TOP > ポンバル太郎 > 第225回 バイ貝

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Vol.225 バイ貝

 盆休みの秋葉原はふだんの休日より人波が少なく、外国人観光客の姿が目立つ。帰省でへこむ売り上げをどうにかして埋めようと、彼らを呼び込む家電店のスタッフは躍起になってマニュアル通りの中国語を叫んでいる。
 下町のポンバル太郎の界隈も閑散として、ほとんどの店が夜の営業を控えていた。扉の窓から灯りが漏れているのは、太郎が盆酒の会を常連たちと内密に催しているからだ。
 しかし、火野銀平が勤める築地市場もこの3日間だけは休業中。全国各地の漁協には、古くからの因習で盆の殺生を控える地域もある。当然ながら肴や料理のネタも限られてくるわけで、干物や発酵食品が銀平や平 仁兵衛の前の皿に盛ってある。

「龍二の奴。先週までとっておきの肴を持って来るてぇ、自慢してたのによう。どうして、土佐へ帰っちまったんだよ?」
 生貯蔵酒を口にする銀平が面白くなさげに、大皿の隅に乗った小アジの味醂干しをつまんだ。それは火野屋の自家製で、甘辛い風味はそのままでも酒にピッタリ。平は、家庭用に持ち帰ることもある。
「昨日、親戚に不幸が起きたってメールがあったよ。まぁ、たまには、生モノのねえ夜もいいじゃねえか。平先生、盆の送り火って雰囲気作りに、店の蛍光灯は消しちまって、ロウソク電灯を点けましょうか?」
 それは店の神棚に置いてある灯りで、火災防止用の電池式のロウソクである。表通りに物音やざわめきがない今夜は軒先に吊るした風鈴の音もよく聞こえて、ほの暗い灯りがお盆らしさを感じさせた。

「おっほっほ! それなら、涼しくなるように、また百物語でもやりますかねぇ。寒気がして、お燗酒が欲しくなりそうですねぇ」
 百物語とは、怖い話を百話するとお化けが現れるという迷信で、一年前も常連たちでやったところ、真っ先にブルッたのは銀平だった。
「うっ、そいつぁ、勘弁してくだせえよ。俺ぁ、幽霊話はコリゴリだ。去年だって、誰もいねえのに玄関の扉が開いたじゃねえですか」
「ありゃあ、台風の余波で風が強い晩だったからだろ。まったく、肝っ玉の小せぇ奴だぜ」

 太郎は銀平を嘲笑しながら店の照明を落とし、脚立に乗ってロウソク電灯を神棚から下した。
 と同時に、玄関の鳴子がカラコロと響いて、銀平が一尺ほども飛び上がった。銀平を小馬鹿にしていた太郎も、危うくロウソク電灯を落としかけた。
 ただ一人、身じろぎもせずに盃を手にしている平だったが、実は腰が抜けそうになって、玄関に振り向くことができない。
「だ、だ、誰でぇ! 脅かすんじゃねえよ!」
「ご、ごめんなさい。あの、与和瀬 太郎さんのお店ですよね? 私、右近龍二君に頼まれて来た、本間純一と申します」

 銀平の罵声に気圧された黒縁メガネの若い男が、薄暗がりの中、所在なさげに頭を掻いていた。本間を名乗った男は、龍二の会社の同僚だった。左手には、重そうなビニール袋を下げている。
「龍二からは何も聞いてねえな? どんな要件だい?」
 ロウソク電灯をかざしながら太郎が近寄ると、本間は左手の袋を差し出して
「このバイ貝を、酒の肴に持参するよう頼まれました。うちの佐渡ヶ島の親戚が盆になるといつも送ってくれるんで、毎年、右近君にお裾分けしてるんです」

 袋の中にはタッパーがあって、その中に巻貝がどっさりとツヤ光っている。太郎が「ほう!」と声を発すると、銀平が目利きしてやろうとばかり覗き込んだ。
「おう、型のいい黒バイ貝だ! 煮つけにしてあんじゃねえか。こりゃ、うめえぜ。あんがとよ! ごくろうさん!」
 ビニール袋を引き取って、そそくさと本間を帰そうとする銀平を、太郎が小突いて制した。
「本間さん。せっかく来てくれたんだ、龍二の代理で一杯やってかないか? ちょっと、お盆らしく、しめやかな雰囲気なんだがね」
「よろしいんですか、ありがとうございます! へぇ……何だか、怪談ムードですね」
 薄明りに浮かぶカウンター席を目にして図星を突く本間の声に、思わず銀平がビクリとして「よ、よしやがれ!」と口を尖らせた。

 苦笑する平は隣に本間を誘うと、新しい盃を手渡し、ぬる燗のお銚子を差し出した。
「佐渡ヶ島のご出身ですか? 確か、佐渡には本間姓の方が多いと聞いたことがあります」
 盃を受け取った本間がしなやかな手つきで酒を受けると、平は感心した。今どきの若者にしては、その仕草が板についていた。
「ええ、本家筋は佐渡ヶ島の蔵元なのですが、うちの祖父は分家して東京に移り、植木職人として台東区に暮らしてました。ですから、親戚から送られる酒と日本海の魚介類が嬉しくって。特にバイ貝は、亡くなった祖父が佐渡の地酒とともに大好きでした……お盆ですし、貝殻の当たる音を聞くと思い出もひとしおです」

