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齊藤酒造株式会社 ~プロローグ

伏見の町は、京都市の中心地から車でおよそ20分ほどの至近距離。しかし、馬や徒歩が移動手段だった江戸時代は、2~3時間ほどかかっていたようです。
そこで伏見の人々は、洛中へ出かける際に「京へ行く」と言い、今も伏見の老舗の人々には使われているそうな。今回の取材先である齊藤酒造株式会社も、300年以上前から伏見の地に暮らす商人の家格。さすれば、歴代当主はそのような言葉を使っていたのかも知れません。
そんなゆかしい伏見の町ですが、「近代の夜明けは、伏見から」とも言われます。
いわゆる激動の幕末に、維新回天を叫んだ勤皇の志士たちと尽忠報国を一途に貫いた幕吏たちがしのぎを削り、そこかしこで緊迫した事件が絶えませんでした。例えば、文久2年(1862)の寺田屋事件はその典型的な形でしょう。

現代ドラマや映画として観れば興奮するドキュメンタリーですが、当時の伏見の人たちにとっては、いささか傍迷惑な暴挙だったとも思えます。
そうした幕末動乱が最高潮に達し、ついに慶応4年(1868)正月、一発のアームストロング砲が、ここ伏見の地で炸裂したのでした。ちなみに、京阪電車・伏見桃山駅近くの料亭「魚三楼」は玄関先の紅殻格子に鉄砲の弾痕を残しており、当時の激戦を物語っています。
鳥羽・伏見の戦いに端を発した「戊辰戦争」は、やがて江戸城の無血開城、奥羽越列藩同盟との激戦をへて、函館五稜郭での榎本武揚らの降伏で幕を閉じ、ここにわが国近代の夜明けが始まったのです。

鳥羽伏見の戦いによって、伏見の街は紅蓮の炎に舐め尽くされ、灰燼に帰してしまいました。悲惨なことに逃げ惑う市民たちも戦渦に巻き込まれ、雅な風情を映していた宇治川流派に身を投じたと伝わっています。
多くの商人たちは焼け出され、一人また一人と、伏見の町を離れて行きました。
ようやく明治新政府が確立するものの、旧・幕府の直轄地だった伏見の町は、その機能を縮小されることとなります。

明治10年(1877)京都~神戸間に鉄道が開通し、京・大坂を結ぶ交通の要衝としての機能を失ってしまうのです。
太閤秀吉の伏見桃山築城の頃から淀川水運の拠点でありつづけた伏見港が、三十石船や高瀬船の往来する港町として栄えたのも、今は昔となり果てたのでした。
近代の夜明けを告げた号砲は、伏見の衰運を告げる警鐘ともなってしまったのでした。
ところが、その暗い影を拭ったのが、秀吉や家康にこよなく愛されていた伏見の美酒なのです。

桃山時代の末期から江戸時代半ばまで、伏見の酒は京都だけでなく、大坂の町へも運ばれていました。淀川を利用した三十石船、十石船が上り下りするようになり、伏見が川の港町として活況したためでした。
また、寛永12年(1635年)参勤交代制度が始まると、西国の大名たちは大坂から船で伏見港に上陸、数日逗留した後、大名行列を従えて東海道を江戸へ下りました。
このため伏見には多くの大名屋敷や陣屋が建ち、酒屋の数も急増、酒株制度が始まった明暦3年(1657)には83軒の酒屋が軒を並べていました。

ところが、天保年間(1830~1843)になると幕府は天領であった灘や伊丹の酒を優遇し、伏見酒が京の町へ入ることを禁止したのです。その理由は、大名たちが京都で良からぬ企てをしたり、密約を謀ったりすることを防ぐためでした。
結果的に、明暦の頃に比べ伏見の酒の石高は激減し、幕末には酒屋も3割ほどになっていたのです。
しかし、国家歳入に苦しむ明治新政府は、酒税を大きな財源として見込みます。
古い酒株制を廃止し、新たな免許制度で全国の酒造家を増やし、これによって伏見の地にも再び蔵元たちが集まり始めます。

名水に育まれている伏見は「伏水」と書いたそうで、“伏見の七つ井”はつとに知れわたっていますから、数多くの酒造家たちがこの地での操業を望んだことでしょう。
ことに御香宮神社の御香水(環境省の名水百選のひとつ)は、平安期に境内から病気に効く香水が湧き出たとの来歴があり、時の清和天皇にこの名を賜ったといいます。
天下に名高い伏見の酒はこうした豊富で良質な天然水で仕込むことによって、今も全国シェア1割に達する美禄を醸し出します。その蔵元たちの中で、ひときわ秀でた雅な美酒を醸しているのが、伏見屈指の歴史と伝統を誇る齊藤酒造株式会社です。

齊藤酒造の座右の酒である銘酒「英勲」は、平成18年 酒造年度の全国新酒鑑評会でも金賞を受賞し、12年連続金賞受賞という記録を打ち立て続けています。
その秀雅を極めるしずくには、伏見の酒造り哲学がたっぷりと醸されていることでしょう。