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土佐鶴酒造株式会社 ~プロローグ

雲間から射す南国の光芒が、大海のうねりを群青色に輝かせます。果てしない水平線から押し寄せる怒涛……渺漫たる太平洋が180度の視界に広がっています。
ここ桂浜から望む景観は胸のすくような感動を惹起し、見え隠れする白い波頭が“よさこい節”を呼び起こすのです。

言うたちいかんちや おらんくの池にゃ
潮吹く魚が泳ぎよる よさこい よさこい

鯨の潮吹きをユニークに唄ったその一節に、土佐の大らかな風土、いごっそうの男気を感じつつ、傍らにそびえる「坂本 龍馬」の巨像を見上げました。
高知県の代名詞でもあるこの像は、昭和3年(1928)に完成。地元の彫刻家・本山 白雲(もとやま はくうん)の作品ですが、資金作りのために、当時の若い土佐っぽたちがタバコ銭を持ち寄ったと聴きました。
幕末に輩出した「土佐勤皇党」、「海援隊」や「陸援隊」を髣髴とさせるような美談。土佐人の情熱が、この龍馬像には脈々と流れているようです。

桂浜を後にした取材班の車は、土佐湾沿いに55号線を室戸方面へ。今回の取材蔵元・土佐鶴酒造株式会社は、安芸郡(あきぐん)安田町に位置しています。
この安芸の名は、文字どおり、かつての領主「安芸氏」に由来します。
安芸市内の閑静な一画には、城跡や武家屋敷、野良時計(のらどけい)など旧跡が残されていますが、安芸城は延慶2年(1309)安芸 親氏(あき ちかうじ)が普請したもの。以後、度重なる戦乱ごとに城主が入れ替わりました。
安芸氏の遠祖は、壬申の乱(672)で土佐に追放された蘇我氏の子孫と口伝されています。国造りの頃より郡司として代々を営み、平安期には安芸庄の荘官、鎌倉時代以後は地頭として君臨し、戦国の世には「土佐七守護」に挙げられるほどの勢力を誇りました。
永禄12年(1569)、安芸 国虎(あき くにとら)は土佐の中央部を制圧した長宗我部 元親(ちょうそがべ もとちか)としのぎを削りますが、ついには敗れ自刃します。
余談ながら、その武勇と名声は今も安芸の人々に愛され続けているのでしょう。国虎の名を冠した店舗や品物を、そこかしこで目にすることができます。
猛虎軍団・阪神タイガースが安芸キャンプを行う理由も、この国虎にあやかってのこととか。もちろん、土佐鶴の美味い酒も選手たちの楽しみの一つでしょう。

さて、安芸氏滅亡後、長宗我部 元親は安芸城を阿波(徳島県)侵攻の重要拠点としました。
四国の覇者を目指し、伊予や讃岐までも攻め入る元親でしたが、天下統一を手中にした豊臣 秀吉の圧倒的勢力の前には為す術なく、天正12年(1584)四国征伐が始まるや、臍を噛む思いで屈服せざるを得ませんでした。

秀吉への忠誠を誓い領地を安堵されたものの、元親亡き後の関ヶ原の戦い(1600)では四男・盛親(もりちか)が石田 三成の西軍に与したため、ついには御家取り潰し。替わって土佐蔵主には駿河掛川の領主・山内 一豊(やまのうち かずとよ)が入封し、安芸地方を重臣の五藤 為重(ごとう ためしげ)に与けました。
爾来、五藤氏は明治維新まで三世紀半にわたり安芸の城邑を護り、現在も敷地内には後裔の人々が住まわっているのです。

安芸地方出身の偉人を挙げるなら、まずは坂本龍馬の金襴の友「中岡 慎太郎」でしょう。
後世の大日本帝国陸軍の原型となった陸援隊隊長の彼は、山襞と峡谷に囲まれる安芸郡北川村の出身。天保9年(1838)に、北川郷十数か村を束ねる大庄屋・中岡 小伝次の長男として誕生しました。
慎太郎は幼少より漢学を学び、十四歳にして塾頭代理を担うほどの英才に成長。また十八歳の時、土佐藩校・田野学館において、かの「武市 瑞山/半平太(たけち ずいざん/はんぺいた)」から剣術指南を受けています。その青雲の志は、半平太の決起した土佐勤皇党へつながり、さらには龍馬との出会いに発展します。
そして、尊皇攘夷、薩長同盟、大政奉還といった大きなうねりを巻き起こしていきますが、慶応3年(1867)京都・近江屋において、奇しくも龍馬とともに凶刃に倒れるのです。享年二十九歳でした。
龍馬ばかりが注目される昨今ですが、北川村に設けられた“中岡 慎太郎 館”を訪ねてみれば、彼の天稟の才知と行動力、成し遂げた偉業を実感することができます。
さらに室戸岬では、この快傑の像が悠々として黒潮を望んでいました。
毅然とした慎太郎の相貌から思うに、彼こそが近代日本の礎をなしたと言っても過言ではないでしょう。

