Vol.142 シングルベル

ポンバル太郎 第一四二話

 週末の六本木や赤坂の街角に、クリスマスグッズが捨てられている。うるさかった昨日までのジングルベルは止み、若者も今朝まで遊び呆けたせいか、土曜日の夜なのに人出が少ない。

 ポンバル太郎のある下町通りも人気がなく、野良猫がうろついている。お目当ては、裏口から洩れる焼き魚のうまそうな匂いだった。

 今夜は、毎年恒例の常連組だけで楽しむ1日遅れのクリスマスパーティである。カウンター席では、平 仁兵衛と火野銀平がぬる燗の純米酒をさしつさされつしている。
 右近龍二が扉の鳴子を響かせると、続いて、高野あすかも現れた。
 ロングコートを脱ぐあすかから、薄い香水が漂った。いつもながら匂いが控え目なのは、蔵元の娘らしい日本酒への気配りだった。

 楚々としたあすかに平が見惚れると、銀平がいじくった。
「まったく、今年もまた、シングルベルの会じゃねえか」

 シングルベルとは、寂しいクリスマスを過ごす独り者のこと。高野あすかと右近龍二は未婚のシングルで、平 仁兵衛と太郎は妻に先立たれた寡夫である。
「あら、一番シングルが長引きそうなのって、メタボで禿げてる銀平さんじゃないの。だから、はい! 今年のプレゼントは、流行のボディサロンへのご招待よ。あ~あ、どうして銀平さんにプレゼントしなきゃならないのよ!」

 あすかが渋々ながら取り出したのは、テレビCMでビフォー・アフターの体形が評判のダイエットトレーニングの体験チケットだった。それを渡したい本命はちがうとばかりに、あすかはスネた表情を厨房の太郎へ向けた。

 銀平は火がついたように怒り出すかと思いきや、まんざらでもなさげである。
 毎年、パーティのひと月前に常連たちはクジを引き、当たった相手のプレゼントを用意する約束だった。ただし、相手が誰なのかは、今夜まで内緒にしなければならない。
「それ、もったいないよ。銀平さん、すぐにリバウンドしちゃうでしょ? 僕に譲ってくださいよ」

 無濾過生原酒を飲み干した龍二が、ほろ酔いで銀平の肥った腹をつかんだ。
 渡す気はないとそっぽを向く銀平は、江戸印傳の手提げ袋から和紙包みを取り出した。銀平が引いたプレゼントの相手は、龍二である。
「おめえこそ、こいつで粋な男前になったらどうでぇ。どうも最近の龍二は、気合いが足りねえからよ」

 銀平の差し出す上等そうな美濃和紙に、龍二が期待の色を目元に浮かべた。だが、開けてみると何の変哲もないさらし木綿が巻いてあった。
 龍二が訝しげに解いた白布に、あすかは手を叩いて喜んだ。珍しく平も、笑い声を上げた。
「おお、フンドシですねぇ! けっこうけっこう! 今どきの若者は、引き締めが肝心ですからねぇ」

 フンドシの真ん前には“龍”の筆字が染められていた。
 龍二は苦笑しつつ、ほろ酔いの平に四角い箱を差し出した。
「じゃあ、僕からは平先生へ。たまには、こんな若返りもいかがすかねぇ」
 箱を開ける平の手元に、厨房から現れた太郎が吹き出した。若い女子アイドルグループのDVDと、メンバー人気投票用のハガキ入り冊子だった。おまけにペンライトまで添えてある。
「おっ、おめえ、平先生に、これで踊れってのかよ。卒倒しちまうじゃねえかよ!」
「あっ、いや、その。平先生は陶芸家ですし、世俗を離れてるでしょう。だから、家でこれ観ながら気分だけでもノッってもらえればと……ダメすか?」

 やり過ぎたかと頭を掻く龍二をよそに、平は懐から万年筆を取り出して嬉しそうにハガキへ投票番号を記入している。
 唖然とする銀平とあすかに、平が照れくさげにカミングアウトした。
「実はね、12番のヒトミちゃんのファンなんですよ。片えくぼが、亡くなったカミさんの若い頃によく似てましてねぇ……ウ、ウホンッ! さて、私からは太郎さんへプレゼントです」

 真顔に戻った平は、カウンターの向こうの太郎へ長細い包みを押し出した。
 銀平と龍二は興味津々の面持ちだったが、あすかはうわの空。この順番からすれば、太郎のプレゼントは自分に贈られると胸を弾ませた。
 正気に戻ったあすかの前で、前掛けで拭いた太郎の右手が柳刃包丁を取り出していた。青白い刃の光に、太郎の頬は紅潮した。
「これは、ずっと欲しかった堺の刀工・国光の柳葉……こんな立派な物をもらっていいんですか、平先生」

 たじろぐ太郎を見るのは、誰もが久しぶりだった。魚匠の銀平さえ知らない、逸品だった。
 さっきまでの砕けた雰囲気と打って変わり、カウンターが静まった。
「太郎さんはいつも厨房仕事の合間に、料理道具の本を見ていますねぇ。ここ数カ月は、包丁のページばかりでした。失敬と思いましたが、開けっぱなしの本を覗き見して、その包丁だろうと気づきました」
 包丁へ瞳を凝らす銀平が、惚れ惚れした顔で言った。
「さすが、平先生。芸術家は、察しが深けぇな。俺たちとは、人を見る目の年季がちがわぁ!」
 龍二も平を持ち上げたが、空きっ腹に酔いが回ったらしく、うっかり口を滑らせた。
「しかも、ヒトミちゃんファンってのも趣味がいいです! 実は、太郎さんもそうなんですよね」
「あ、バカ野郎! それは秘密だって、言ったじゃねえか」

