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古澤酒造株式会社 ~蔵主紹介

気温29℃となった、観光さくらんぼ園での開幕式。汗ばむ陽気のもと、古澤 康太郎 社長は寒河江市観光協会会長として乾杯の音頭を取るや、すぐさま古澤酒造へ取って返し、取材班を迎えてくれました。

まずはこちらへと、大正時代の米蔵を改装した蕎麦打ち処・紅葉庵(こうようあん)に案内されるや、古澤 社長はさっそく蕎麦職人へ変身!みごとな手さばきで蕎麦粉をこね、取材スタッフに蕎麦打ちを丁寧に指導してくれます。

ちなみに、寒河江は元和8年(1622)出羽の領主・最上家の所領没収と同時に、徳川幕府直轄の天領となりました。そのため領民の暮らしは諸藩より豊かで、穀倉地帯が発達し、つまりは古澤家の舟運も大いに活況したのでしょう。


「寒河江は蕎麦が名物でして、観光協会では、市内の23軒の蕎麦屋さんを集めた“蕎麦の散歩道”という食べ歩きコースを紹介しています。当社の紅葉庵は、食べるだけでなく“蕎麦打ちを体験する”、“蔵元の酒と楽しむ”という魅力をプラスしたものです。その意図はお客様自身が体験することで、当社の魅力のみならず、寒河江の素晴らしい思い出を記憶して頂くことにあります。そんな感動のシーンを創っていくことによって、お客様と当社とのダイレクトなコミュニケーションが生まれ、新しい発想や商品へ通じると思うのです」
茹で上がったつややかな二八蕎麦を前にして、古澤社長は紅葉庵の趣旨を述べます。
その蕎麦の味は絶品!シコシコとした歯ごたえに蕎麦粉の香りがふわりと漂い、のど越しは滑らか。筆者は、しばしインタビューを止めて、舌つづみを打ちます。

古澤社長は、昭和22年(1947)生まれの62歳。古澤酒造の五代目として、物心ついた頃より麹とモロミの匂いの中で暮らしていました。当然、蔵元を継承するべき立場でしたが、大学卒業後には単身渡米し、2年間ロサンゼルスの貿易会社に勤務しています。

「正直言って、もう少しアメリカに居たかったのですよ。アメリカに憧れてましたし、古い日本の伝統産業と違って、今風に言えばグローバルなビジネス感覚が魅力でした。当時は、1ドル=360円の時代で、結構良いサラリーも頂きました。それで帰国を延び延びにしてたら、とうとう母親が現地にやって来ましてね(笑)いいかげんに、帰って来なさい!でした」
実は、学生時代にも、実家と懇意にしている国内大手商社で、勉強がてら流通のアルバイトをしていたと、古澤社長は話します。

家業へ入ると、まずは東京都北区滝野川にあった国税庁醸造試験場へ出向し、日本酒造りから業界のしくみまでを2年間で学びます。卒業後は、神奈川や東京方面でのセールスを経験し、 その後、寒河江へ戻り、地元需要の拡大に注力してきました。

古澤酒造の社内は自由に見学が可能で、正面玄関を入れば、整理された広い瓶詰めラインが目に飛び込んできます。その壁には、訪問者に分かりやすい四つの企業理念が掲げられています。

  • 製品は正直に造ります。
  • お客様に親切にします。
  • 仕事には勇気と信念をもってあたります。
  • 職場と家庭には平和と愛をもってあたります。

このコンセプトを、古澤 社長に訊ねてみました。
「当社の目指す日本酒は、どんなお客様にも本音で『美味しい!』と言って頂ける酒です。そのためには、どなたにも信頼と安心を与える、バリアフリーな企業でなければなりません。製造業は、ともすれば見え隠れする部分が多いのですが、当社は常にオープン化し、お客様が納得できる商品提供を第一に考えています。ですから、製造環境を公開することで、誠実と信頼を汲み取って頂けると思うのです。

仮に私が客ならば、古澤酒造を、その酒をどう思うか……そんなふうに、まずお客様の立場になってみることが肝心です。また、お客様の視線を受けることによって、私も含めて社員が清潔な環境作りに勤めるようになりました」
四カ条は、単に酒の仕込みやセールスといった各現場だけのルールではなく、お客様に直接“古澤酒造のブランドエクィティー(企業価値)”を実感してもらうためにも必要不可欠と、古澤 社長は答えます。

さて、次に社長が中興の三代目・徳治翁より授かった薫陶について、語ってもらいましょう。
「祖父からは、さまざまな教えを受けました。中でも3つの事柄が、今の私の経営方針にも影響しています。一つは『金は使えば、必ず無くなる。だから、使い方を知れ』ということでした。私の学生時代、祖父は年に一度そこそこの小遣いをくれましたが、その用途を詳らかに書き記し、年末には提出することを命じられました。社会人になって、そのノートを祖父から戻され改めて見直し、当時の使い道の良し悪しを痛感しました。二つ目は、『どんなことでも両極端にならず、中庸でいろ』ということです。
学生時代は、全共闘のデモが活発化した時代でした。祖父はそれを否定せず、『若い人の時代だから参加しても良いが、先頭には立つな。必ず叩かれる。かといって、ドン尻もダメだ。様子を冷静に見ながら、中庸で行きなさい。