 平がどうりで酒の嗜み方を心得ているわけだと頷けば、太郎の大皿に移し入れたバイ貝がカチカチと響き合った。ふんわりと甘い醤油ダシの香りが漂って、店内の静かな気配に溶け込んだ。
「ところで、どうしてバイ貝って呼ぶのでしょうねぇ? 銀平さんは専門家だから、ご存じでしょう?」
 平はお銚子のお代わりを太郎へ頼みながら、銀平に訊いた。気が急くのか、右手は貝の身をほじくる楊枝を手にしている。
「えっ……平先生。め、面目ねえ。築地じゃ、黒バイや白バイてえ、色ちがいの呼び方はあるが、バイの由来を考えたことはねえや。ただ、土地によっちゃ、アズキガイとかウミツブって呼ぶこともあるんでさぁ」
 バツが悪そうに銀平がはぐらかすと、呆れ顔の太郎が
「また、勉強不足かよ……まあ、アズキガイってのは、この模様を意味してんだろうな」
とまだら模様のバイ貝をつまみ上げた。

 すると、バイ貝煮の匂いを胸いっぱい吸い込んだ本間が、嬉しそうに口を開いた。
「佐渡の磯の香りがします……祖父に聞いたことがあるんです、バイの由来を。バイって、佐渡や新潟じゃ“貝”のことです。だから、短くバイとしか呼ばない。うちの本家じゃ、昔から財産が百倍千倍になると縁起をかついで、大晦日や正月にたっぷり食べていたそうです。それに、バイ貝から生まれた江戸言葉もあるんです」
 問わず語る本間は手にした楊枝でバイ貝をクルリとむき身にしたが、お株を奪われた銀平はぎこちない手つきでプッツリとちぎった。癇癪を起しそうな銀平を平がなだめながら、本間に訊いた。
「ほう、それは聞かせて欲しいですねぇ。今も使っている言葉ですか?」
「ええ……この貝殻から作る物です」

 謎かけするように本間は貝殻の先っぽを摘み、小首を傾げる太郎と平へクルリと回して見せた。銀平は気に入らないとばかり、そっぽを向いている。それを気にした本間が答えかけの口をつぐんだ時、玄関の鳴子が小さく揺れた。
「ベぇ独楽ですよね。バイ貝の先っちょを切って、漆喰で固めた独楽。つまり、バイが江戸っ子の口調でベェになったの。バイ貝って、昔は東京湾でもたくさん獲れてたのよ。江戸時代の食の文献によれば、深川とかの煮売り茶屋の献立に煮つけが載ってるの。銚子や野田の醤油で煮たバイ貝は、人気だったそうよ」
 玄関のスラリとした人影から聞き慣れた高野あすかの声がすると、明解な答えに感心する本間の横で平が拍手した。
 ますます旗色が悪くなった銀平は、歯ぎしりをしている。それを知っていながら、あすかはいたずらっぽい笑みで銀平の隣に腰を下ろし
「また、イイとこ、もらっちゃった! ごめんねぇ」
とイジくった。

 太郎は、もうよしておけと目顔であすかを止めたが、酔った平の声が銀平の火に油を注いだ。
「さすがは、酒食文化のジャーナリスト。なるほどねぇ、ベェ独楽ですか……じゃあ、本間さんのお祖父様も、貝殻で独楽を作っていたのでしょうか?」
「ええ、手作りしてくれました。でも、鉄製のベェ独楽にはかないませんでした。殻が、割れちゃうんですよね……丁寧に糸鋸で殻の先を切って、漆喰を糊で固める祖父の背中を覚えています。いつも、本家の蔵元の半被を纏っていました。お盆の頃は、縁側の風鈴の下で冷酒を一杯やりながら、バイ貝をつまんでたなぁ」
 追憶にひたる本間とは対照的に、銀平がバイ貝を手にして鼻息を荒くした時、玄関先の風鈴が鳴った。夜風は、吹いてないはずだった。
 険しい顔つきだった銀平がゴクリと唾を呑み、顔色はみるみる青ざめた。
「いやぁ、遅くなっちまいやしたぁ。この風鈴、いい音色でやすねぇ。ちょいと音を聞いてみたくって、団扇であおがせてもらいやしたぁ……あれ、兄貴。そいつぁ、バイ貝ですかい?」
 呑気な顔で現れた八百甚の誠司の禿頭を銀平が抱え込み、貝殻の先っちょでつっ突いた。
「この野郎! 脅かしやがってぇ! てめえなんざ、帰りやがれ。バイ貝じゃなくて、バイバイでぇ!」
 玄関先で押しつ押されつする二人を、太郎たちの笑い声とバイ貝の殻の音が包んでいた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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