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株式会社三輪酒造 ~歴史背景

城下町「大垣」の中心地・番組町から鷹匠町を南へと道を抜け、かつて馬場のあった辺りから船町の美濃路の通りへと突き当たった場所に、造り酒屋「澤田屋(現・三輪酒造)」が営んでいました。
その店先には徳利をぶら提げた客たちが列をなし、満載した酒樽を引く馬車もつながれ、まさに“門前市をなす”というようすだったとか。創業は天保8年(1837)、初代・澤田屋徳次郎が、この地に酒蔵を開いたのです。
そんな老舗の蔵元だけに、当時はさまざまな賢人哲人、文人墨客にも好まれ、徳次郎は彼らと大いに交流を深めたそうです。
例えば、大垣藩家老・小原鉄心との交流は、この徳次郎の代から始まるのですが、ことに二代目・吉平は鉄心に可愛がられたようで、鳥羽伏見の戊辰戦争では、彼の密使として、町人ながら維新のために東奔西走したそうです。

そのエピソードを、少しばかり紹介しましょう。
「鉄心先生が、本馬場からこちらにやってござるぞ」
澤屋の店員が小原鉄心の姿を見つけると、いつもそんなふうに叫んで、皆に知らせたそうです。
すると、丁稚や小僧たちが「それっ!」とばかりに二階に客座を設け、酒肴を整え、さらには筆硯を用意し、墨をするのでした。 ほどなく鉄心が訪れると、しばらくは徳次郎と雑談に花を咲かせつつ、盃を傾けます。そして座が盛り上がってくると、いよいよ彼は筆を執り、雄渾な書をしたためるのでした。

ある時、およそ二升もの酒をたいらげた鉄心は、“百礼之会 非酒不行”と大書しました。恐らく多くの遺墨の中でも他に類のない大作(軸装縦105cm×横157cm)で、彼自身も得意満面、会心の作であったらしく、「酔中大書」と銘を打ったのでした。
もちろん、それを徳次郎に贈ったわけですが、この書は現在、「大垣市指定重要文化財」になっています。この書については、後のお宝拝見ページでご紹介することにしましょう。

さて、大垣藩御用達の酒蔵として順風満帆にきた澤田屋ですが、明治11年(1878)、今でも大垣の6大騒動に数えられる「澤田屋火事」を引き起こし、酒蔵はもとより近隣2500軒をも焼き尽くす大惨事を招いたのでした。
江戸時代の出火は、大罪に値しました。それが放火のような故意ではなく、過失であったとしても、情状酌量の余地などありません。
しかし、この時の徳次郎は、全私財をなげうち弁済に務めることで赦されたそうですから、その立場は非常に優位なものであったのでしょう。
また、この大失敗を機に澤田屋は火消し「大文字組」を組織し、徳次郎自身が初代組頭を務め、三輪家では「代々、消防に奉仕せよ」との家訓が言い伝えられています。

明治21年(1888)、澤田屋は大火から10年後、二代目・吉平が蔵を再建。商いは順風に立っていました。
しかしながら三代目の徳次郎が跡を継いで後、明治25年(1892)に大垣市を壊滅させる「濃尾大地震」が発生します。
蔵は瓦礫の山と変わり果て、酒樽はひっくり返り、造っていた酒を失っていまいました。その痛手からようやく立ち直りかけた矢先、4年後の明治29年(1896)には大洪水が押し寄せ、澤田屋は半死半生の状況へと追い込まれてしまうのでした。爾来、細々とではありましたが、酒造りを続け、暖簾を継承してきたのです。

大正期には、創業時代を偲ばせる「鉄心」ブランドを売り出し、これが名を馳せた澤田屋でしたが、戦後の米不足の時代は、六代目・春雄が地域中心の販売と同業者への桶売りで蔵を維持しました。
清酒需要の向上に、桶売りの酒は飛ぶように売れましたが、昭和47年(1972)清酒ブームが落ち着き始めると、下請け体質からの脱却をはかり、翌年には、早くも「道三」ブランドを発売しました。さらに、その翌年には、今もベストセラーに数えられる「純米 白川郷にごり酒」を世に問うたのでした。
こうして地酒ブームの魁として新たな展開をスタートさせ、平成9年(1997)には、旧来の三輪酒造合資会社を株式会社三輪酒造へと改組します。

また、現在の三輪 高史 代表取締役社長は、21世紀にチャレンジする新生・三輪酒造を掲げます。
それが、IT社会のビジネスモデルとして全国の酒蔵によるネットワークを組織し、VANを通じて消費者に各地の酒を提供するという「地酒VANサービス」。斬新かつ先駆的なこの組織の設立によって、現在、全国100社の地酒を扱い、様々な美酒を消費者へ届けています。
そんなサービスを通じて、より良い全国各地の銘酒を広く世に問いたいと語る三輪社長に、次なる蔵主紹介ページでインタビューすることとしましょう。