TOP > ポンバル太郎 > 第240回 美酒鍋

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Vol.240 美酒鍋

 大相撲の九州場所が幕を閉じると、師走のあわただしさが都心にやって来た。日本酒の蔵元は、年末年始の出荷ラッシュで、デパートやショッピングモールでは新酒の販売イベントが始まり、キレのいい搾りたての酒を目当てにした地酒ファンが列をなしている。
 太郎も朝から酒販店をハシゴしながら、忘年会やクリスマス客向けの酒を物色していた。むろん、大吟醸の新酒は登場してないが、上撰や本醸造のあらばしりには侮れない美酒が隠れている。毎年の12月初旬、利き酒してそれを探し当てるのは太郎の楽しみだ。

「よし! 今年も極上の新酒を見つけたぜ。こいつは冷酒よりも、お燗がバッチリだな」
 上燗した広島の本醸造をクチにしながら独りごちる太郎の背中に、細い咳払いが聞こえた。まだポンバル太郎は開店前で、扉は半開きになっている。
「いいなぁ~。ちょっと味見させてよ、太郎さん」
 おもねった口調が、うす化粧の高野あすかの目鼻立ちをいっそう引き立てた。いつになく酔っているのか、頬も火照っている。
「ほう! 平日から昼下がりの一杯かよ。新酒の利き酒会でも、あったのかい?」
「ご名答! まだ普通酒が多かったけどね。蔵元さんにすれば、今年の造り始めの小手試しってところね。でも、ジョージが知り合いの外国人SAKEバイヤーを連れて来て、例年になく盛り上がってたわ」

 カウンター席に座るあすかがトートバッグから取り出した商品パンフレットには、英訳も記されていた。
「なるほど。日本酒ブームの海外じゃ、あらばしりの先取り合戦も始まってるわけか」
「う~ん。どうなんだろ。醸造用アルコールを添加してる日本酒は、アメリカだとハードリカー扱いだから、関税が高くなるのよね。だから、現地価格も割高になっちゃう。一概に、あらばしり狙いじゃないと思うんだけどな」
 頬杖を突きながら、太郎の前にある新酒の本醸造に目を止めたあすかの肩越しに、賑やかな会話が飛んで来た。半開きの扉を勢いよく開けたジョージと二人の外国人は日本語を口にしながらも、一人は呂律がおかしい。あすかと同じ利き酒会の帰りのようだが、かなり酔っている。
「あ~あ、この三人は利いたお酒を吐かないで、飲み切ってたものねぇ。そりゃ、できあがっちゃうよ」

 呆れ顔のあすかに、今しがた会場で見かけた濃い鬚のラテン系の男が酔眼で言い寄った。
「ハ~イ。私、あなた、知ってます。日本酒ジャーナリストのあすかさんね! 美人ですねぇ」
 口説き上手な甘いマスクに、いかにもラテン系らしいと太郎は笑ったが、あすかは男のはだけた毛深い胸元に思わず尻込みした。
 一方の長髪ブロンドで青い瞳の男は、酔いが浅かった。モデルのようなイケメンだが、面ざしは日系のハーフのようだった。
 ブロンドの男は、ラテン系の男の肩をつかみながら
「ノウ! フレディ。レディーに失礼だよ。ごめんなさい、ミス高野」
と丁寧に頭を下げた。しなやかな金色の髪から、男性的なムスクの香りがした。あすかの素性を知っているのは、日本酒に詳しい証拠である。

 ジョージはブロンドの男に「キース、テーブルに座ろう」と誘い、まずは足元がおぼつかないフレディを座らせた。190㎝近い背丈と頑丈そうな三人の体躯に、木製の椅子が軋んだ。
「はいよ! まずは、酔い覚ましの仕込み水からだ。それから、お二人さんは冷酒を飲み過ぎてるようだから、今夜はお燗酒にしときな。いいか、ジョージ。ゆっくり、チビチビだぜ」
 数年前、ポンバル太郎で冷酒を立て続けに飲んだアメリカ人観光客が酔い潰れて醜態をさらした事件は太郎だけでなく、あすかも忘れていない。そもそも、酒を温めて飲む文化のない人たちだけに燗酒は不慣れだが、SAKEバイヤーなら熟知しているだろうと、太郎は上燗をつけようとした。

