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原酒造株式会社 ~プロローグ


夜空を千変万化に彩る、色とりどりの大花火。いつもは漆黒の闇に漁火を揺らめかせる日本海も、この日ばかりは幻想的なステージへ様変わりします。
新潟三大花火と謳われるこの「海上大花火大会」は、柏崎市を代表する夏の風物詩です。毎年7月末に催される「ぎおん柏崎まつり」のメインイベントとして知られ、港の周辺には県内外から20万人もの見物客が押し寄せます。

祭りには「民謡流し」や「樽にわか」などの神輿も繰り出し、真夏夜の街を3,000人以上の市民が練り歩きます。神輿を飾る樽には今回の訪問蔵元・原酒造「越の誉」の銘柄も見え、威勢付けの御神酒がそこかしこで振舞われています。

江戸時代に北前船航路の港として栄えた柏崎は、明治時代から昭和初期まで、満州など大陸への貿易港として栄えました。しかし、近年はコンテナヤードの規模も縮小し、むしろベイサイドの観光化・海浜リゾート化に力を注いでいます。
と言うのも、美しい弧を描くような海岸線を持つ柏崎市は12の海水浴場を備え、戦前から新潟の夏の観光地として人気を呼んでいました。現在も、海開きとともに浜茶屋が軒を連ね、一番人気の「鯨波(くじらなみ)海水浴場」の砂浜にはカラフルなパラソルがひしめきます。
近年は「みなとまち海浜公園」でパワーボート、ウインドサーフィンの世界大会や水上バイクの全日本選手権なども催され、シーサイドエンターテイメントのメッカとして注目されているのです。

それでは柏崎自慢の海岸線から市内までをグルリと巡ってみましょう。
柏崎には歴史的な史跡も多く、新・旧の文化コントラストを目の当たりにすることができます。
柏崎港を見下ろす切り立った岬には、遥か沖合いの佐渡ヶ島を見つめる「日蓮」の銅像が立っています。この番人岬(ばんじんみさき)は、文永11年(1274)佐渡への島流しの罪を解かれた日蓮が上陸した地と伝わっています。

文応元年(1260)、日蓮は48歳で法華経を礎とする「立正安国論」を著し、当時の鎌倉幕府の前執権・北条 時頼に献上しました。
しかし幕府は、法華経を信じなければ国が三災七難を受け、天下の治乱が勃発すると予言した日蓮を捕らえ、伊豆から佐渡へと流刑に処します。
折りしも、当時ユーラシア大陸を掌握した大帝国・蒙古が幾度となく日本へ遣いをよこし、不条理な交易を求めていました。
この返答を渋る幕府に対し、蒙古は大軍を以って攻撃すると通告してきたのです。
幕府は日蓮の「立正安国論」が的中したと考え、文永11年(1274)彼を特赦し、本土への船を出します。そして、当初は隣接する寺泊に上陸する予定でしたが、嵐のためこの番神海岸に流れ着いたのです。
その後、岬の上には番人堂(ばんじんどう)が建立され、今なお、日蓮を崇める人たちの香華が絶えません。

さて、まぶしい夏の光芒を浴びて車を走らせれば、番人海水浴場、鯨波海水浴場と紺碧の渚が続きます。この界隈の観光客、家族連れで賑わうのが、「日本海フィッシャーマンズケープ」。 毎朝、地元で水揚げされたばかりの新鮮な魚介類がどっさりと並び、日本酒ファンにも見逃せないシーフードモールとなっています。
この周辺には、柏崎トルコ文化村や風の丘コレクションビレッジなどのテーマパークも開設され、丘の上には“エネルギーの町”・柏崎のランドマークである巨大な風車がそびえています。

そして、海岸線をさらに下れば、日本で一番海に近い駅「JR信越線 青海川(おうみがわ)駅」があります。青い海を背景にしたこの駅は、テレビコマーシャルにもよく使われています。
誰もいないホームに佇み、眺める、果てしない日本海の水平線……叙情的な感動が、胸に去来します。


ここで、車を柏崎市民の崇敬する「米山(よねやま)」へと向けましょう。
米山は柏崎市と中頸城郡柿崎町との境界にそびえる、標高993mの山稜です。古くから「米山さん」の呼称で山岳信仰を集め、頂きに建立されている米山薬師は“雨乞いの霊験あらたか”と言われています。
中越地方の農家では、飢饉や旱魃、洪水を防ぎ、五穀豊穣を祈る山の神として、代々崇めてきたそうです。
この米山の麓は手つかずの自然に包まれ、春から秋は、まさに山紫水明の里。清流・谷根川のほとりに建つ小学校は、県外からの体験学習生を認める特認学校となっています。
そして、冬になれば米山の稜線は白銀の雪に埋もれ、その雪解け水は地下深くに染み込み、数十年の歳月を経て柏崎一帯を潤すのです。
この米山の伏流水こそが、柏崎の名酒・越の誉を育んできた天恵水なのです。


また、米山信仰と縁深い人物に、木喰上人(もくじきしょうにん/1718~1810)がいます。
木喰上人は、米・粟・麦等の五穀を断ち、塩味・火食せず、そば粉・木の実を粉にして水で溶いた物を常食とする100日間の木喰修行を生涯貫いた高僧です。
甲斐国(現・山梨県)に生まれ22歳で出家、45歳で木喰戒を受け、56歳の時に廻国修行の旅に出発。諸国を行脚しながら1,000体以上の仏像を彫り、その途上、柏崎にも逗留し数体の仏を残しています。蝉時雨の中、市街の一角には往時を偲ばせる仏像が黙座していました。

このように、日蓮、米山さん、木喰上人と、どうやら柏崎は昔から信仰心の厚いお国柄のようです。
余談ですが、かつて戦国時代には一向宗が拡大し、越州を攻め上ろうとする織田 信長を悩ませました。

また、慶長3年(1598)に越前北庄城18万石から、越後春日山城45万石へ転封となった大名・堀 秀治は、旧来の領主だった上杉家の治世を叫ぶ領民一揆を鎮めるため、在郷の古刹、鎮守社を訪れ、徳川家の上意を広めています。
鵜川神社もその一つ。柏崎市内を流れる鵜川に由縁するこの神社の境内には、樹齢1,000年を超える大欅がそびえ、堀 秀治はこの大幹に領国太平を祈願したそうです。
この鵜川神社のほど近くには、明治時代以後、越佐地方の発展に貢献した飯塚家の旧邸宅が史跡として残されています。地元の大庄屋として、特に明治から昭和初期の経済界、政界において活躍した旧家で、昭和22年(1947)10月には、昭和天皇の御行幸に際し、柏崎の宿泊所となりました。
この時、宮内庁より「秋幸苑(しゅうこうえん)」の銘々を拝受しました。広大な純和風の庭園は、秋には錦繍を飾り、訪れる人々を魅了してやみません。そして、この飯塚家と並び、地元の名門として継承されてきた蔵元が原酒造株式会社です。

夏盛りの柏崎で清冽な米山の水を味わえば、きっと誰もが、美酒・越の誉の極上の味を得心します。
厳しい冬景色、清らかな雪解けの伏流水を想いつつ、今宵はキリリと冷えた生酒を一杯……やがて始まる酒造りに期待しつつ、柏崎の銘醸物語を始めることにしましょう。