Vol.204 おやき

ポンバル太郎 第二〇四話

 大宰府の梅がようやく蕾をふくらませたと、スマホのwebニュースは紅白の枝の写真を大きく載せていた。しかし、山手線のホームで記事を見ている乗客たちの吐く息は、まだ白い。沖縄では3日前に桜が開花したと告げられたが、東京の春は遅いようである。
 酒の肴も、冬から春先の旬に移りつつある。信州産の“ふきのとう”や鳴門産の“新ワカメ”を材料にしたメニューが、都内の居酒屋で目についた。

 ポンバル太郎のカウンターでは、築地のやっちゃばから東北のコゴミやゼンマイを納めた八百甚の誠司が、悦に入った表情で熱燗を飲んでいる。客席から山菜の天麩羅が注文されるたび、誠司の目尻はほころんだ。
「いいっすねぇ! 今日の山菜は、長野県の戸隠で採れた物ですが、野草らしい香りと苦味があって、お燗酒のツマミにピッタリでさあ」
 隣に座るや、ゼンマイのおひたしを頼んでくれた平 仁兵衛に、誠司が嬉しそうにお銚子を差し出した。少しゆがんだ鼻っ柱は赤くなり、銀平が現れる前から饒舌だった。

「野生だから、土地によって味が変わるわけですかねぇ。滋養の高い山野草は、私のように肉っ気をあまり摂らなくなった老人には元気の源ですよ」
 問わず語る平へ、カウンターの隅にいる白髪まじりの男が無言で相槌を打ち、ふきのとうの天麩羅を口にした。
 男は山菜と酒を口にするたび、しばらくの間、噛みしめていた。中之島哲男の紹介でやって来た料理人だ、平は太郎から耳打ちされていた。

 気を良くした平が、もう一品とばかり山ウドの天麩羅を注文した時、テーブル席に座る三人の男は
「ここの山菜、天麩羅やおひたしばっかじゃん」
「アクが強いから、立て続けに食べると、肌に悪いんだよね」
「まあ、ちゃんと下処理はしてるみたいだけど」
と続けざまに声を発し、野草へ湯通ししている太郎に一瞥をくれた。

 イケメンな男たちは爽やかな印象で、彼らの日本酒を利く気取った仕草が女性客の目を引くたび、誠司は露骨に眉をひそめていた。
 遠慮会釈のない男たちの言葉に平は怒りを背中で隠したが、誠司は知ったような口ぶりが気に入らなかった。

「おう、兄さんよう! この山菜の、何が分かるってえんだ?」
 年齢と風貌の似た誠司が喰ってかかると、男たちは小馬鹿にした口調で答えた。
「あんた、築地の青果市場の兄さん? ジャンパーから、野菜の匂いがするよ」
「俺たちは、麻布のイタリアンレストランで料理作ってんだよ。今なら、山菜のパスタとか、山菜ピッツァとかね」
「つまりぃ、築地のお得意様ってわけ。そんな口利いてたら、もう、注文しないよ」
 “築地八百甚”のロゴマークが入ったジャンパーを鼻で笑う男たちに、上気した誠司が吠えた。
「それが、どうしたてんでぇ! 八百甚に、あやをつけようってえのか!」

 不穏な空気に、客席の笑い声が止まった。いきり立つ誠司の腰を、平が困り顔で引っ張った。一触即発の事態に厨房から現れた太郎は、誠司だけでなく、男たちも一喝した。
「誠司! ここは、築地のセリ場じゃねえ。大声は御法度だ……お客さん、あんたたちも初対面の相手に、口の利き方をまちがえてねえか?」
 太郎が声音に凄みを持たせると、男たちは気まずげに盃の冷めた酒を飲み干し、視線を窓に泳がせた。チョビ髭を生やした一人はこたえてないのか、女性客に手を振り、愛想笑いを投げている。
 誠司だけでなく、太郎も表情をひくつかせると、玄関の鳴子が静かな音を立てた。

「近頃は麻布のイタリアン、赤坂のフレンチやと、洋食にも山菜が使われるらしいな。けど、わしは、ほんまに美味しいんかいなと疑うてるんや。なあ、萬田はん。どない思いまっか?」
 入口を後ろ手に閉めた中之島哲男の関西弁に、静まり返っていた店内の客がいっせいに振り向いた。すると、その反対にあるカウンターの隅から声が飛んだ。
「あそこで使う山菜に、天然の滋味は感じない。手つかずの自然の中を歩いて採った物じゃないからね。最近は、多くの山菜が促成栽培されている。タラの芽は、タラの木を畑や休耕田などに移して、芽が出ると早めに切り取って、プランターに並べて水に浸す。そして、芽の伸び具合を見ながら毎日収穫する。ワラビや葉ワサビ、ヨモギだって、ハウスの中で栽培されていますよ……だけど、このポンバル太郎さんが使ってる山菜……誠司さんだったかな。あんたの納めたこの山菜は、本物だよ。子どもの頃、信州の野猿だった俺が保証する」

