Vol.37 ガテン

マチコの赤ちょうちん 第三七話

ブルルルゥーと、マチコの玄関先に大型ワゴン車が停まった。
「おつかれさまでしたー」と挨拶する声が響き、ガラリと格子戸が開くと、夕陽を浴びる男が入って来た。
頭に鉢巻、足元はニッカポッカのような風体だった。
カウンターでまぶしそうに顔をゆがめる澤井が、「誰だ?」とつぶやいた。
「熱燗!お願いしまーす」
その声に「あらっ、塚田君じゃないの。えらく、勇ましい格好ね」と、真知子が厨房から覗いた。
鉢巻をほどいた塚田は、赤ちょうちんの灯りの中で、肩といわず腰といわずパンパンと掃った。冷えた風が、塚田の落とした枯れ草を店内にふわりと舞わせた。
「おいおい、どこで、何のバイトをやってたんだよ?塚田君、来年は就職だろう。今頃そんなことしてて、大丈夫かよ?」
澤井の言葉に、酒を燗する真知子も「そうよ。夏休み後に『就職先は、まだ内緒です』って、はぐらかしたままじゃない。あれから、どうなったのよ?」と姉が弟に小言を聞かせるように早口だった。
「……実はこの3日間、最終面接っていうか、実地試験というか。岐阜の奥飛騨へ行ってたんです」
頭を掻きながら、塚田はカウンター席に座った。日焼けした顔が、作業服姿をやけに逞しく見せた。伸びた鬚も、まんざらでもなく似合っている。
「高山ぁ?そんな遠い場所に本社があるのか?いったい何の会社なんだよ」
そう詰いつめる澤井の鼻を、ふっと干し草の匂いがくすぐった。
一瞬、息を溜めた塚田が、マチコの顔を見返して、思い切ったように答えた。
「実は僕っ、“ガテン系”の仕事に決めました。茅葺き屋根の職人になります!」
「はぁー???それって、田舎の古い家の屋根を直す、あの仕事か?」
芋の煮っころがしを箸でつまんだまま、澤井はポカンと口を開けていた。
真知子は塚田に熱燗を注ぎながら、「ねぇ……その理由を教えて」と優しいまなざしを送った。
春半ばから塚田は就職活動を始めていたものの、長引く不況下、どの企業ともいい感触は得られなかった。見込みのある会社でも、自分が心底やりたい職種ではなかった。
そして、夏休み頃には「しばらくフリーターでもいいか」とあきらめ半分、学生生活の最後にと、憧れの国・スペインへ旅立った。
その遠い国で、塚田は自分の道を見つけた。
「ガウディのサグラダ・ファミリア教会を見に行ったんです。安い民宿にずっと滞在して、おいしいワインとスペイン料理を楽しみました。3日目に、愛媛のおふくろへ電話したんです。自分の将来を見つめ直したいって。しばらくして、おふくろから手紙が届きました。その中に、宇和島のばあちゃんからの手紙も入ってて、『好きなことをトコトンやれ。とにかく元気が一番!』って。ばあちゃんの家で撮った写真も入ってました。それをスペインの民宿のおばさんが見て、『素敵なお家ね。日本の文化って、本当に美しい。私はあなたが羨ましいわ』って、目をキラキラさせて誉めてくれたんですよ。ガウディと同じく、素晴らしいって。その時、何かが弾けました。それまで僕は、茅葺きのばあちゃんの家なんて、金ばかりかかる厄介者と思っていた」
塚田に、民宿の女性は“カヴァ”という発泡酒を注ぎながら訊ねた。
「あなたは、どんな人生の夢を持ってるの?」
塚田は答えられなかった。
「どんな風に稼ごうかって選んだ仕事は、長続きしないわ。ごく普通に食べていけて、幸せを感じる仕事を見つけることよ。そのきっかけは、いろんな人と出逢うことから始まるわ。そして、自分自身の心で、人生の喜びと苦しみをちゃんと実感していくこと。世の中や他人のせいにしちゃダメ。私は、今じゃあ、この民宿が天職よ。だって、あなたや世界中の人たちとお話しができて、毎日が感動と発見なんだもの」
よく太った赤ら顔の女性は、そう諭したという。
燗酒をひと口飲んで声を高める塚田を、真知子はじっと見入っていた。
澤井もウンウンと、話しの端々にうなずいていた。
「見てくださいよ、この手。茅葺きは乾燥したススキを使うから、軍手してても刺し傷がたえなくて。でも、これこそ自分の仕事だって実感しました。こんな僕でも日本文化の一端を守れることが、今、すごく嬉しいんです」

傷だらけになった塚田の手を、真知子の手のひらが包んだ。思ったよりも切り傷やひび割れの多い肌に、塚田は目を丸めていた。

「よかったね、塚田君。何年かして一人前になったら、もう一度スペインへ行かなきゃ。今度はお礼に、日本酒で民宿のおばさんと乾杯だよ」
真知子の言葉に、ほほえむ澤井が続けた。
「そんな手をしてる真知子さんは、実はガテン系なんだよ。だから、マチコのハートはいつも熱いだろ?」
塚田が「なーるほどね」と、指を鳴らした。
「へいっ、がってんだよ!」真知子が腕まくりして“ちからこぶ”を作ると、三人の笑い声が巻き起こった。