Vol.40 おめでた

マチコの赤ちょうちん 第四〇話

「クリスマスだってのに、何でウチなのよ。広告マンなんだからトレンドなお店、いっぱい知ってるでしょう?たまにはゴージャスに、銀座でも連れてってあげなさいよ」
あきれ顔の真知子が、妻の由紀を連れて来た松村和也にこぼした。
確かに今夜は、水野や澤井たちも家族サービスのためか、姿を見せない。
ほかの客たちも、おそらく銀座や渋谷あたりへ繰り出しているのだろうと、真知子は空っぽの店内で夕刊に読み耽っていた。
「いいじゃん。近くで便利なんだから。それに、俺たち、あんまり流行って気にしないの。ゆったり、のんびり派。な!」
カウンターに座った松村は、由紀に無理やりうなずかせるように言った。
由紀は「え、ええ……」と控えめに答えた。おとなしい性格は以前と変わっていないようだったが、松村と対照的なその人柄に「上手くいってるんだな」と真知子はほほえむのだった。
「和也君どうする?ビール?お酒?悪いけど、シャンパンなんて無いわよ」
「じゃあ、俺は福島県の地酒を“冷や”でお願いします」
和也の横でおしぼりを手にしたまま黙っている由紀に、真知子が訊いた。
「由紀さんは?」
「あっ、私はウーロン茶で」
由紀が手を左右に振って、言葉を切った。
「なんだよ。一杯ぐらい、いいだろ?クリスマスなんだから」
「ダメ!ぜったいダメ!」
声を高めて拒む由紀を、真知子は驚き顔で見つめ返した。その様子に、和也が「真知子さん、実は……」と照れくさそうに言いかけた時、格子戸がガラリと開いた。
「5人だけど、いいっすかー?」鼻や唇にピアスを通し、無精鬚とメタル系のファッションに身を包んだ若者たちが、いきなりドヤドヤと現れた。
場違いな客たちに、閑古鳥に泣いていた真知子の顔がなおさら曇って見えたようで、和也は「真知子さん、追っ払っちまおうか?」と声をひそめた。
しかし真知子は「ううん、お客様!お客様!」と気を取り直し、そのグループをテーブル席へ案内した。
ビールが並ぶと、男たちは「乾杯!乾杯!乾杯!」とジョッキを合わせ、最近の意味不明な若者言葉で口々にしゃべり始めた。声音は低かったが、なまじっか客が少ないため、それはマチコの中で反響した。
「うるせえなあ、何をウダウダ言ってやがる。お前らみたいなのが日本の将来を背負うと思ったら、つくづく情けねえや」
「和也!止めてよ」
3杯目を飲み干して気の大きくなっている和也を、由紀がとがめた。
「そうでもないみたいよ、和也君。あの子たち、イラク問題だとか、年金のことだとか、けっこう真剣に話し合ってるわよ」
空になったジョッキを下げた真知子が、口を丸めて和也に耳打ちした。
「うっそだろ~。あいつらが?」
和也はそう言って立ち上がると、由紀と真知子が「ちょっ、ちょっと。よしてよ」と止めるのも聞かず、男たちの席へ向かった。
意外にも若者たちは「おおー、ウェルカムっすよ!」などと、和也を迎え入れ、和也は和也で「しかし、君らもクリスマスだってのに、女の子とどこか行くってのも無しか?」などと、先輩風を吹かせた。
そして、男たちは和也の勧める地酒を口にすると「えー!本物の日本酒って、こんなにうまいんすか?すっげぇ!」と、次々に注文を始めるのだった。
その後も、和也と若者たちの会話はますます弾んだ。
お終いには「今の俺たち日本人は、日本人らしさを失った気がする」とか、「じゃあ、日本人らしさって何なの」などという、大そうなテーマにまで発展しているようだった。
「真知子さん、すみません。……ミイラ盗りがミイラになっちゃったみたいです」
かしこまる由紀の腹が、真知子には少しふくらんで見えた。
「ほんとにもう、奥さんほったらかして……。じゃあ、こっちはこっちで、おしゃべりしましょうか。ところで由紀さん、ひょっとして“おめでた”じゃないの?」
「えっ!あっ、はい……。実は今日来たのも、報告がてらマチコに行こうって主人が言って。ホテルのレストランでディナーなんか食べるより、その方がずっと落ち着く。お腹の子の胎教にもいいって」
腹に手を当てて話す由紀に、真知子はやさしい口調で言った。
「何を言ってんだか。困ったものよねぇ」
「でも……私もそう思うんです。この2年、主人はマチコに通うようになって、ずいぶんやさしくなりました。いろいろな方たちと知り合えて、人の気持ちを大切にするようになったと、自分でも言ってます。人を避けちゃいけない。自分から入って行かなちゃだめだって。だから、あんな風に、誰かれなく近寄って行くこともあるんでしょうけど」
由紀の見つめる先で、酔った和也が長髪の男と肩を組み、大笑いをしていた。
11時になり赤ちょうちんが消えると、男たちは「女将さん!うまかったす。地酒、最高っすね。また来まーす」と勘定を頼んだ。
「おいっ、この先輩、ダメだ。潰れちゃってるよ」
バンダナを巻いた長身の若者が、和也の肩を抱き上げてそう言った。真っ赤な顔をした和也は、すでにうたた寝の状態だった。その姿に、由紀の口からため息がもれた。
「ねえ、奥さん。“おめでた”なんですよね。ご主人に聞きました。お宅、近くなんでしょ?僕、家までかついじゃいますよ」
鼻ピアスの男がそう言うと、由紀は「えっ、あの……」とためらったが、真知子は「そう!じゃあ、このだらしないオヤジを日本の将来ともども、よろしくう!」と敬礼した。

「OK、ラジャー!」と男は親指を立て、松村をおぶった。
店先で男に背負われた和也が、「由紀……俺たちの子の時代も、まんざら捨てたもんじゃねえぞ……ムニャ、ムニャ」と寝言をもらした。
恥らう由紀を囲んで、みなが「おめでとうございまーす!」と叫んだ。通りを見上げると、丸い月が浮かんでいた。
「来年、どうぞ元気な赤ちゃんが生まれますように!」
師走の澄んだ夜空に、真知子の“かしわ手”が心地よく響いた。