さすれば、いかようにも柔軟に対処できるのだ』と教えてくれました。これは、私の裁量の基本となっています。そして三つ目は、『正直に仕事をしろ。自分を誤魔化すな』です。正直に酒屋の仕事をするとは、決められた酒造りのルールをきちんと遵守することだと言われました。翻せば、そんなに難しいことではなく、『玄米を掬い、精米歩合をチェックし、モロミの顔を見てというように要点を確実に遂行すれば、おのずと美味しい酒が生まれる。だから、いらぬ不安や懸念、怖れなどを抱かず、自分を信じてやりなさい』と言うのです。実は、祖父のこれらの訓示は、明治の哲人として知られる中村天風 先生に導かれた哲理なのです。まずは商人として、酒屋としてある前に、人としての生き方を私は教わったのだと思います」

古澤 社長によれば、昭和40年(1965)に完成した徳之倉は、中村 天風 氏が徳治の「徳」を取って命名したそうです。
中村 天風は、逝去後も多くのファンを増やし続けている、人間愛に満ちた哲人です。その大らかで篤実な理念を古澤酒造の原点としているなら、澤正宗は“人々に幸せをもたらす酒”でもあるのでしょう。

古澤 社長は、日本酒メーカーを自負するならば、本来の日本酒らしい商品を推進するべきだと語ります。では、現状から今後の業界商品や市場について、古澤 社長はどのように洞察しているのでしょうか。
「十数年前に淡麗辛口の酒が流行った頃、猫も杓子も淡麗傾向でした。この嗜好がもっと進めば……と思った通り、次に焼酎ブームがやって来ました。しかし、その嗜好はまた変化を始めています。人のニーズや好みはファッションに似て、マスコミなどの情報にも左右されやすいものです。しかし、現在の地酒メーカーは、それに阿諛追従する時代ではないでしょう。それぞれの伝統や価値観を鑑み、自ら個性を発信する時代です。当社にすれば、柔らかくて味のある、料理とじっくり楽しめる酒造りですね」

このように日本酒らしさと個性化を推す古澤 社長に、筆者は液化仕込みなどの紙パック酒についてはどう捉えているのかを訊ねてみました。

「現状の日本酒市場を多角的に考察すると、液化仕込みが悪いとか良いとか、そんな次元で語れないのです。
では、一升瓶いくらの酒で、どのような品質であれば、今は妥当なのでしょうか。増え続けるアルコール類、千差万別の消費者嗜好、一般家庭の経済状況などから考えれば、当然、安い紙パック酒がヒットするのも無理からぬことでしょう。だから今こそ、個々の蔵元の揺るぎない立ち位置が大事なのです。私どもの酒は、米麹の力を生かす酒、液化仕込みの酒は化学酵素に頼る酒。そこに明確な原料コストや技術の差があるということをキッチリと消費者に理解してもらう努力こそ、“日本酒らしさ”でしょう。そして、今の市場は混沌としていますが、そこに自らの力で光明を見出すことも、これからの “酒屋らしさ”ではないかと思っています」
詰まるところ自らの光明とは、古澤酒造らしい「香りの慎ましい、ふくよかな米の味がする酒」をいかに安く提供できるか。原料コストも含めてこのボーダーラインを下げる努力が個性化の一つだと、古澤 社長は力説します。

先述の紅葉庵、古澤酒造の歴史・伝統を解説する資料館なども、その機能としては生産設備の一環であると古澤社長は言います。
「山形県外からも多くの皆様が、いらしてくれます。旧知の方の中には、『道楽だねえ』とおっしゃる声もありますが、やはり、せっかく寒河江にいらしたなら、存分に地産池消を満喫して頂きたいのです。冬は最高の季節ですよ。まずは製造工程を案内し、新酒の香りを知ってもらう。次に資料館でじっくりと古澤酒造の今昔を感じながら、新酒を試飲する。ここまでで、すでに一つの感動の舞台が出来上がっています。

さらに、紅葉庵で蕎麦を打って新酒を楽しめば、もはや豪華な旅のステージとなるわけです。そんなお客様から『こんな素敵な体験は、初めてです』とか『美味しかった!また、来ます』と声を頂くのが、私としては望外の喜びなんです」
満面の笑みでインタビューを締め括ってくれた、古澤社長。蔵元だけでなく、オフィシャルな役目も八面六臂でこなす姿には、寒河江市のホスト役の魅力がにじみます。
筆者も次回は、シンシンと降り積もる雪の季節に、この“酒屋らしい酒屋”を訪れることでしょう。