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司牡丹酒造株式会社~プロローグ

澄みきった仁淀川の水辺に、蝉の声がしみ入ります。川面には小さな漁師舟がゆらぎ、夏の四国山地を背景にして素朴な沈下橋を映しています。何もない幸せ……そんな言葉が無意識に口をついて出る、まさに“原風景”。四万十川よりも美しい清流と称賛される川のほとりに立てば、手つかずの土佐の自然を実感するばかり。夏から秋にかけての休日、岸辺には天然鮎を狙う太公望たちの長竿が連なります。
今回の訪問蔵元・司牡丹酒造は、この仁淀川に恵まれる高知県高岡郡佐川町に位置しています。盆地特有の蒸し暑さに取材班は困惑気味ですが、冬の佐川の気温は氷点下まで冷え込むそうで、酒造りには格好の地と言えるでしょう。町の中心部には、ノスタルジックな土蔵壁が続く「酒蔵の道」が残されているそうです。
もちろん銘酒・司牡丹は仁淀川の伏流水から醸されると聞き、車窓から見え始めた酒蔵の煙突に筆者の心が躍ります。



仁淀川の流域は古代から肥沃な土地を広げ、ために高岡郡の一帯では農耕が発達し、格好の領地として争奪が繰り返されてきました。
13世紀頃には各集落ごとに地侍の居館が点在し、ここ佐川町界隈には佐川 四郎左衛門(さかわしろうざえもん)が城を構え、戦国期まで代々の所領にしました。

佐川氏は、元亀元年(1571)土佐の覇権を狙う長宗我部氏に屈しますが、その長宗我部氏も関ヶ原の戦い、大阪夏の陣に敗北し、また家督争いを徳川幕府によって咎められ、取り潰しとなります。
変わって、慶長6年(1601)土佐に遠州・掛川(現在の静岡県掛川市)領主であった徳川家の譜代大名・山内 一豊が入封しました。一豊は200名余の家臣団とともに大坂から船で出航。翌年の正月早々に家臣団の役職配置を行い、弟の山内 康豊には中村地方の二万石を与えて支藩を設け、佐川一帯の一万石を筆頭家老であった深尾 重良(しげよし)に与えました。

深尾氏は近江・佐々木源氏を祖にし、戦国期には美濃の国(岐阜)の土豪でしたが、深尾 重良の時、織田 信雄 配下の武将へ勇躍します。しかし、天正12年(1584)の小牧長久手の戦いでは豊臣 秀吉に敗れ、隠棲していたところを、その人品骨柄に惚れこんでいた山内 一豊によって徳川旗下へ迎えられたのです。
こうして慶長8年(1603)佐川へ入った深尾氏は、幕末までの十一代にわたって知行を安堵されました。

残念ながら、小高い山頂にあった深尾氏の居城(元の佐川城)は元和2年(1616)の一国一城令によって廃されましたが、その城跡には巨大な物見岩が座し、当時と変わらぬ佐川の地形を一望にすることができます。
また、累代の領主は、城山のふもとに建つ青源寺に菩提を得ています。

江戸時代中期から幕末にかけて、佐川は「文教の町」として名士・賢人を輩出。土佐の国造りの一翼を担いました。
その功績は領主の深尾氏が代々学問を奨励した結果で、中でも四代目の深尾 重方は、元禄年間に大儒学者・伊藤 東崖(いとうとうがい)の門下生・江田 成章(えだなりあき)を京都から招聘し、家臣たちに修学させたと佐川郷土史にはあります。
また、現在の佐川小学校内に保存されている「名教館(めいこうかん)」は安永元年(1772)開設以来、算数、武術、兵学、茶道、書道を教え、土佐藩内で一頭地を抜く郷校でした。
幕末に坂本 龍馬や中岡 慎太郎の志を継いで陸援隊隊長となり、明治政府では宮内大臣を勤めた田中 光顕(みつあき)は、名教館に学んだ佐川出身の偉人です。

実は、佐川の酒・司牡丹はこの田中 光顕によって命名されています。
また、世界的な植物学者牧野 富太郎も、この名教館に通い、夢を抱きました。
これらの先達を育てたのが、名教館の教授であった伊藤 蘭林(らんりん)です。古びた教館の一室に残された彼の写真は、“佐川の白眉”らしい人物像を偲ばせています。
また、佐川町は幕末期に維新の志士たちが通り抜けた“脱藩の道”の途上にあり、ひょっとすると、龍馬もこの学び舎に立ち寄ったのかも知れません。

そんな佐川の魅力を体感してみるなら、閑静な一画に建つ「青山文庫(せいざんぶんこ)」を訪ねましょう。
ここは、宮内大臣・田中 光顕から寄贈された約13,000点もの図書・文献や美術品を蔵し、佐川の歴史背景、維新期の人物、明治期の自由民権運動などに関するコレクションを閲覧できます。

例えば、深尾家伝来の鎧兜や坂本(龍馬)家の薙刀のほか、龍馬直筆の書簡や武市 瑞山(たけちずいざん)の絵画など、文教の地ならではの隠れた逸品・珍品をじっくりと堪能することができるのです。ちなみに「青山」とは、田中 光顕の雅号です。
そして青山文庫を出れば、歩を進めて、ひっそりと佇む「牧野公園」で歴史ロマンに耽るのも一興でしょう。

牧野公園は、その名の通り牧野 富太郎にちなんだ場所で、牧野博士が東京から送った桜の苗が公園化のきっかけになったと伝わっています。
園内には約600本のソメイヨシノや牧野博士が発見したセンダイヤザクラが植えられ、毎年3月末から4月初旬には山肌一面がほのかな春色に染まります。
また、その桜並木は司牡丹酒造の面する「酒蔵の道」へも延びていて、花に酔い、酒に酔う土佐っぽたちが、行きつ戻りつの千鳥足で春の夢を楽しんでいるそうです。

ふと気づけば、これらの佐川の名所・旧跡は、司牡丹酒造を取り巻くように佇んでいました。それは、司牡丹酒造がこの佐川の地とともに歩んできた証しのようです。
聞くところによると、蔵元・竹村家の先祖は、慶長8年(1603)領主の深尾 重良が遠州より従えて来た御用達の酒屋であったとか。とすれば、土佐藩筆頭家老の御用酒は、むろん蔵主の山内家にも献上されたに違いなく、つまりは司牡丹は山内 一豊とも縁薄からざる関係だったと言えましょう。

2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」は、山内 一豊と妻・千代の人生を描くストーリーでした。この一豊夫婦も、きっと佐川の美酒を仲睦まじく嗜んだのでは………そんな光景も、想像に難くないでしょう。
土佐の国造りとともに歩んできた、司牡丹酒造の酒造り。そのしずくに酔いながら、今夜はいごっそう、はちきんとなって、酒王国の美酒物語を楽しむことにしましょう。