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司牡丹酒造株式会社 ~お宝紹介

田中光顕伯爵と濱口雄幸首相の書簡 社宝 芳醇無比乃巻

田中光顕伯爵と濱口雄幸首相の書簡 社宝 芳醇無比乃巻

司牡丹酒造の社宝としている巻物である。 大正7年(1918)に、司牡丹酒造㈱の前進である佐川醸造(株)が誕生し、銘酒・千歳鯛は四国酒類品評会で第一位 に輝いた。しかし商標権問題から、竹村 源十郎は、佐川出身の田中 光顕 伯爵に酒銘を請い願った。 佐川の酒を愛飲していた田中 伯爵は快諾し、大正8年(1919)「天下の芳醸なり。今後は酒の王たるべし。牡丹は百花の王。さらに牡丹の中の司たるべし」と、司牡丹命名の書簡を贈った。 その後、昭和5年(1930)司牡丹を愛飲している首相・浜口 雄幸に酒を贈呈したところ、返礼とともに「芳醇無比」の称賛を授かった。 これを聞いた田中 光顕伯爵は、その書に「司牡丹も浜口首相も、いつの世までも気高く香り、慕われることでしょう」と意味する二首の和歌を添え、濱口首相の書簡とあわせて表装し、「芳醇無比乃巻」と箱書きをして納め、送り届けてきた。これが司牡丹酒造の社宝「芳醇無比乃巻」である。

田中光顕伯爵と濱口雄幸首相の書簡 社宝 芳醇無比乃巻
田中光顕伯爵と濱口雄幸首相の書簡 社宝 芳醇無比乃巻

伝・白隠和尚 作 ほていの掛け軸

伝・白隠和尚 作 ほていの掛け軸

司牡丹酒造の酒ギャラリー「ほてい」の由来となった、“ほてい様”を描いた掛け軸。 趣のある一幅は、臨済宗の中興の祖で、駿河の国の高僧・白隠和尚(1686~1769)の作品ではないかと伝わっている。 白隠和尚は15歳で出家し、全国の寺に名師を求めて歴遊した人物。書や墨絵などを各地に残しており、その作品には病気治癒の御利益があると言われている。 この軸の時代は不明であるが、明治から大正時代にかけて、司牡丹酒造には幾人かの文人墨客が訪れたようで、逗留や飲酒の礼に作品を置いていった可能性もあるようだ。

昭和の名宰相 吉田茂と竹村源十郎

昭和の名宰相 吉田茂と竹村源十郎

司牡丹酒造は数多の偉人・英傑と縁を持っているが、昭和の名宰相と謳われた吉田 茂 首相もその一人であった。 吉田茂の父は高知県宿毛市の出身で、茂は幼い頃に帰省先でドブロクを飲まされて酩酊し、以来、土佐の酒を嫌っていた。しかし後年、選挙の折に高知の有志たちから司牡丹を進呈され、一口飲んで大いに気に入り、著書「世界と日本」の中に酒銘を記すほどの愛飲家となった。 この写真は、昭和35年(1960)高知に遊説した吉田が司牡丹酒造を訪問し、蔵元・竹村 源十郎と会談した時のショットである。(撮影:竹村維早夫)