歴史背景

桃川株式会社

「百石川(ももいしがわ)の流れに生まれし、銘酒“桃川”のしずく」

「百石川(ももいしがわ)の流れに生まれし、銘酒“桃川”のしずく」

真冬の到来とともに蔵元の軒先に吊られる酒林(杉玉)は、日本酒ファンの口元をほころばせるオブジェ。しかし、桃川株式会社の玄関先を訪れたなら、誰もが瞠目し、驚愕の声を挙げるにちがいありません。

直径2m、重さ700kgの巨大な「桃川の大杉玉」は、圧巻のスケール。これまた、おいらせ町が標榜する日本一のオブジェやイベントと肩を並べる「日本一の大杉玉」です。威風堂々とした姿には、この地の酒造りを400年にわたって受け継いできた、桃川株式会社の矜持が表れています。

さらに、見学館の「SAKE HOUSE おいらっせ 桃川」には、ゆかしい時代を物語る金文字の看板や酒造道具が展示され、憧憬を誘います。飴色の梁や柱を残す展示室内は、木造漆喰壁の古風な造り。聞けば、明治初期の蔵の佇まいを遺構しているそうです。

「当社の遠祖は、江戸時代の文政7年(1842)頃の百石村の庄屋であった三浦官左衛門(みうら かんざえもん)と伝わっていて、その蔵の一部なのです。酒造量は50石程度で、おそらくは年貢の余剰米を使った家内工業だったのでしょう。その後、明治22年(1889)に三浦家から土地建物と酒造権を購入した村井幸七郎(むらい こうしちろう)が、今日の桃川株式会社の創業者ですが、当時、この地方には30蔵ほどが営み、桃川では百石川(ももいしがわ)と呼ばれた現在の奥入瀬川の伏流水を使って酒を仕込んでいました。当社の銘柄“桃川”は、この百石川の“百”を、“桃”に置き換えたわけです」

秀逸慧眼な容貌で語ってくれるのは、桃川株式会社代表取締役社長の上田友司(うえだ ゆうじ)氏。石高6000石、従業員70名の老舗蔵元を率いるにふさわしいオーラを漂わせています。

上田社長の歴史解説に、しばし聴き入ってみましょう。

桃川の大杉玉
SAKE HOUSE おいらっせ 桃川
桃川の金看板

「創業者の村井家は近江(現在の滋賀県)の出身で、代々を経て盛岡から八戸へ入り、10代目が幸七郎。そもそもは呉服商を営み、幸七郎は分家として蔵元になったようです。どれほどの財を蓄えていたのかは定かではありませんが、この地域では、旦那様と呼ばれていたようです。当時、国の税収源であった酒蔵を買い取るのは、相当な資産家でなければ、不可能じゃないでしょうか」

なるほど、上田社長の洞察には筆者も頷けます。国家の歳入の4割を酒税に見込んでいた明治期、政府は全国各地に酒蔵を勃興させ、高額な納税を課していたのです。

「幸七郎は、婿養子の村井倉松(むらい くらまつ)とともに酒造家として繁栄、その子には外交官や八戸市長も輩出しています。大正2年(1913)には、幸七郎の孫・松三郎(まつさぶろう)が合資会社を立ち上げ、村井酒造店として呱々の声を上げました。当初の製造量は200石ほどで、酒の品質としては、しっかりとした旨味にコクのある酒だったようです。と申しますのも、旧・百石町界隈は農業よりも漁業で栄え、漁師たちが集まる盛り場や花街も軒を連ねていたのです。ですから、肉体労働と寒さに効く、しっかりと酔える旨い酒が、村井酒造店の酒だったのではないでしょうか」

そんな味わいを、もちろん、現在の桃川も継承していると上田社長は答えます。

往時から桃川の酒造りを見守ってきたのでしょうか、本社ビルの玄関脇に建つ鳥居とお社の凛とした風情が、幸七郎の人となりを偲ばせます。

代表取締役社長 上田友司 氏
村井酒造店の名入り酒器
玄関先の鳥居とお社

大正期に青森県で一目置かれる蔵元へ成長した村井酒造店は、さらに増石を続け、昭和19年(1944)には2,883石を醸造。しかし、戦時中の企業整備令によって新たに設立された二北(にほく)酒造株式会社に製造部門が統合され、二北酒造株式会社桃川工場となりましたが、昭和59年(1984)に再び分離独立しました。

戦後の清酒需要は高まり、仕込み蔵の新設、最新設備の導入を矢継ぎ早に行った二北酒造株式会社は、時流を先取りする先見の明にも長けていたようで、昭和45年(1970)には全国で初めて大吟醸を商品化。むろん、大吟醸という特定名称酒すら存在しない、精米歩合など関心を持たれなかった頃ですが、必ずや、吟醸造りの人気が高まることを読んでいたセンスが光ります。

「清酒需要がビークを迎えた昭和48年(1973)に、二北酒造株式会社の製造量は37,000石に達し、飛躍的な伸びを示しました。主としては一級、二級といった普通酒で、四季醸造が可能な“王松蔵(おうしょうぐら)”を竣工しています。この王松蔵を設計した著名な建築家篠田次郎氏は日本酒研究者でもあり、大吟醸を口にするや絶賛され、PRにも大いに力を注いで下さったのです。昭和54年(1979)には、若い世代に飲みやすい低アルコール酒も開発し、名実ともに青森県を牽引する蔵元に成長していました」

さまざまな桃川の銘酒を愛飲していた上田社長の言葉に、力がこもります。

王松蔵竣工当時の航空写真
昭和48年(1973)に、王松蔵を竣工
日本初の大吟醸

平成時代に入ると級別制度が廃止され、地酒ブームの波に乗って、桃川の吟醸造りの技術はさらに極まります。その特定名称酒は、全国新酒鑑評会を筆頭に、東北地区や青森県の清酒品評会を席巻し、数々の受賞を連続して獲得しています。その一方で、“辛口のねぶた”“旨さの杉玉”といった、晩酌向けのロングセラーも好評。お燗酒ツウを唸らせる、食中の美酒として、全国にファンを広げてきたのです。

「当社の社是は、“愛と英知と創造を”。ひとしずくの桃川の中に、この思いを込めた酒造りを続けていくことが、蔵元の使命だと思います。それを、お客様に分かりやすく伝えるキャッチフレーズがあるのです。“いい酒は、朝が知っている”」

なるほど、けだし名言と感じる上田社長の言葉。伝統と品質を誇る、桃川株式会社の自信に満ちた歴史紹介をしめくくってくれました。

上田社長が披露するそのキャッチフレーズの真意は、次なる、蔵主紹介ページでじっくりと聞くことにしましょう。

数々の連続受賞を誇る
人気の3銘柄
社是は、“愛と英知と創造を”