プロローグ

株式会社本家松浦酒造場

渦潮海峡に育まれる逸品の”鳴門鯛”、その至宝の味にふさわしき南海のしずく酒。

渦潮海峡に育まれる逸品の”鳴門鯛”、その至宝の味にふさわしき南海のしずく酒。

白い牙を剥いて荒れ狂い、吠える波。激流と化した海。そして、絶え間なく現れては消える渦潮。淡路島南端と徳島県を結ぶ大鳴門橋から眼下を望めば、“鳴門(なると)とは、鳴る瀬戸”の由来をまざまざと見せつけられます。
世界屈指の海峡として知られるこの「鳴門」は、干満によって瀬戸内海と紀州灘の海水を6時間ごとに入れ替えます。
大自然の水門とも言える海峡を膨大な潮が往き来し、この驚異のドキュメントを引き起こすのです。

毎年旧暦の3月と10月の大潮の頃、潮流はピークを迎えます。直径20メートルの渦の真っ只中を航く“観潮船”や大鳴門橋から直下を眺める“渦の道”など、スリル満点の見どころに全国から観光客が押し寄せます。
海峡から鳴門の町へ進んでみると、一変して穏やかな入江が開けます。鳴門町沿いの“内の海”には、太公望がのんびりと釣り糸を垂れる筏も浮かんでいます。また、市の中心部・撫養(むや)界隈は古くより海産物の町で、「鳴戸わかめ」や「干物」の名産地として知られています。
豊饒の海に囲まれるこの鳴門の素顔が、そこかしこに感じられるのです。

大鳴門橋と観潮船
内の海

鳴門の歴史は古く、大和から紀州・淡路島と四国を結ぶ「南海道」の要衝で、大化の改新頃の国造りの時代には阿波国板野郡(あわのこくいたのごおり)に属していました。
都の官吏が四国の国府へ赴く際には、大和から紀ノ川を下り、和歌山・加太を出港して淡路島へ渡り、淡路・福良港より鳴門海峡を渡って撫養に上陸。そこから大麻村、板野村を経て、旧・吉野川沿いに国府へと向かったのです。
例えば、かの土佐日記で有名な「紀貫之(きのつらゆき)」は、西暦900年頃、土佐の任期を終え、鳴門より泉州に向けて出航しています。その折に詠んだ和歌が、今も当時の土佐泊(とさのとまり)跡に刻まれていました。

また、大麻町には鳴門の鎮守社として知られる「大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)」があり、広々とした境内には樹齢千年を超える楠の大樹が萌え立っています。
歴代の国司たちは下向の道すがら、この神殿で“かしわ手”を打ったのでしょうか。静謐な空気が、したたるような緑の中に漂います。
その大麻比古神社のほど近くには、四国八十八か所霊場の一番札所である「霊山寺(りょうぜんじ)」が建立されています。
開祖はむろん弘法大師(空海)。霊験あらたかな門前には、市を成すようにお遍路さんたちが集い、“同行二人”の白装束と編み笠を並べています。

紀貫之の歌碑
大麻比古神社
霊山寺

鳴門の実質的な支配は、建武3年(1336)に入国した細川和氏(ほそかわかずうじ)から始まります。爾来、阿波の守護として代々君臨した細川氏ですが、戦国時代末期には右腕たる存在の三好氏が謀反を起こします。
天文21年(1552)、三好義賢(みよし よしかた)は、主君である細川持隆(ほそかわ もちたか)を自害に追い込みます。その頃、京の都では本家筋の 三好長慶(みよしながよし)が将軍・足利義輝と細川晴元らを追放し、権勢を握りました。長慶の死後は三好三人衆による治世へと続き、ますます三好一族の時代かと思われたのですが、やがて織田信長が現れ、三好氏の天下は瓦解します。
これにより、天正13年(1585)阿波国17万7千石は、羽柴秀吉の旗下にあった蜂須賀家正(はちすか いえまさ)が与ることとなりました。

その後、蜂須賀家正は関ヶ原の合戦では西軍に属しますが、出兵しなかったことと嫡男の至鎮(よししげ)が東軍に属していたことで、徳川家康より安堵されます。
慶長5年(1600)には至鎮に家督を譲り、以後、蜂須賀家は幕末まで阿波の蔵主として存続しました。
現在、市内の妙見山には家正の普請した岡崎城(撫養城)が再現され、鳴門出身の考古学者・鳥居龍蔵(とりい たつぞう)記念館として数々の遺品を展示しています。

蜂須賀家正の像
岡崎城跡(鳥居龍蔵記念館)

さて、鳴門海峡を見つめ続けてきたのは、人物や時代の趨勢だけではありません。
素朴な暮らしに育まれた伝統工芸と言えば、大谷焼きと藍染めでしょう。
鳴門市近郊には“大谷焼(おおたにやき)の里”があり、煙立つ上り窯が点在しています。そのつややかで温かい陶の味は、安永9年(1780)九州出身の焼き物師・文右衛門が伝えたものです。
江戸時代中期まで、阿波では焼物は極めて珍しく、文右衛門の焼き物の噂は12代蔵主・蜂須賀治昭(はちすか はるあき)の耳に届き、天明元年(1781)には藩窯が大谷村に設けられ、初めて染付け磁器が焼かれることになりました。この時が正式な大谷焼の発祥です。
また、吉野川流域は国内最大の藍産地でした。阿波藍は平安時代の土豪・忌部(いんべ)氏によって始められたと言われ、千年を越える歴史の中で独特の染めや製法が伝えられてきました。
「藍は藍より出でて、藍より青し」の言葉どおり、美しくも落ち着いた色合いには、ため息が出るばかり。藍住町の歴史館“藍の館”では、当時の藍庄屋の暮らしや作業を解説していて、なかでも“藍染体験”が女性観光客の人気を集めています。

大谷焼き
藍染
人気の藍染体験

豊かな海を目の前にする鳴門だけに、新鮮な魚を見逃すわけにはいきません。
春先の桜咲く頃に獲れる“鳴門鯛”は、この地の味覚の代名詞。産卵前の真鯛は潮に乗って鳴門海峡を超え、静かな瀬戸内海へ入ろうとします。この脂の乗った丸々肥えた鯛を「桜鯛」とも呼び、珍重しているのです。
荒波と潮にもまれた身は、まさに絶品!四国はもちろん関西・京都方面まで、高級魚として出荷されています。

そして山の幸なら「すだち」。爽やかな酸味と芳香で知られる、鳴門特産の果実です。 すだちは焼き魚から鍋物まで、あらゆる食のかくし味・薬味として重宝され、柑橘系の味わいは女性にも人気。「すだち酒」も発売されています。
何を隠そうこの「すだち酒」で近年ブームを巻き起こしたのが、銘酒「鳴門鯛」の蔵元・本家松浦酒造場なのです。
鳴門名産の高級魚にちなんだ、その酒銘。
まずは一献、渦潮の音を肴に、盃を傾けてみましょうか。

鳴門鯛とすだち
本家松浦酒造場