 今しがたまで寡黙だった白髪まじりの男が、目に光を宿していた。彼が中之島へ返した声は、自信に満ちている。声を失くしているイケメン三人組をよそに、驚き顔の誠司は、中之島とカウンターの男を交互に見比べた。

 厚手のランチコートを脱ぎながらカウンターへ向かう中之島は、テーブル席の前で立ち止まり
「萬田千次はんを前にして、山菜を語るべからず。日本中を歩いて、山菜を極めた人物や……しかも元は、青山にある老舗イタリア料理の名シェフやで」
と三人組をたしなめ、萬田の隣にゆっくりと腰を下ろした。

「よしてくれよ、哲男さん。もう今じゃ、信州のちっぽけな温泉宿の亭主だよ」
 照れ臭げに中之島と握手する萬田の横顔へ、盃を飲み干した平が深く頷いた。
「やっぱり、只物じゃないと思ってましたよ」
 太郎も腕組みしながら、旧懐を温めている中之島たちに近寄った。
「萬田さんの料理と酒の味わい方、素人とはちがってました……それじゃあ、イタリアンのシェフは引退されたわけですか」
「ああ、もはや山オヤジと化してますなあ。ただし、うちの宿はイタリアンを和風にアレンジした料理が看板ですがね。そうそう、哲男さん。これが、うちの名物なんだよ」

 萬田が鞄から取り出した二つ折りのパンフレットへ、中之島が眼鏡を鼻先にずらした。誠司や平も背伸びをして覗くと、よもぎ饅頭に似た緑色の丸い物が載っていた。ただ、デコボコとした生地の面には、青野菜のような欠片が混じっている。
「なんじゃい、このけったいな饅頭は?」
「饅頭じゃないんだ。長野の“おやき”のイタリア風って、とこかな」
 それを聞いても想像がつかない客たちをよそに、例のチョビ髭男が声を上げた。

「それ! 信州フォカッチャでしょ! 今、思い出しましたよ。あなたは昔、南青山で有名なジェノベーゼの料理長でしたよね。俺、料理学校を卒業した時、あそこに入りたかったんですけどダメでした……憧れの店だったんです」
 チョビ髭の言動に残りの二人は唖然としていたが、誠司はここぞとばかりに皮肉った。
「そりゃ、当然だろうよ。あんたの料理は、ハウス栽培の山菜を使うイタリアンなんだろ」
「うっ……それは、俺が働いてる店だけじゃないし……ハウス栽培の山菜は、築地の仕入れ先にだって責任あんだろ?」
 チョビ髭の逆切れに、女性客たちが手のひらを返したように「最低~」となじった。平が嘆かわしげに首を横に振ると、太郎と中之島は顔を見合わせ、短いため息を吐いた。

 チョビ髭の隣に座る男は赤面するどころか、青ざめて言った。
「もうよせ、見苦しいんだよ。帰るぞ!」
 逃げを打つ男たちに店内のそこかしこから嘲笑が洩れ聞こえた時、萬田が口を開いた。
「それで、いいのか? いつまで経っても、それじゃ、新しいイタリアンは生まれないよ。信州フォカッチャってのは、俺がつけた名前じゃない。気に入ってくれたお客さんたちが、いつの間にか、そう呼んでくれたんだよ。うちのおやきの生地はイタリアパンのフォカッチャみたいで、その中身や具材も信州の天然物の山菜を岩塩に漬けたり、ワインビネガーに浸して作っている。だから合わせる日本酒は、ワイン酵母を使った長野県の新しい純米吟醸だ。そんな発想を、君たちも持ちなさい」

 熱を帯びた萬田の声は、立ちかけた三人を椅子に戻した。水を打ったような店内に、中之島の太い声が響いた。
「太郎ちゃん、厨房、貸してんか。それと、小麦粉に八百甚から仕入れた山菜。仕上げには、竈を使うで」
 がってんだとばかりに、太郎は胸を叩いた。

 上着を脱いで腕まくりを始めた萬田に、願ってもない機会を得た三人組は声を揃えて
「ありがとうございます。勉強させて頂きます」
と深く頭を下げた。
 ようやく店内に客たちの拍手と笑みがこぼれると、銀平を待ちわびる誠司が独りごちた。
「なるほどねぇ、ワイン酵母の日本酒って、そんなふうに合わせるのか。おもしれえ! 銀平の兄貴に、あすかさんと上手くいくように教えてやるかぁ!」
 それを耳にした平が、口の中でつぶやいた。
「いやいや、そうはいきませんよ。ポンバル太郎の日本酒に合う新しいおやきを、太郎さんとあすかさんで作ってもらいましょ。萬田さんの信州フォカッチャをヒントにね」
 平の見つめる先で、萬田のこねる小麦粉と山菜が美味しそうなおやきになった。