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梅錦山川株式会社 ~プロローグ

瀬戸は日暮れて、夕波小波……そんな懐かしい歌のシーンが、今日もこの海のそこかしこに揺れています。
ここは、愛媛県四国中央市の川之江。温暖な瀬戸内海気候に育まれ、“四国の屋根”と称えられる石鎚山系の恩恵にあずかる風光明媚な町です。

四国中央市は、平成16(2004)に愛媛県東端の川之江市(かわのえし)・伊予三島市(いよみしまし)・宇摩郡土居町(うまぐん・どいちょう)・宇摩郡新宮村(うまぐん・しんぐうむら)が合併して誕生しました。

中でも川之江の町は、四国の高速道路網の整備によって、香川県、高知県、そして徳島県へのポータルな分岐点に生まれ変わっています。東西約15kmの海岸線が広がり、近代においては製紙産業と漁業によって栄えてきた人口9万3千人の市で、平野部は広大な農地が広がっています。
その背嶺には急峻な法皇山脈が聳え、鬱蒼とした森からは豊かな天然水が湧き、地場産業と市民の暮らしを育んできました。
その美しいしずくは、今回訪れる銘酒「梅錦」も醸してきたのです。

夕凪の瀬戸内海へ航跡を残しつつ、波紋に美しい黄昏をにじませて行く船たち。大小の島影うつろう燧灘(ひうちなだ)の憧憬は、遥かな昔から、川之江の人々に安らぎを与えてきたことでしょう。
燧の文字の由来は、そもそも水軍の上げる狼煙にあるとか。古くは源平の合戦時代から中世の戦国時代にかけて、備讃瀬戸と呼ばれるこの海を縦横無尽に疾駆した海の民「塩飽(しわく)水軍」の合図だったようです。

水軍が根城にした大小28の島々は塩飽諸島と呼ばれ、卓抜した航海術で遠く東シナ海まで航海に出ています。比類なき操舵術は漁を生業としていたためですが、彼らの優れた統率力・軍事力を時代の覇者たちは旗下へ置き、歴史的局面にしばしばその名が登場しています。
例えば、足利尊氏が九州から再び上洛する際の水先案内、豊臣秀吉の朝鮮出兵、さらには幕末にアメリカへ航海した咸臨丸の水夫など、枚挙に暇がないほどです。
そんな島々の中で、川之江の町にほど近い伊吹島(いぶきじま)は燧灘のほぼ中央に位置しています。安山岩などからなる台地状の島で、島の周囲は険しい崖が取り巻いています。
伝記によれば、伊吹島の名の由来は、その昔、島の西浦の沖合いの海底からブクブクと気泡が湧き上がっていて、気噴島や息吹島と呼ばれていたのが、いつしか伊吹島になったとのこと。また、島に残る系図には「井富貴嶋」の字も見られます。
伊吹島は豊かな漁業資源に恵まれ、お隣の香川県名物・讃岐うどんのダシに欠かせないカタクチイワシ漁を主とする、煮干しイワシの生産が経済を支えています。
「いりこ」と呼ばれる煮干ダシに、ほんのりと薄口の小豆島醤油を合わせるのが、香川県から愛媛県にかけての郷土料理の基本です。その優しい風味の瀬戸内料理には、旨口の美酒・梅錦がふさわしいのです。

川之江は「紙の町」としても著名で、大王製紙を筆頭に大小さまざまな紙関連企業が建ち並んでいます。この製紙産業は、宝暦年間(1750)頃、宇摩郡小川山村で興り、江戸末期から明治維新頃にかけて、地元の篤農家たちによって振興されました。
小川半紙と呼ばれる手漉きの丈夫な紙は、法皇山脈の中央を流れる清流・金生川の豊かな水流と、山間部に生育する楮(こうぞ)や三椏(みつまた)を原料に生産されます。

幕末の頃の川之江には伊予と讃岐を結ぶ金毘羅道が通じ、法皇山脈を越えて馬立(現在の新宮町)を経て、土佐国に入る道筋もありました。これらの街道を伝って、川之江の和紙は四国の各藩へ販売されていたのです。
また、土佐からの道は、蔵主や重臣が参勤交代にも使用する重要な街道でした。
その途上、山内家の歴代当主たちが新宮村や川之江にあった本陣に逗留するため、宿場町としても賑わったのです。
また、川之江やお隣の三島の港は「弁天船」と呼ばれる廻船寄港地で、瀬戸内対岸の山陽地方や大坂からの出船入船が繰り返されていました。港には廻船業者が軒を連ね、数十艘の船が停泊していたそうです。川之江和紙は廻船にも積み込まれ、全国に出荷されたのではないでしょうか。

そんな紙産業の歩みを学習できるのが、四国中央市「紙のまち資料館」です。ここには、現代洋紙のあらゆる製品、手造りの和紙や水引細工など、川之江の紙文化を語るモチーフが展示されています。また、実際に和紙を漉くことのできる体験コーナーも用意され、地元の子どもたちや旅行者に活用されています。

川之江は、「四国遍路」の通過点でもあります。弘法大師ゆかりの八十八カ所の真言宗寺をめぐる遍路の旅は、江戸時代後半の文化・文政時代(1800年代初め)に最盛期を迎えました。先述の四国街道の整備が、きっかけとなったようです。
川之江にも、古刹の「三角寺」があります。ここは伊予国二十六カ寺の締めくくりの札所で、第六十五番札所。讃岐との関所寺も兼ねていました。
伽藍は三角寺山(標高450m)の中腹に建ち、急な山道と石段を登ると伽羅色の山門に迎えられます。寺内の苔生した石仏の笑みが、遍路旅の疲れを取り去ってくれることでしょう。
三角寺は天平年間(729~749頃)に、高僧の行基が聖武天皇の勅願で開いたと伝わっています。立派な大師堂と本坊の間には三角の池が配され、実はここで弘法大師が秘法を修し、護摩を焚いたと伝わっています。

三角寺周辺の小道には、時を越えて今も遍路人がたどる道標の石が残されています。そんな素朴でゆかしい金川の町に、梅錦山川株式会社も営んでいるのです。
西国の地酒として誉れ高き「梅錦」……その旨味と香りの粋を探るべく、四国川之江の町へと行脚することにしましょう。