お宝紹介

株式会社醉心山根本店

大観記念館の写真
大観記念館の写真

大観記念館

昭和26年(1951)株式会社醉心山根本店は、本社奥にたたずむ木造漆喰2階建ての棟を改修し「大観記念館」を創設、爾来3年ごとの文化の日に広く一般 公開している。 創設者の三代目蔵元・山根薫は、「絵画も酒造りも、芸術である」と醉心の味を絶賛した大観と昭和初期より親交を深め、肝胆相照らす間柄となった。 所蔵品は、30点以上の大観作品を始め、河合 玉堂、菱田春草など日本画壇最高峰の傑作が収められている。 特に、大観の作品は本人より醉心山根本店へ直接寄贈しているため、そのほとんどが無鑑定。未公開・門外不出の大観の大作「宇治川絵巻」は、国内の大観ファンのみならず、世界中の芸術家にとって垂涎の的にちがいない。

昭和初期の秀作 虫の音の写真

昭和初期の秀作 虫の音

秋の宵を描いた、涼やかな一幅。 ほのかな月明かりに揺れる秋草、耳を澄ませば虫の音が聴こえてきそうな、心澄みわたる昭和初期の作品である。 無鑑定のため、作品の由来・履歴は詳らかではないが、あえてそれが希少性を高めている。

大観の米寿記念に寄贈された 壽の写真

大観の米寿記念に寄贈された 壽

横山 大観は、昭和32年(1957)に88歳(米寿)を迎えた。その記念として四代目蔵元・山根 卓三に、「壽」の意匠を特別に寄贈している。 象形文字風の意匠は現代アートデザイン感覚にも溢れ、日本画の大巨匠が秀逸なタイポグラファーでもあったことに感動させられる。 余談ながら、この前々年に三代目蔵元・山根 薫は逝去し、また、この翌年に大観も生涯を終えている。

三代目蔵元・山根薫宛ての 大観直筆の手紙の写真

三代目蔵元・山根薫宛ての 大観直筆の手紙

横山大観は1日に二升三合の醉心を飲み、「我が主食なり」と賞賛していた。 しかし、昭和20年(1945)年3月10日の東京大空襲で、台東区在住の大観も焼け出されてしまった。いかにしても主食を手に入れたい大観は、当時の運輸大臣・五島 慶太に特別の輸送手段を頼み、その上で山根薫に酒の出荷を頼んだ。 手紙の日付は、3月25日となっている。