 すると、ブロンドのキースは太郎が手にする広島酒のレッテルを見つめながら訊ねた。
「すみません。その酒で、美酒鍋はできますか?」
 耳を疑うような表情の太郎が、目を丸くするあすかと顔を見合わせた。二人の驚く声が重なる直前に、玄関の鳴子の音と平 仁兵衛の声が聞こえた。
「賛成ですねぇ~! それにしても、外国のお客さんから美酒鍋の注文があるとは、ビックリです! ジョージさん、もうアメリカにも、美酒鍋はあるのですか?」

 ところが、ジョージ自身、美酒鍋の言葉に「何ですか、美酒鍋って?」とあすかに真顔で訊ねる始末。フレディに至っては
「私は、日本の寄せ鍋は嫌い! 魚が苦手だからね」
と冷蔵ケースのサバやサンマにげんなりした顔を見せた。それとタイミングを合わせるかのように、怒った声が店内に響いた。
「そんじゃ、ぜひにも、この店の魚を食ってもらおうじゃねえか! 築地・火野屋のうめえ魚は、今じゃ、ヤンキーにも気に入られてんだからよう! そうだろ、ジョージ。何とか言いな!」

 玄関に並ぶお揃いのような紺色の火野屋のジャンパーと八百甚のジャンパーが、火野銀平と青砥誠司の剃った頭を襟の上に乗せていた。
「オウ! ジャパニーズ マフィア!? あなたたち、ブラザー!?」
 テーブルにうつぶせて眠そうだったフレディは、椅子から飛び上がり、グラスの仕込み水をこぼした。
「そう見えても、不思議じゃないわね!」
とあすかが吹き出せば、平も太郎へ燗酒を注文しながら苦笑した。

 ジョージが口さがないフレディを咎めながら銀平たちを英語で紹介すると
「あなた、築地の魚マイスター? それは、すばらしい! 築地の魚なら、美味しいです!」
とおべっかを使った。
「けっ! いくら日本酒贔屓だからって、くだらねえところまで日本にカブレるんじゃねえよ!」
 銀平が腐すと、フレディはバレたかとばかりに舌先を出した。だが、キースはずっと銀平たちに注目したまま黙っている。その視線に気づいた誠司が
「な、何でぇ……俺っちの顔に、何か付いてやすかね?」
と頬をぬぐった。

 ヤンキーを感じさせない落ち着き払ったキースが気になって、太郎は訊ねた。
「ところでキースさん。美酒鍋を食べたことがあるんですか? しかも、広島の日本酒を使う鍋だってこと、よくご存じですね?」
 キースは、ためらうように息を小さく吐くと、ジョージとフレディを一瞥して、口を開いた。
「私の祖父は、広島の人だったのです。母は、アメリカ人の父と結婚しました。祖父は、その銘酒を造る蔵人でした。まだ子どもだった私が、一度だけ広島へ行った時、同じ銘柄の酒で美酒鍋を作ってくれました」
 たどたどしい物言いのキースに、あすかが「ドラマティックねぇ。じゃあ、キースさんは日系2世なのね」と声を高くした。「なるほどね」と太郎や平は頷き、銀平は日系2世の意味を分かっていないのか、誠司にスマホで調べさせた。

 だが、フレディとジョージはキースの横顔を見つめたまま、つぶやいた。
「……それは、初めて聞いたよ」「僕もだ。どうして、黙っていたの?」
 押し黙っているキースが
「祖父の血が、流れているから……彼は被爆した」
と絞り出すように答えた。

