Vol.40 お神酒

ポンバル太郎 第四〇話

 松の内の最終日、休みのポンバル太郎のカウンターに白い奉書紙で包まれた四合瓶や小徳利が並んでいた。太郎が表を向ける朱色の紋所の下には、明治神宮や伊勢神宮、出雲大社、大神神社といった神々しい文字が書かれている。
「すっご~い! 日本の名宮のお神酒(みき)が揃ってる。これ、全部飲めば相当なご利益ですね!」

 あでやかな現代風の振袖姿ではしゃぐ高野あすかに、お神酒を持参した平 仁兵衛や中之島哲男は悦に入った表情で盃を傾けた。昼下がりから飲んでいる二人は、すでに頬が赤らんでいる。
その隣で、青く剃り上げた頭と厚い胴体がやけに黒紋付に似合う銀平が、出雲大社の酒を開けながら平に訊ねた。
「ところで平先生、お神酒っていつ頃からあったの?」
「ふむ、漠然とした質問ですなぁ。なにをして、お神酒とするか……そもそも自然の力で発酵した猿酒や果実酒を偶然に古代人が飲んでアルコールに酔っ払うのを、神秘的な力として崇めたのが呪術信仰で、いわゆるアミニズムですな。土器の世界では、呪術に使われたらしい縄文式土器に蛇の模様が多く使われてます。それは、毒蛇にかまれて朦朧とする人に、神への畏敬を持ったからです。そのようすは、酒に酔っている状況と似ていたと言われてます。つまりは、呪術信仰の頃からお神酒はあったのでしょうね」

 出雲のヤマタノオロチ伝説が酒と関わっているのも、そんなアミニズムに由来するのではないかと答えて、平は出雲のお神酒に合掌した。
「確かに、奈良の三輪にある大神神社が境内に棲んでいるらしい“蛇”を大事にしてはるのも、そこに由来するみたいですわ」

 平の話しに、中之島が泥大島の袂をたくし上げながら三輪のお神酒を献杯した。

 ようやく輪島塗の漆器におせち料理を盛りつけた太郎も、割烹前掛けを外してカウンター席に座り、明治神宮のお神酒を木枡に注いで酒談義に加わった。
「お神酒って、都会人は縁起かつぎだけで飲むでしょ。でも、今も地方の農家にとっては豊年満作を願う聖なる存在じゃないかな。五穀豊穣を祈る新嘗祭(にいなめさい)では、必ずお神酒が祀られるしね」
「農家だけじゃねえぜ、漁師だってそうだよ。新年の初漁に出る日は、大漁旗を立てながら海にお神酒を振り撒くんだ。そういう意味では、やはりお神酒は男の象徴だよな」

 新年早々、平の語る含蓄を手帳に書き取っているあすかを、銀平はたしなめるように言った。
「あら、私は女性的な伝説に由来すると思うわ。アマテラスが天の岩戸に隠れた時の話しよ」

 太陽の化身で女性神であるアマテラスオオミカミ(天照皇大神)が、弟のスサノオノミコトの乱暴狼藉に困り果て、天の岩戸と呼ばれた洞窟に隠れた。すると世の中が真っ暗になり、八百万(やおよろず)の神様たちはどうにかして岩戸からアマテラスを引っ張り出そうと、策を練った。そして大宴会を催し、酒を飲み、歌い始めた。そこで登場したのが、女神で踊り子のアメノウズメノミコトだった。彼女の踊りに、周囲の神々はやんやの大喝采! その歓声が気になってしかたがないアマテラスが岩の隙間を開けた途端、一気に戸を開き、また世の中に光が戻ったと、あすかは長々と講釈した。
「その時のお酒こそ、お神酒だと私は思うの。だから、アメテラスオオミカミを祀る伊勢神宮のお神酒が飲みた~い!」
「うむ、そうきたか。なかなかのウンチクや。こりゃ、銀ちゃん。また新年早々の負けやな」

 伊勢神宮のお神酒をあすかの盃へ傾ける中之島が、銀平を冷やかした。
「くっ、くそ。けど、師匠! 酒造りはお寺で造っていた僧坊酒の時代から、ずっと女人禁制だったじゃないですか」
「あら、知らないの? その前の平安時代頃までは神社の酒殿(さけどの)で、女性が造っていたのよ。奈良の春日大社がいい例よ」

 その時、いい調子で上気してきたあすかと銀平の顔を、玄関からの陽射しが照らした。

 振り返ると、アメリカ人記者のジョージと菱田祥一がお神酒らしき酒瓶を手にして笑っている。その紋所には、成田山新勝寺と書かれていた。
「いずれにせよ、お神酒の話しでこんなに盛り上がるのはいいですねぇ」

 ちゃっかりとボイスレコーダーを回しているジョージは「あけまして、おめでと、ございます」と律儀なお辞儀をして、カウンター席に近づいた。
「俺も久しぶりに、日本のお正月らしさを味わえるよ。それに与和瀬のおせちも、楽しみだったしな」

 菱田は彩りの美しい重箱の中を覗き込みながら、舌を鳴らした。

 すると、また玄関の扉が開いて、取り替えたばかりの真新しい木枡の鳴子が心地よい音を立てた。
「土佐のお神酒、お待たせいたしました! こいつは、龍馬も飲んだお神酒って言われてます」

 新調したらしい紺色のスーツ姿の右近龍二に、全員が爽やかな表情を浮かべた。
「お神酒だけじゃなく、新年らしく、ポンバル太郎の役者もみんな揃いましたねぇ」

 酔った平のおだやかな声が響くと、二階への階段の踊り場から声がした。
「平先生、僕を忘れちゃやだよ~。それと、もう一人いるよ」
蚊絣の羽織をまとった剣が顔を覗かせながら、店の神棚へ置かれた小さな写真立てに視線を向けた。

 京都の松尾大社のお神酒徳利の横で、亡きハル子の写真が笑っていた。
「ふっ、あいつのお神酒の談義も長かったよなぁ……みんなの話しを聴いて、あっちで笑ってますよ」

 太郎の声に、全員が口をつぐんだ。だが、それぞれの表情は、たおやかな笑みを浮かべている。
「今年も、美味しい日本酒をよろしく!」

 神棚に太郎が盃をかざすと、誰ともなく、嬉しげに声を重ねていた。