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高砂酒造株式会社~プロローグ

ふた月ぶりに取材スタッフの降り立った旭川空港は、-5.8℃。霏々と降りしきる雪が彼方までを白く覆い尽くし、錦繍を飾っていた旭岳や十勝岳は、今やその稜線すら望めません。
11月半ばながら、最近一週間の平均積雪は1日/30センチ。春の雪解けまでの5ヶ月間、この北の国は吹雪と極寒に晒されます。見渡す限りの雪原へと様変わりした神楽町地区の耕地が、新たな感動を呼び起こします。

再訪して知り及んだことですが、旭川は、大雪連邦の裾野から大小130もの川が流入する窪地だったそうです。なるほど、地名の由来を紐解いてみれば、市の中心部を東西に横切る忠別川(ちゅうべつがわ)を元々はアイヌ語で「チュプベッ」=「日の川」と呼んだ意にあると記されています。

幅およそ300メートルの石狩川に架かる旭橋は、街のシンボルとして開拓当時から親しまれてきました。明治34年(1901)の陸軍第七師団の設置以後、軍靴・軍馬の闊歩のみならず、時には戦車部隊の縦列行進も演出したといいますから、未来への橋頭堡さながらのその頑丈さ、逞しさは旭川市民の誇示するところでもあったのでしょう。

市内を緩やかに蛇行した石狩川は、さらに北西へとうねり、街区より20キロほど離れた「カムイ古潭」と呼ばれる峡谷へ向かいます。
ご想像通り、ここはアイヌ民族ゆかりの地。カムイ(魔神)の棲むコタン(里)を意味し、切り立った断崖と奇岩径石によって急流が逆巻くため、舟の難所として恐れられていました。
観光シーズンには絶好の景勝地として賑わいますが、堆い雪に埋もれるこの時期は人影もなく、渓流の音すら神秘的なしじまに吸い込まれています。

アイヌ民族との共生が始まった明治時代より、この街を見守ってきた母ともいえるのがJR旭川駅でしょう。
明治31年(1898) 7月の開設以来、道北道東への要衝となったこの駅は、函館本線、宗谷本線、石北本線、そして近年人気の富良野線を束ねる「へその駅」として、年間約200万人の乗降客の足を支えています。
中でもテレビ番組「北の国から」にも登場した富良野線ホームは、往時の面影をそこはかとなく漂わせ、観光客たちもカメラのシャッターチャンスに余念がありません。


また、駅前から北におよそ1キロも伸びる平和通り買い物公園は、昭和40年代より全国に先駆けて始めた「一年中歩行者天国」が自慢です。雪催いの氷点下ながらも、道行く市民で賑わっています。
それでは夜の表情はいかがかと底冷える繁華街へ繰り出してみれば、やはりオホーツクの旬味と道内きっての地酒処だけに、夜更けまで活況を呈しています。通称「三六街(さんろくがい)」を中心に1,300件もの飲食店が犇めき合う二条通りから四条通り一帯では、舌鼓に気もそぞろな旅行客やビジネスマンの往来が、ネオンの下に絶えません。

春から秋の休日、市民は旭橋の袂に広がる常盤公園に憩うそうですが、雪の季節は閑寂な空気だけが立ち込め、池に遊ぶカルガモの囀りと純白の絨毯が散策する人々を迎えています。
6キロ平方メートルの敷地には、プール、図書館、青少年科学館、川のおもしろ館、図書館なども建ち、鮮やかな煉瓦色の北海道立旭川美術館がひときわ目を引きます。ここでは道内出身の芸術家も含め、501点の作品を収集・展示しています。
新雪を踏み締め池のほとりの小径を行けば、旭橋を背にして一枚の石碑が佇んでいました。

旭川ゆかりのプロレタリア作家 小熊 秀雄(おぐま ひでお/1901~1940没)の詩碑です。
明治34年小樽市に生まれた小熊秀雄は青年期までを樺太で過ごし、職工などを転々とするうち、不幸にも右手の食指、中指の二本を失います。
隻手のハンディを克服した小熊は生まれ持つ文才を生かし、二十歳となった大正10年(1921)から八年間、旭川新聞社に勤務します。そのかたわら詩の創作に励み、二十七歳で妻子とともに上京しますが、文壇と都会生活の辛酸を嘗めることとなります。
爪に灯をともすような暮らしの中、小熊は昭和6年頃から日本プロレタリア同盟に参画し、油彩家、諷刺詩人としてようやく脚光を浴びます。その後も、近代日本の光と影を新進気鋭の感覚で表現しますが、昭和15年(1940)三十九歳の若さで夭折しました。
わずか八年足らずを旭川で過ごした小熊ですが、この地をこよなく愛した彼とその自由な精神を称え、旭川文化団体協議会により昭和42年(1967)小熊秀雄賞が制定され、今に至っています。

そして、あたかもこの詩文のごとく北の大地で夢と理想を耕し、今や全国に冠たる名酒「国士無双」の礎をなしたのが、高砂酒造の始祖・小檜山 鉄三郎(こひやま てつさぶろう)その人でした。
現在の高砂酒造株式会社の前身である小檜山酒造店がこの旭川に呱々の声を上げたのは、奇しくも小熊秀雄が誕生した明治30年代前半のことです。
爾来、1世紀を越えた道央のしずく酒は、今、北海道を代表する千歳鶴グループのこだわりの美酒として醸されています。
今編では、北の桃源郷に賭けた鉄三郎氏のフロンティアスピリッツを想いつつ、道央の名門・高砂酒造ならではの匠と独創的な地酒理念を拝見します。