 まだ客のいない店内が、水を打ったように静まり返った。誰も声が出ない重たい空気の中、キースはアクセントの不自然な日本語を続けた。
「私も、発症する可能性はゼロじゃない。でも、祖父のことが大好きでした。彼は広島の蔵元の杜氏になることを目指していましたが、被爆のせいで50歳半ばで亡くなり、夢は叶いませんでした。だから、私は祖父のためにも、日本酒の世界で生きようと決心したのです」
 アメリカでは広島の原爆投下を肯定する声も多く、それを聞くたびに、自分の生い立ちを憎み、いつ来るか知れない死を怖れた。原爆を投下した相手国のアメリカ人と一緒になる娘を許した祖父の気持ちが、大人になるまで理解できなかった。しかし、今思うに、美酒鍋をふるまってくれた日の祖父の笑顔には、2世である孫に対する悔やみや憎しみは微塵もなかった。あの時、一度だけ口にした美酒鍋を忘れられないキースはアメリカの我が家で作ろうとチャレンジしたが、まったく味のちがう物しかできないのだと唇を噛んだ。

 腕ぐむ太郎が頷くと、平は遠い目をしてため息を吐いた。
「いい話じゃねえか」と鼻を啜り上げる銀平へ、つられそうな誠司が「へい」と豆絞りの手拭いを差し出した。
 あすかは仕込み水のグラスを飲み干すと、真剣な顔つきで、タブレット端末をトートバッグから取り出した。
「アメリカ国内で造っているSAKEだと、広島の地酒とは風味がちがうのかしら。それに、美酒鍋の具材も揃わないでしょうし……キースさんのお祖父さんの頃は、今のような牡蠣やタコなど、いろんな具材を入れた郷土料理の美酒鍋じゃなくて、純粋に蔵人のまかない飯だったから、質素な野菜の端っこや鶏肉のスナギモだけを使ってたのよ」

 タブレットの画面には、古いモノクロ写真が映し出され“安芸津杜氏が作る美酒鍋”と表示されていた。安芸津とは広島の地名で、杜氏の故郷である。さすがに、漢字までは読みこなせないキースやフレディに、ジョージが記事を解読してやった。
 その頃の蔵人は出稼ぎ仕事でつつましく暮らし、美酒鍋には捨てるような野菜くずや鶏肉を使った。できるだけ安く済ませるため、味付けには普通酒を使ったが、当時から素晴らしい仕上がりだったとジョージが訳し終えると、何度も頷く銀平が誠司に耳打ちをした。
 「がってんでぇ!」と玄関を飛び出していった誠司に、キースとフレディがキョトンとした。

 銀平が目顔で合図を送ると、「あいよ」と頷く太郎は厨房へ入って、大根やニンジン、キャベツの端を菜切り包丁で落とし始めた。あすかがカウンターの中へ入ってカセットコンロに鉄製の鍋を用意すると、平は食器棚からレンゲとお椀を取り揃えた。
 誰もが指示されるでもなく、テキパキと動き始めると
「オオ! これ、ジャパニーズ チームワークね!」
とフレディが感心した。
 キースは興奮気味な声で、ジョージに訊いた。
「皆さんが作っているのは、美酒鍋? そうなのですか?」
「イエス、鶏肉は、さっき誠司君が買い出しに行きましたね……そして、仕上げの味付けはキース。君が、あなたのお祖父さんの代わりにやって下さい」
 ジョージが手渡す広島の本醸造の4合瓶を、震えるキースの手が握った。
 嬉しそうに飛んで戻った誠司が、スナギモを野菜くずたっぷりの鍋の中へ入れた。
「きっと、お祖父さんもキースさんと、もう一度、食べたかったでしょうねぇ」
 平たちが見守る鍋に、キースの注ぐ広島酒が心地よい音を響かせた。
 うまそうな匂いと白い湯気の中に、「サンキュ、グランパ」とつぶやくキースの笑顔が揺れていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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