そして、次なる人物は「岩崎 弥太郎」。いわずもがな、三菱財閥の創始者として知られる賢哲です。
岩崎 弥太郎は、天保5年(1834)安芸郡井ノ口村の地下浪人・岩崎 弥次郎の長男として生まれました。落ちぶれた郷士崩れの嫡男ながら、十五歳になった弥太郎は高知城下の藩校「教授館」で、アメリカから帰国した漂流日本人・ジョン万次郎に語学、経済学、社会学を学びます。
努力の甲斐あって、弥太郎は二十五歳で土佐藩吏として長崎に赴任することとなりました。そして、数奇な運命の糸は、彼と坂本龍馬を結びつけていくのです。

当時、龍馬は亀山社中(かめやましゃちゅう/海援隊の前身)と銘した海運組織を結成していました。その先見性に期待する薩摩・長州は、龍馬を資金援助します。土佐藩も遅れてはならじと出資しますが、龍馬は「金は出しても、口は出すな」と条件を提示します。
渋々ながら納得した土佐藩は、会計役として弥太郎を出向させることにしました。堅物の弥太郎は鷹揚な龍馬とは正反対の性格、おそらく気が合わなかったことでしょう。
そうこうする内、慶応3年(1867)龍馬の乗る汽船“いろは丸”が、夜霧の瀬戸内海で紀州藩の軍艦“明光丸”に衝突され、沈みました。

龍馬はとっさに相手の船へ乗り込み、航海日誌を差し押さえ、海事裁判で勝訴します。後年、紀州藩から莫大な賠償金が支払われますが、すでに龍馬は暗殺されていました。彼に代わってそれを受け取ったのが、岩崎 弥太郎でした。
弥太郎は、財政が逼迫していた土佐藩に話しを持ちかけます。
「私が、藩の借金を返済してあげましょう。その替わりに、土佐藩の大阪蔵屋敷、汽船・帆船を貰い受けます」
これを元手に、弥太郎は明治3年(1870)に海運会社・九十九商会を創業。三年後には三菱商会と改名しました。以後、海運業から貿易業への多角化によって三菱財閥を築いていったのです。
思うに、坂本龍馬が夢みた「世界の海援隊 = 海外への進出」は、岩崎弥太郎によって実現されたのかもしれません。
井ノ口地区で公開されている生家の鬼瓦には、三菱ブランドの原型である岩崎家の家紋・三階菱を見ることができます。

そして、いよいよ車は安田町へ入ります。車窓には「酒王土佐鶴」の看板を掲げる店が、数十メートル間隔で現れます。高知県では、日本酒を飲めてこそ男性は出世するものだとか。いわく“飲み上がり”の文化が残っているそうですが、その酒屋の数には、スタッフ一同「さすが、日本酒王国」と目を丸くするばかりです。
安田町の歴史は古く、町の中心に建つ「安田八幡宮」は16世紀後半にこの地を領した安田三河守の中興を祀っていると伝わります。なるほど、辻角の多い路地や曲輪に似た区画は、小さいながらも城下の風情を偲ばせます。

実は、今回訪問する「土佐鶴酒造株式会社」の蔵元・廣松(ひろまつ)家は、この安田家の家老職に系譜を辿ります。つまりは、安芸氏直参の武家の血筋と言えましょう。
また、安田八幡宮のほど近くには、明治維新後に坂本龍馬の家督を継いだ遺跡養子「坂本 直(さかもと なを)」の実家が、粛然と門戸を構えています。彼の旧名は、高松 太郎。母親は、この高松家に嫁いだ坂本龍馬の姉・千鶴(ちづ)でした。
龍馬は高松家にしばしば逗留し、隣村から面会に来た中岡慎太郎とともに安田海岸で酒を酌み交わしていたとか……ひょっとして、その酒は「土佐鶴」だったのでは。
ノスタルジックな逸話に、感動的なシーンが浮かんできます。

そして近年、安田町の名を広めているのが、鮎釣り名人たちの垂涎の的である清流「安田川」と名湯の里「馬路村」です。
安田の街並みから、渓谷沿いにひた走ること20キロ。険しい四国山脈の懐に抱かれる馬路村は、杉や桧の名産地・魚梁瀬(やなせ)の森から恩恵を受けてきました。昔から巨木の切り出しを生業とする、鄙びた山村でした。
しかし、四万十川よりも美しいと賞賛される安田川をステージに、昭和53年(1978)馬路村の村おこしがスタート。手つかずの自然環境と効能たっぷりの温泉、特産品の「柚子」製品が大ヒットし、開設以来、家族連れなどで賑わっています。しかも、安田川の天然鮎は四万十川産の鮎を抜いて、全国一位の栄冠に輝きました。
四国でも指折りのスローライフリゾートになった馬路村。その礎を築いたのは、土佐鶴酒造の蔵元・廣松家でした。馬路村に据えられた有林記念碑には、廣松家が代々において植林事業を行い、林業の発展に寄与したことが記されているのです。

太平洋に沈みゆく太陽を、この安田町界隈では「だるま夕陽」と呼ぶそうです。
幾たりの英傑たちがこの憧憬を眺め、土佐鶴の美酒を酌んだのでしょう……遥かな黄昏の中を飛ぶ鳥影は、土佐鶴でしょうか。
威風堂々たる「酒王」に土佐の献盃、返盃を重ねつつ、万感迫る抒情詩へじっくりと酔いしれてみましょう。