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株式会社宮﨑本店 ~プロローグ

チィチィと川面をすべるように飛び去る白い影……「おっ!いたいた、ユリカモメだ」と、思わず取材スタッフに声が上がります。その愛らしい姿は、ここ三重郡楠町(くすちょう)のシンボル。伊勢湾へと注ぎこんでいる鈴鹿川河口の中洲には、ほかにも白サギやウミウなどが群れ遊び、野鳥たちの愉楽の園となっているのです。
広大な四日市工業地帯に隣接する楠町ですが、のどかな風景の中を流れる鈴鹿川はそんな気配すら感じさせません。その上流は、遥かに望む鈴鹿山脈に発しています。
神話によると、東国へ向かう途中の大海人皇子(おおあまのおうじ)が洪水に難渋していた時、鈴をつけた1頭の鹿が現れ、その背に乗って川を渡ったと伝わっています。
鈴鹿山脈の最高峰は、標高1.209mの御在所(ございしょ)岳。さらに国見岳、鎌ケ岳、入道ケ岳などが連なり、古くから山岳信仰の聖地として崇められ、登山者の波が絶えません。その山肌や頂には人力で運ぶことなど不可能な巨石・奇岩が点在し、巡礼者を感動のパノラマへと誘います。

当初、楠町は何の変哲もない閑静な町並みに見えましたが、思いがけず、古い甍や史蹟に出逢うこととなりました。歴史ロマンを秘めた小さな旅のスポットが、そこかしこにたたずんでいるのです。
鈴鹿川のほとりに聳える、1本の大きな楠。ここは「楠城跡(くすじょうあと)」と呼ばれ、文字通 り、町名由来の場所と言っても過言ではありません。
楠城は、正平24年(1369)南北朝時代の守護大名・北畠氏の命を受けた信濃国の豪族・諏訪貞信(すわ さだのぶ)が築城。当時は砦のような館で、その後、応永19年(1412)に楠正成の後裔と伝わる楠 正威(くすのき まさたけ)が領主として入城しています。

建武3年(1336)の湊川の戦いに敗れて離散・隠遁していた楠氏の一派が、吉野山中から鈴鹿峠を越えてやって来たようです。
楠氏の治世は以後170年間にわたり、地元領民から慕われました。現在、城跡周辺には田園風景が広がっているだけですが、その頃は門前市を成すような賑わいでした。
城跡近くに建つ「楠村神社(くすむらじんじゃ)」は今もこの界隈の鎮守社として崇められ、鄙びた鳥居や石畳が往時の風情を偲ばせています。

群雄割拠の時代となった永禄11年(1568)、天下布武を掲げる織田信長と伊勢の土豪たちの熾烈な戦いが始まりました。その原因は、領民たちの深い一向宗信仰でした。
織田軍の武将・滝川 一益(たきがわ かずます)は、信長の次男・織田 信雄(おだ のぶかつ)とともに北畠氏討伐を開始。これにより、七代目の楠 正具(まさとも)は織田軍に徹底抗戦します。
しかし、北畠側が降伏すると楠城は孤立無援の状態、正具は石山本願寺の蓮如に救いを求めました。これが十数年続く石山合戦の原因にもなり、有名な伊勢長島の戦いへと発展しています。
正具は大坂・石山本願寺の戦いで討ち死にし、その後、織田 信雄の旗下となった楠氏でしたが、天正12年(1584)小牧・長久手の合戦で八代目・正盛(まさもり)は織田信雄と袂を分かった羽柴秀吉に討たれ、ここに楠一族は滅亡したのです。

そして江戸期に入ると、楠町は菰野(こもの)藩、長島藩(ながしま)藩などの小藩に挟まれる天領となりました。
寛永年間(1624~1643)には、楠家の菩提寺である正覚寺(しょうがくじ)が徳川親藩の桑名藩によって再建されています。この曹洞宗の古刹は、正平16年(1361)創建。織田信長によって焼き討ちされたままでしたが、桑名蔵主・松平 定綱(まつだいらさだつな)の命により修復されました。境内にひっそりと立つ石碑には、「楠」の字が刻まれています。夏虫やつわものどもが夢の跡……絶え間ない蝉の声が、鎮魂歌のように境内に響きわたります。

さて、太平の世から近代に至る楠町は、伊勢湾に臨む港を中心とした産業に支えられてきました。峻険な鈴鹿の山々を越えて近江や京・大坂を目指すよりも、黒潮に乗る廻船を利用すれば、江戸や遠州、果ては陸前から松前まで大量の物資輸送が可能でした。
実は、宮﨑本店の商品には純米吟醸酒「宮嶋丸(みやじままる)」がありますが、この銘柄は、当時宮﨑家が所有していた大型和船に由来しているそうです。
また、中京工業地帯が完成するまでは、伊勢湾の沿岸漁業も活発でした。
東海道五十三次の名物で知られる「桑名の焼き蛤」は楠町の吉崎海岸でも水揚げされ、桑名方面へ運ばれていました。

現在は、広大な「蛤の貯養場」を設置し、中国から輸入した稚貝を伊勢湾の海水で育て上げています。そのシェアーは、驚くなかれ国内需要の70%を占めているのです。
つまりは、鈴鹿山麓からの滋養あふれる水は、伊勢湾の豊かな海の幸も育んでいるわけです。


株式会社宮﨑本店は、鈴鹿川のほとりに重厚な蔵棟を並べています。その対岸の一角には錦鯉が泳ぐ清らかな用水路(井戸水)も巡らされていて、楠町が豊富な地下水脈に恵まれていることも証明しています。
訪問を前にして、筆者の胸に銘酒「宮の雪」への期待が高まります。
春から夏は、母のようにおだやかな陽射しと伊勢湾に育まれ、秋冬には厳しい父のような“鈴鹿おろし”に鍛えられてきた楠町。そして、「楠町に亀甲宮(きっこうみや)あり」と謳われてきた宮﨑本店……連綿と素朴な楠町の歴史とともに、鈴鹿のしずくを辿る旅に出てみましょう。