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株式会社萬屋醸造店 ~歴史背景

萬屋醸造店の創業は、寛政2年(1790)。初代当主・萬屋八五郎が、現在の地に酒蔵を開いたことに始まります。
江戸時代も後半にさしかかったその頃、増穂の地は川舟や筏を利用した物流拠点として賑わっていました。
甲斐や諏訪地方から年貢米を運び出すために、「甲州三河岸」と呼ばれた鰍沢・青柳・黒沢から河口の岩淵(現・静岡県庵原郡)まで川下し、ここから海運の拠点の蒲原浜へ陸送した後、清水湊へ海上輸送して廻船で江戸へ送られたそうです。
思うに、甲斐の里村からは銭を稼ぐために船頭や荷揚げ人足の職を求める男たちが集まり、そうなると旅籠や茶屋(居酒屋)も軒を連ねるわけで、萬屋醸造店が繁盛したことは想像に難くありません。
当初の酒銘は、「一力正宗」。どことなく力仕事をこなす男たちに好まれそうな、馬力が出そうな名です。

しかし、このブランドは、鉄道や道路など新たなインフラが登場したことで増穂の里が物流拠点から美しい山紫水明の観光地へと移り変わると、時を同じくして生まれ変わりました。
昭和8年(1933)、歌人である与謝野鉄幹・晶子の来訪により、今日のブランド「春鶯囀(しゅんのうてん)」へと変更されることになったのです。

与謝野晶子に命名されたと言われる「春鶯囀」ですが、当初から彼女がこの名を萬屋醸造店に贈ろうと考えていたわけではありません。
その奇遇なエピソードを、蔵元八代目の中込 元一郎 代表取締役社長が解説して下さいました。
「その年の秋のことですが、お二人は文学交流を通して親しくなったフランス文学者・中込 純次の邸を訪れます。つまり、その人物が私の先々代にいらした人物でして、お迎えした邸というのが、一力正宗で知られる萬屋醸造店だったのです。この時、与謝野ご夫妻は地元の野趣に富んだ料理と当家の酒に舌鼓を打たれまして、昌子様が詠じた和歌は『法隆寺などゆく如し 甲斐の御酒(みき) 春鶯囀のかもさるゝ蔵』というものでした。この歌に感動した六代目当主だった祖父の旻は、酒銘に拝受して、以来「春鶯囀」へ変更したのです」
フランス文学者の家人が育つところからも、中込家の品格と地位が計り知れます。与謝野夫妻が懇意にしていたほどですから、中込 純次 氏は、在野の人とはかけ離れた賢哲だったのでしょうと、中込社長に念を押してみると、誰何した通 りの人物でした。

「与謝野 晶子様は、大正期に西村 伊作 氏、石井 柏亭 氏などの著名な芸術家と交流し、“完全な個人を創る”を教育テーマに掲げる『文化学院』を設立されました。その初代学監に晶子様が就任し、萬屋醸造店六代目の旻の弟・純次が、この学院へ入学して、後年フランス語の教授にもなったのです。ですから、晶子様の愛弟子と言っても、過言ではないでしょう。また、旻の母・さとじも、与謝野ご夫妻を敬愛し、御手紙をやり取りする間柄でした」
そんな良縁から与謝野夫妻は甲州の旅を望み、萬屋醸造店への来訪が実現したのでした。
ちなみに「春鶯囀」とは、中国・唐の高宗皇帝が鶯(うぐいす)の妙なる鳴き声に耳をすまし、その感動をもとに音楽家に作らせた曲名のことだそうです。

さて、戦前戦中の統制を乗り越えた萬屋醸造店を、昭和27年(1952)に七代目当主・中込 平一郎が株式会社萬屋醸造店へ改組します。法人組織としての第一歩を、踏み出したのです。
これを機に、萬屋醸造店は戦中からの流れであったアルコールと糖類添加の酒造りを徐々に削減。そして昭和51年(1976)、醸造用糖類の使用を止め、いわゆる三増酒の廃止を高らかに謳いあげます。
昔ながらの純米酒とは異なる、アルコールと糖類を添加した酒造りは、江戸期より甲斐の上質の米を使った酒造りを営んできた中込家にとって、耐え難いものだったのでしょう。

さらに同53年(1978)には、春鶯囀を当時としては珍しい純米酒で発売します。
翌年には、富士山の湧き水を使った純米酒「富嶽」を商品化し、この頃から純米酒志向を強めていきます。
察するに、創業者・萬屋八五郎の時代には、巨摩の深山幽谷から湧く沢水が地元米の旨味を際立たせていたはず。長年その地に暮らしていた蔵元・中込家だけに、比類のない上質の純米酒を求めたのでしょう。

そして平成元年(1989)には、新しい蔵が完成。その5年後に萬屋醸造店は、純米蔵の真髄を追求すべく、肥沃な滋賀県大中地区で有機農法による酒造好適米「玉 栄」の契約栽培に着手しました。
期待通りの成果を掴むと、同8年(1996)いよいよ地元・増穂町で「玉栄」の栽培を開始します。この新たなプロジェクトのリーダーとして活躍したのが、平成10年(1998)より代表に就任した、中込 元一郎 現社長でした。
地元産の酒造好適米を使った純米酒「鷹座巣(たかざす)」が完成すると、萬屋醸造店の製造全量 に占める純米酒の比率は、驚くことに79%に達し、全量の平均精米歩合も58%という高さを実現したのです。

さらに、同13年(2001)には、地域文化への貢献を担った旧蔵を改造した酒蔵ギャラリー「六斎」をオープン。ここを地域の優れたアーティストを始め、世界的な活躍をするアーティストの個展や当蔵の旬の酒をテイスティングできる空間として一般 公開しています。
その中込家の志には、歌聖・与謝野 晶子が綴った春の増穂の風情と鶯の囀りが息づいているようです。
ほのかな山桜を愛でながら味わう、一杯の春鶯囀……萬屋醸造店の美酒には、日本の心が醸されていました。