Vol.177 よねのもやし

ポンバル太郎 第一七七話

 京都では、五山の送り火が終わった後もうだるような暑さが続いていた。
 鴨川べりの料理店の納涼床では、外国人観光客に団扇を揺らせる舞子が白い笑みを浮かべている。どうやら、時間制のオプショナルツアーのようである。
 その片隅の卓に座っている中之島哲男が、隣の仁科美江につぶやいた。どちらも、縮の浴衣を着こなしている。
「わしが知ってる先斗町の床とは、風情が変わってしもたなぁ。昔は、京都の旦那衆がぎょうさんいてはったけど、これも世の流れか」
 汗ばむほど混雑している納涼床に、美江もげんなりした顔で頷いた。それでも、二人と同席している剣は、初めての床体験に落ち着かない様子だった。

 夏休みを使って関西の夏を勉強して来いと、太郎から命じられたのである。太郎にすれば、店の手伝いはありがたいが、小学生最後の夏休みに一人旅をさせたかった。
 興奮気味な剣に、美江は京都の夏の旬を揃えている手桶弁当を勧めながら、問わず語った。こぢんまりと京野菜や丹後の魚をしつらえた杉桶は、彩りもまったりと美しい。
「京都の花街は、西陣の繁盛で保っていたようなもんどす。けど、今は着物をお召しになる人が減って、京友禅も売れにくい時代になりました。絹の生糸かて、国産が少なうなって、カンボジアとか東南アジアで蚕を育てて、生産してはるそうどす」
 結い上げたひさし髪と扇子で口元を隠す美江のしぐさに、中国人観光客がカメラのフラッシュをたいた。彼らの撮影は、どこでもお構いなしである。
 思わず美江が顔をしかめると、後ろの卓から早口の中国語が飛んだ。
 どことなくたどたどしいアクセントだったが、カメラを手にしていた男は渋面で声の出先をにらみ返した。中之島たちに中国語の意味は分からないが、カメラの男を叱ったようである。
「行儀が悪い外国人客は、お断りにしなはれ」
 またも聞こえた後ろからの声に中之島たちが振り返ると、紺色の作務衣を纏った坊主頭の若い男が正座で独酌していた。手きびしい言葉にふさわしく、切れ長な目元をくずしていない。さっきの中国語も、彼が叫んだようだった。

「今時の若者にしては、ええ度胸しとるやないか。なんとのう、京都の匠っちゅう感じやな」
 中之島は、美江がグラスに注いだ伏見の大吟醸を飲み干して、気持ちよさげに言った。
「あの人……もやし屋の角六(かくろく)三郎さんやないかしら。確か、うちにもいっぺんお越しやしたわ」
 夕暮れに包まれた床で、にぎわう席を避けるかのように男は独酌していた。美江の憶測通り、男の作務衣の襟には「よねのもやし 角六」と白く染め抜かれていた。
「もやし屋って? 野菜のもやしを売ってる人なの?」
 三郎を凝視する剣が不思議そうに訊くと、美江が答える前に、脇から涼やかな声が聞こえた。
「そうや、おへん。よねのもやしは、麹のことどす。ボンは、麹をご存知どすか?」
 淡い化粧の匂いと京言葉が、剣の表情を硬くした。声の主は、二十代後半とおぼしき京美人だった。

 ボンと呼ばれてドギマギする剣に中之島が吹き出すと、美江が口を開いた。
「まぁ、瀬田酒造のお嬢さん。お久しゅうございます。中之島はん、剣ちゃん、こちらは伏見の蔵元・瀬田京子さんどす」
 その銘酒“瀬田の唐橋”は、美江の小料理屋“若狭”だけでなく、中之島の割烹でも扱っている。思わず、中之島は鼻の下を伸ばした。
「今年も美味しい酒ができてましたなぁ。もうすぐ、29byの仕込みの準備でっしゃろ? 頑張ってくださいな」
 美江から紹介された中之島に、京子は床に居住まいを正して
「いつも、瀬田の唐橋をご贔屓頂いて、おおきに」
と額づくほどのお辞儀をした。その清楚な和装を、別の中国人観光客がスマホ撮影しようと狙った時、背後で立ち上がる気配がした。仁王立ちになった三郎は、肩を怒らせていた。
 途端に、京子が三郎へ走り寄り「サブちゃん、あきまへん」と手を握り、床に座らせた。どうやら三郎は、勘気にはやる性格らしい。
「あの二人、恋人同士だね」とストレートな剣に、唖然としている中之島と美江も頷いた。 

