Vol.65 雑煮

マチコの赤ちょうちん 第六五話

混雑する法善寺横町を抜ける真知子の足が、ちょっとずつ速くなった。
火災から復興した通りにはお正月らしい装いの人たちが多く、苔むした水掛不動の前は長蛇の列で、あたり一面に線香の煙が漂っていた。
正絹の和装をまとった真知子は周囲の視線を独り占めするほど清楚で、振り袖の女性を伴った男がその後ろ姿にしばらく見惚れ、「ちょっと、どこ見てんの!」と睨まれていた。
真知子の視線のすぐ先には、杉の古木を輪切りにした「ともしび」の看板が下がっている。
今年の正月は宮崎へ帰省しようと思っていたが、実家の父が親戚の家に招待され、またもや真知子は東京暮らしの予定だった。
その話しを聞いた津田は「そら好都合や!」と、例年、大阪の店で元旦に催している高齢男性たちの新年会に、ぜひ来て欲しいと誘ったのだった。
津田の喜ぶ顔を思い浮かべる真知子は、思わず「ふふっ」と一人笑いして、ともしびの扉を開けた。
途端にベベンッ、ベンベンと三味線が鳴り、真知子はたくさんの拍手に迎えられた。正月1日の昼だというのに、ともしびのカウンターとテーブルは20人ほどの男性客で埋まり、あちこちで酒盛りが始まっていた。
「おめでとうさん!ナニワの新年会へいらっしゃ~い、真知子さん!」
真知子は驚きながらも声の主に会釈をしたが、そこには昔のお笑い番組でよく目にした大阪芸人が、三味線を持って笑っていた。
「ようお越し!真っちゃん。懐かしい芸人はんやろ?この人も、ワシらの仲間やねん」
プンと酒の匂いのする津田の声が、真知子の肩越しに聞こえた。振り向くと、新酒の一升瓶を客たちにふるまう津田の赤ら顔があった。
「スゴイわね~、1日からこんなにたくさんのお客さんなんて!それに、皆さんお達者そうな方ばかり」
真知子はショールを取りながら、ズラリとカウンター席に並んだ年輪ある表情に感心していた。
いつもは津田しか喋らないナニワ言葉がそこかしこで交わされていて、真知子の胸はほっと和むのだった。
「そうでっせ~!みな、ピンピンしてまっせ。ほれにやな、元旦早々、あんさんみたいなベッピンが来てくれたら、そらぁもう、ワシら今年も元気でやってけまんがな。おい、正ちゃん!あんたいっつも東京行って、ええ目しすぎや。たまにはワシと交替せんかい」
いきなり飛んできた小太りの老人の声に、店内も「そうや、そうや!」と、がぜん盛り上がった。
「みんな、しぶといヤツばっかりでなぁ。なかなか棺桶に足突っ込みよれへんねん。そやさかい、今日は東京のべっぴん女将が来るよって、冥土のみやげに拝んで、はよ、あっちへ行けちゅうてん。うははは!」
上機嫌の津田や客たちの声に、真知子もどこかしら嬉しくなって「じゃあ、マチコ特製のものを作りましょ」と、持参していたタスキと白い割烹着を着始めた。
凛としたその様子に、「おお~、ええやないか~♪その姿、わいのヨメはんの若い頃にそっくりや!」と誰かが叫べば、「あほう!お前んとこのヨメがこないにベッピンやったら、ワシがとっくに手ぇ出しとったわい!」とボケとツッコミが飛び交い、宴はますます賑わうのだった。
カウンター席と差し向かいの小さな厨房で、真知子はテキパキと調理を始めた。
俎板を叩く包丁の音が小気味よく響くと、「ふーむ、いつもの正造はんの音とは、ひと味ちゃうなあ。お正月らしいちゅうか……キビキビした、清々しい音やなあ」と、赤い頬に杖をついた白髪の男性がもらした。
「…うん、これもええ。いつもむさ苦しい厨房に、花が一輪咲いたようや」と津田は小さくつぶやいて、真知子の姿に目を細めた。
真知子は次々に、手際良く料理を進めた。カシュッ、カシュッと鰹節を削る音が響くと、男たちは「ほう!」と感嘆し、ダシの匂いが立ち込めると「うむ、うむ」と腕組みして、どんな料理ができるのか期待していた。
「さてと、じゃあ、お餅を焼きます。これができれば、マチコ風お雑煮の出来上がり!」
そう言って真知子が持参した袋から餅を取り出すと、津田が声を発した。
「あちゃ…そらあかんわ。真っちゃん」
「え!何が?」
真知子がキョトンとすると、「それ、角餅やがな」とカウンター席の老人が指差した。
「関西のお雑煮は、基本的には丸餅やって、以前にわし言うたやろ」
「あっ!しまった」
真知子の大きな声に、一瞬、店内が静まった。さらに、もう一人の熟年紳士風の男は「この会では、全部が丸いんですわ。ほれ、皿もお椀も、グラスもお猪口も、端置きもコースターも…ぜ~んぶまん丸。ほいで、人の関係も一年間丸うしようやないか、ちゅう会でんねん」
その言葉に真知子は声を失くして、料理の手を止めた。
真知子は、津田の助けが欲しかったが、なぜか彼は黙ってカウンター脇から見つめているだけだった。
胸が重苦しくなったその時、小太りの老人が言った。
「ワシは食べたいな~♪その角餅。これも、冥土のみやげや。江戸のべっぴんさんが、せっかく作ってくれたお雑煮やで。いつまでも同じことばっかり言うとったら、死ぬまでお預けやもんなあ。ほれに、これ食うたら、真知子さんと仲良うでけそうやしなあ。正ちゃんの次は、ワシの番やで!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、声が続いた。

「おい!何を、言うてけつかる。わいかて食べるで。真知子はん、早うしてちょうだい。わいの方が、先や。待ってまっせ~♪」
そして結局、みながみな、真知子の雑煮に両手を上げた。
温かい声が、真知子の胸にジンとしみていた。真知子が見ると、津田は「うん、うん」と笑顔で頷いていた。
潤んだ真知子の目の中で、客たちのまん丸い顔が、ともしびの看板と重なっていた。