 あわてる太郎に思わず男たちは爆笑したが、あすかはそれどころではない。いよいよ自分の番だと胸が高鳴り、腋の下に汗を感じた。
 包丁を大事にしまう太郎は、居ずまいを正して口を開いた。
「みんな、お互いのことを心底、大事に思っているよな。あらためて、ありがとうございます。この店の常連になってくれて……さてと、俺の番だが、残念ながら渡す相手がまだ来てねえ」
 当然ながら、太郎からはあすかへプレゼントすると思っていただけに、男たちは顔を見合わせた。

 キョトンとするあすかが、自分の胸元を指さしながらつぶやいた。
「えっ……私は、ここにいるんだけど」
「いや、ジョージがまだ来てねえんだ……そうか、みんながクジを引いた夜に、ジョージはいなかった。翌日、一人でやって来て、あいつはあすかのクジを引き当てたんだよ。だから、俺はジョージへ。ジョージからあすかにってわけだ。そろそろ、やって来る頃だな」

 すまなさそうに太郎が手を合わせると、カウンター席は、またもや静かになった。
 あすかは気丈な顔だが、小さく震えている指先に、内心は落胆したにちがいないと誰もが察した。しかし、太郎は素知らぬ顔で、冷蔵ケースの奥から藍色の四合瓶を取り出した。
「こいつが、俺からジョージへのプレゼントだ」
 スパークリングタイプの活性した大吟醸で、ジョージが再三、太郎に入手を頼んでいた希少酒だった。
 瓶を目にしたあすかは、長いため息を洩らした。
 なぜなら、それはあすかがジョージに教えた福島県の銘酒で、彼女自身、喉から手が出るほど欲しい酒だった。個性的なボトルはワインタイプで、人工コルク栓を使っている。

「……皮肉なもんね」
 独り言ちるあすかに銀平はドギマギしながら、もらった招待チケットを眼前にかざした。
「いやぁ、このダイエットトレーニング、やってみるぜ! 見てろよ、腹の筋肉が割れるくれえ、鍛えてみせるからよ!」
 聞こえよがしな銀平にあすかが苦笑した時、玄関の鳴子に続いて、ジョージの声が響いた。
「お待たせしました! あすかさん、これ、私のプレゼントです」
 興奮しているのか、やけにジョージの声が裏返っている。カウンターに座るやいなや、ジョージはあすかに、小さな袋を押しつけた。よほど、いい物を見つけたらしい。
 息の荒いジョージに、あすかは気後れしながらも「ありがとう」と素直に答え、袋を開けた。取り出したのは、雅やかな漆塗りの柄を持つソムリエナイフだった。
 あすかは、はっとして思い出した。夏の終わりにジョージと酒を酌み交わしながら、今一番欲しいのはソムリエナイフと話していた。

「ほう、これは美しい。なかなかの作品ですねぇ」
 輪島塗の家元で生まれ育った平が、お世辞抜きに柄のデザインを褒めた。平の審美眼にかなうほど高価なソムリエナイフだけに、あすかは受け取るのをためらった。
 しかし、ジョージは太郎からスパークリング大吟醸をもらって有頂天になっている。いつの間にか、そこへ銀平と龍二も加わって何やら相談していた。

「あすか、ジョージから、もう一つおまけのプレゼントがあるそうだぜ」
 唐突に、銀平が声を発した。龍二は、アイスクーラーへ製氷機の氷を入れ始めた。
「ほう、これはおもしろいことに、なりそうですねぇ」
 平が目尻をほころばせると、ジョージは太郎から受け取ったスパークリング大吟醸を、あすかの目の前に置いた。

「そのソムリエナイフで、コルク栓を開けてください。そして、太郎さんと二人で、最初に、乾杯してください。それが、私からあすかさんへのクリスマスプレゼントです」
 太郎もはにかみながら、あすかに開けろと目顔で伝えた。
「えっ、ちょ、ちょっと! 私、そんなつもりじゃ」
 戸惑うあすかの手を握ったジョージは厨房へ引き入れると、太郎の横に立たせた。

「いよ! ジョージ、男前!」
 盛り上げる龍二に、銀平もはやし立てた。
「ヤンキー野郎も、ようやく江戸っ子の気っ風が分ってきたじゃねえか! おう、あすか!
シングルベルから脱出するリハーサルだ。ちゃんと太郎さんを、未来のダンナ様だと思って、乾杯するんだぜ」
 銀平がわざとらしく“未来のダンナ様”に力を込めると、あすかの顔は火が出そうなぐらい赤くなった。
「もう、銀平のバカ!……でも、みんな、ありがとう」
 太郎の傍で恥ずかしそうにソムリエナイフを開くあすかに、平が胸の中でつぶやいた。
「次はウエディングベルを、二人で聴いてくださいねぇ……ハル子さん、そろそろいいんじゃないですかねぇ」
 それに答えるかのように、スパークリング大吟醸が軽快な音を響かせた。