 視線に気づいた京子が、三郎を美江の卓へ連れた。この場を騒がせた三郎に詫びを入れさせる京子は、姉さん女房そのものだった。
 中之島たちに謝った三郎は、ふうっと長い息を吐いて、やかましいほどの床を見渡した。確かに、かつての京都の風情らしからぬ騒がしさである。
 諦めとも寂しさともつかない表情で、三郎は口を開いた。
「角六は、俺で17代目。450年続いた麹屋どす。でも今は、麹屋なんて商売はほとんど残ってまへん。全国でも、8社ぐらいしかおませんのや。古臭い商いですけど、京都の伝統文化を司ってる自負が角六の矜持どす。それだけに、京都らしさを失うような風潮には、いささか腹も立ってますねん。東京みたいな、何でもOKの町とはちがいます」
 特に、祇園の花見小路では、御座敷に向かう舞妓を捕まえ無理やり写真を撮る外国人観光客が横行している。彼女らの着付けがくずれてしまい、ついには通りに警備員が並ぶ始末なのだとこぼした。

 三郎の視線が中国人観光客のグループ席へ向くと、京子がそれを引き戻すかのように続けた。
「だけど伏見の日本酒は、今、京都に来る外国人の方たちに好評なの。うちの父も『古い伝統にすがってばかりやったら、新しい文化は生まれへん』って、言うてるやないの。麹かて、新しい価値や魅力を見つけなあかん時代ちゃうの」
「あほう! “よねのもやし”は、ひらがなでしか書かれへんのや。お前の親父さんがどない言おうが、外国語で書かれてたまるか。それでも言うなら、お前との仲も解消や」
 いささか酔っているのか、三郎の呂律は回りが悪い。生真面目な老舗の後継ぎが、たまに酔えば醜態をさらすのを何度も目にしてきた中之島は、三郎を誘って床の手すりにもたれた。二人のようすに、美江は涙ぐむ京子へグラスを渡して
「中之島はんに任せておけば、大丈夫どす」
と冷酒を注いだ。

「東山にある角六さんのお店、由緒ある看板が掛かってまんなぁ。朽ちかけた古い杉の板やけど、味があってええ。あれは、日本人でも見惚れまっせ」
 やんわりと切り出す中之島を制するかのように、三郎が口走った。
「俺は、古臭いだけの麹を売ってるわけやありません。最近は、流行りの甘い生原酒が仕込める白麹を作りました。他にも、酢の醸造元と開発した黒麹もあります。ただ、旧来の麹の概念を変える商品開発をすればするほど、これでええのかと自問自答してばっかりです」
 三郎が薄暗くなった鴨川の河原へ言い放つと、数メートル間隔でカップルが座っていた。その風景は、昭和の半ばから京都の代名詞になっている。
「三郎はん。あんたも京子はんと出会った頃、この河原でデートしてたやろ。今、若い頃を懐かしんで京都にやって来る夫婦も、かつては、あそこに座ってた。けどなぁ、江戸時代以前の鴨川の河原ちゅうたら、処刑場やで。あのカップルの座ってる下には、処刑されたむくろが埋まっとるかもなぁ。それを知ってか知らずか、今は恋を語る場ちゅうわけや」

 中之島が、戦国大名の石田三成や大泥棒の石川五右衛門まで、鴨川の河原で処されたと説けば、三郎は「確かに……」とつぶやき、そのまま耳を傾けた。伝統や歴史文化は重んじられるべきだが、その流れには、いつも革新や変化が起きている。角六のよねのもやしにしても、本質は変わらなくても、千変万化な歴史をたどっているではないか。例えば、室町時代は京都の北野天満宮がよねのもやしを取り仕切る“麹座”を起こし、専売権を独占した。しかし、戦国時代には比叡山などの寺院が取って代わり、いわゆる傭兵=僧兵を擁する一向宗が軍資金作りとして麹や酒造りを活発化させた。これを抑えるために織田信長は楽市楽座を広め、麹家や酒屋を大衆に許し、冥加金・運上金などの税金を取り立てた。角六のよねのもやしは、その頃に発祥したのだろう。
「当時の一大変化に比べたら、外国人にウケるクールなよねのもやしも、ありやないか」
 中之島がそう締めくくると、唇を噛んでいる三郎に京子が寄り添っていた。
「“伝統は、革新の連続である”。うちの父が好きな言葉どす。私も 、京都の町そのものを表してると思うねん。そやから、角六のよねのもやしも新しくなれるはず」

 京子へ振り向いた三郎の瞳に、五山に沈みかけた夕陽が輝いた。迷いは消えたようだった。
 すると、剣が美江にもらったデザートの皿を手にして、三郎へ近づいた。
「思うんだけど、麹って、こんなスイーツにも使えるんじゃないですか。日本酒を造る米麹って、甘いじゃん。あれを使って、デザートや飲み物も作れないかなぁ。“もやし屋のスィーツ”ってネーミングにしたら、珍しくて、オモシロそう!」
 屈託のない笑顔で話す剣に、三郎は満面の笑みを浮かべて
「やっぱり君は、江戸っ子やなぁ」
とつやつやした手で頭を撫でた。よねのもやしだけでなく、それを扱う三郎ならではのキレイな指先も剣の旅の発見だった。
ようやく冷えてきた鴨川の夜風が、三郎に寄り添う京子の髪を揺らせた。