Vol.69 ふりわけ

ポンバル太郎 第六九話

 台風接近の前兆だろうか、強い夜風が居酒屋の提灯を揺さぶっている。それでも気候は蒸し暑く、ポンバル太郎へ届いた酒のケースを片づける剣は大粒の汗を流していた。
厨房の太郎がそれを横目にしながら、竈で焼き上がった鮎の塩焼きを串から外している。テーブル席の女性客グループは、鮎らしい苔の焦げた匂いに鼻先を動かした。
「その純米吟醸、最近噂になってる岐阜県の蔵元の酒だな」

 純米酒を常温で口にする銀平が、6本入りのプラスティック箱から一升瓶を取り出して冷蔵ケースに並べる剣をねぎらうように言った。隣の平 仁兵衛は焼けた鮎を待ちながら、孫を見つめるように目を細めている。
「うん、そうだね。酒屋の大将が一度試してみなって、薦めてくれたんだ。高山や奥飛騨の岐阜酒シリーズで6本まとめてもらったよ」
「ふ~ん……あのよ、日本酒のケースって、どうして6本入りなんだ?」

 海老茶色のプラスティック製の箱を見つめながら、銀平が剣に訊いた。剣を試してるわけじゃないのは、銀平の真顔からも分かった。本人も、理由を知らないのだ。
ぬる燗の純米酒を盃に注いだ平が、二度頷いて同調した。
「素朴な疑問ですねぇ。日頃、私たちには直接関係ないから見過ごしていますが、確かに、そうですねぇ」

 テーブル席に座る三人の女性客が顔を見合わせて、平の言葉に反応した。
「そうなの? でも、ネット通販でお酒を注文したら1本からでも買えるじゃない」

 剣も含めて客たち全員が小首をかしげた時、玄関の鳴子が音を立てた。
「それは、蔵元が酒販店や卸会社と取引する際に一升瓶は1ケース6本単位なのが、そのまま配達容器になってるってことです。四合瓶の段ボールは12本入り、300ml瓶なら24本入りもありますよ。運賃効率を考えた単位だったのでしょうね」

 やって来た右近龍二が答えると、女性客たちは嬉しげに手を振った。顔見知りの彼女たちは日本酒に詳しいイケメンの龍二に憧れているようで、銀平はげんなりした顔で一瞥した。
「なるほど、全国の物流システムが生まれてからってことですか。それじゃあ、明治や大正の頃はまだ自動車が普及してませんから、蔵元の酒は、あくまで地元や近隣地域にしか運べませんなぁ。まとめて運ぶにしても川の高瀬舟か、牛馬しか手段はなかったでしょうねぇ」

 平は、太郎が平皿に盛った香ばしい鮎の塩焼きに鼻を鳴らしながら、龍二に問い返した。
「ええ、平先生。大正時代は灘や伏見の大手メーカー以外はまだ一升瓶を使ってなくて、ほとんどは地元の酒販店向けに、桶や徳利に入れた酒を大八車で手配りしていました。なにせ冷蔵庫もない頃ですから、近場じゃないと酒だって痛みます」

 平と龍二のやりとりを聴き取りながらメモっている剣に、女性客たちは、さすが太郎の息子と感心した。
話しを聴きながら得心顔に変わった銀平が、龍二へ続けて訊ねた。
「そりゃ、そうだな。けどよ、一升瓶が登場した頃だって、木箱ができるまでは手配りだったろう。ガラス瓶の扱いに不馴れだし、割れやすいし、配達は面倒だったんじゃねえか?」

 その問いに答えるかのように、太郎が店の奥まった壁際を見つめて言った。
「そのために、あれを使ったのさ」

 視線の先には、ずいぶん前に新潟の蔵元から太郎がもらった藍染めの“ふりわけ”が飾られていた。紺色の布には、白字で見慣れた越後の銘柄が抜かれている。
ふりわけは一升瓶を入れる二股の布袋で、酒屋の配達人が肩に引っかけて使うだけでなく、牛馬の首にもぶら提げた。初めてポンバル太郎を訪れた客は奇妙な形をしたふりわけに戸惑ったが、剣からその使い方を聞かされると両手を打って感心した。
「なるほど、ふりわけはその頃に活躍したのですねぇ。それにしても、あれを両肩に提げたら一升瓶4本分ですから、相当な重さですよ。おそらく剣君とさして変わらない年頃の、酒屋の丁稚小僧も使ったでしょう。少年には、なかなか大変な仕事です」

 平の子ども扱いに剣は一瞬、悔しげな表情を覗かせたが、実際、150㎝そこそこの彼の体では一升瓶4本に振り回されるだろうと誰もが思った。

 その時、また木枡の鳴子が音を立てた。外の風が強まってきたのか、開いた扉が隙間風に唸り声を上げると、長い髪を乱した高野あすかが現れた。
「だから私が、剣ちゃんに合うサイズのふりわけをオリジナルで作ってあげたの。ほら、約束してた四合瓶用ができたわよ!」

 あすかが紙袋から取り出したのは、ひと回り小さな柿色をしたふりわけだった。布地には、柿渋で染めた古い酒袋を使っていた。

 目を惹いたのが、“酒仙童子 与和瀬 剣”と赤い糸で刺繍された文字だった。
「なるほど、言い得て妙ですねぇ。確かに、酒匠の申し子の剣君は、酒仙になれそうな童子ですよ」

 平が見つめる小ぶりのふりわけは、剣の肩回りにピッタリだった。
試しに冷蔵庫の四合瓶を2本入れてみると、剣が着ている臥煙Tシャツに似合って、女性客から拍手が起こった。
スマートフォンで撮影されて照れくさげな剣に、銀平が舌打ちして言った。
「おう、剣。浮かれてんじゃねえよ。ちったぁ、昔の子どもの苦労や修行を考えろってんだ。そんなふりわけ担ぎながら、前掛けをして日銭を集金し、大八車を引っ張てたんだから、並大抵の根性じゃなかったにちげえねえ。ちょいと、俺にも貸してみろ」

 説教がましい銀平だったが、ふりわけを剣から渡されると嬉しげに肩へ掛けた。しかし、ゴツい体躯の銀平には、チンチクリンで似合わない。
女性客たちが思わず吹き出すと、たくらみのありげな笑みを覗かせるあすかが銀平に近づいた。まんざらでもない表情の銀平をあすかは褒めるでもなく、ふりわけを肩から外させ、太い首に掛けた。
「う~む、こって牛に酒を運ばせてるみたいですなぁ」
平の表現があまりにピッタリで、龍二と太郎は肩を震わせて笑いをこらえた。

顔を真っ赤にする銀平に、あすかは聞こえよがしな耳打ちをした。
「実は、欲しいんでしょ? 銀平さん用のふりわけ。一升瓶用を作ってあげるわよぉ」
「おっ、分かってんじゃねえか。そ、そうかよ。じゃあよ、俺の染め抜きは酒呑童子(しゅてんどうじ)で頼むぜ」
 腕組みして答えた銀平は、その名の由来を披露しろとばかり龍二へ目を向けた。
「なるほど……“酒呑童子”は、伝説で有名な大江山の大酒呑みの山賊ですよね」
 気を回した龍二が答えると、あすかがバッサリと斬り捨てた。
「あ~ら、銀平さんの風体からすれば、ただの“酒呑親父(さけのみおやじ)”でいいんじゃない。ふた文字ちがえば、大ちがいだねぇ」
 途端に爆笑が巻き起こり、うなだれた銀平の首で柿渋色のふりわけが揺れていた。