なぜ日本酒は酒場で飲まれなくなった?

解体新書 第8回

若者や若手社員の飲酒文化が、日本酒離れを引き起こした。

前回に引き続いて、日本酒離れのお話し。今回は、家庭で日本酒を飲まなく、いえ、飲めなくなったオトーさん族の変化から始めましょう。 日本酒で鍛えられたオトーさんたちの若い頃は、先輩から「飲みに行くぞ!」とか「一杯いくか?」なんて言われたら、スグ机を片付けて、いそいそと後ろを引っ付いて行ったものです。
ご一緒した席でも、職場同様に「御銚子徳利の持ち方が悪い」だの、「最近の若いモンは」なんて御高説を頂き、その上「宴会芸」や「オジサン風一発芸」だのを覚え込まされて、本人も立派なオジサンに仕立て上がっていったわけなのです。
先日、あまりに嘆かわしい最近の宴席の空気に、「これじゃ、アカン!」と一念発起したオジサン3人組が結託して、若い人5人に「飲みに行くぞっ!!」って言ったそうです。
若い人5人は、そろいも揃って一斉に「どうぞ!ご自由にー」と、そ知らぬ顔で帰って行ったそうです。
自主性の尊重とか倫理観とかを論じるつもりはありませんが、日本酒の消費は確実に減ることを、はっきりと示唆する現象ですね。
かく言う私も、オトーさんに近しい年代でもあり、懐古主義を謳うつもりはありませんが、そのうち「手(の向き)が逆(裏)ですいません」などはおろか、「片手ですいません」という言葉の意味すら通じない世の中になるのかもしれません。
こうなりますと、前回で述べた家庭での日本酒離れに加え、さらに追い討ちをかけるような職場での日本酒離れが引き起こされ、オトーさんの日本酒を嗜む頻度は、ますます落ち込むことになります。

若者や若手社員の飲酒文化が、日本酒離れを引き起こした。

さて、前回に「日本酒離れの分かりやすい要因」の最後に挙げた、3.の「フランスでのワインもドイツでのビールも減っている」についてです。 「グローバル化」だけで片付ける訳にはいかないのですが、現象面では簡単です。
フランスでのワインの減少もドイツでのビールの減少も同様ですが(ただし今の日本での消費動向で)、これまでと一番違うのは消費者のレベルアップのスピードでしょう。
業界的には「ワインの価格破壊とユニクロ」みたいなテーマで分析される方もいらっしゃいますし、前回の1. の「サザエさん」の副題となる「規制緩和」から派生する現象面を先に論じられる方もおられます。
しかし、一番忘れてならないのは、消費者のレベルアップのスピードです。かってはリースリング系の白ワインからスタートしてフルボディの赤ワインまで到達するのに、何年もかかって味の好みが変わっていきましたが、最近の消費者は味覚判断力の多様化と圧倒的な情報力で、たちまちフルボディを理解されているようです。
飲酒の場の多様化も一助ですが、若い女性に日本酒を勧めると、飲み易いライト感覚のお酒だけではなく、原酒などの重厚感のあるお酒の方が好きと言う方も多くなりました。
やはり、ワインを味わうことで酸度の高さに抵抗無く馴染めるようになられているようです。

若者や若手社員の飲酒文化が、日本酒離れを引き起こした。

では、そのような方たちが何故日本酒には寄って来ないのかと言えば、これはもうイメージの問題が最大で、地酒の会などで試飲さえしてもらえば皆さん「おいしい、これが日本酒なんだ」っておっしゃっていただける女性ばかりなのに、実際には「おいしい地酒」に触れたことが無い、飲んだことが無い方が圧倒的なようです。

例えば、ひと昔前は一升壜に対するイメージが、「呑んベ」を連想させると言われていたのですが、最近は徳利の形の方が印象は悪いようです。
また「コップ酒(カップ酒)」についても、屋台で飲んでいた世代では印象が悪かったのですが、焼酎派の最近の若い方には抵抗が少ないようです。
日本酒自体についても「なぜ今まで飲まなかったの?」と聞けば、「ダサい、クサい、ニチャニチャする」などに加え、最初っから「酔ったオヤジがダラシナク寝そべっている、ベタベタのイメージ」が先入観としてあり、手を出す前に心理的に拒否されてしまっています。
ヤングミセスの購買動機を見ても同様で、実際には自宅のダイニングテーブルはトッチラカッタままであっても、ワインを買うときはそのテーブルの上には花が飾られているイメージで買っており、日本酒を買うときは、そのテーブルの横にステテコ姿でナイターを見ているオトーサンが座っている状態を想像されながら買っているようです。

この違いはどこからくるのでしょうか。

ひとつには、日本酒の伝統の裏にある、古臭いイメージが、上述の先入観を具現化しているとも言えます。
ラベルのデザイン・ボトルのスタイル・商品の名前などを見ても、横文字系のファッションやトレンドなどという表現とは、一種かけ離れた印象があります。
世相にフィットする商品を企画する、開発するという動きも活発には行われているのですが、なかなか浸透しないのも実情で、オトーサンになり代わって本当の地酒の良さを伝えていただける、そんな世代の創出が急務となっています。つまりは、「新しい飲むシーンの創出」がテーマなのです。