように初代・善六の名を襲名すると言います。その価値と意味も“名倉流”にあることを、読者の皆さんはすでにお分かりでしょう。やがて五代目となる長男のためにもそれは必要でしょうと、松本社長は言います。
「長男は、後継者の道に進むことを納得しているようです。当社は東京農業大学醸造学科の学生たちの研修を受け入れており、毎年この時期になると蔵へやって来ます。そこで、昨年の数日間、私の息子を彼らと生活させたところ、思いのほか自我を持った会話を交わしていたのです。学生たちが帰京する時には、ちょっと涙ぐんで感傷的になっていました。私が善六を継承することで、彼も将来の自分の姿を想い描いてほしいですね」と松本社長は目を細めます。

蔵人の心を慈しみ、酒の価値を知り、飲み手の心を潤わす蔵元・名倉山酒造。
その温かくも凛とした流儀は、これからも会津の心とともに、代々に続いていくことでしょう。