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新潟銘醸株式会社 ~歴史背景

日本酒の銘柄には、慶祝や縁起の良さにちなんだ名が多いものです。そして、全国各地の風土や暮らしを髣髴とさせる事象を冠した酒も、幾つか見当たります。新潟銘醸株式会社の「長者盛(ちょうじゃざかり)」は、まさに典型的な銘柄でしょう。越後=長者=大庄屋。あたかも、日本昔話に登場する豪農屋敷と広大な水田を思い描くことができます。

蔵元である吉澤家の遠祖も、おそらくはそんな家格であったにちがいありません。その本家は小千谷市と隣接する長岡市にあり、明治時代から“機那サフラン酒本舗”と命名して商いを始めています。

いわゆる今日の健康飲料的な“薬草酒”でしたが、これが大ヒットし、まさに長者盛を地でいく躍進を遂げたのです。
「この機那サフラン酒本舗を創業した吉澤家の土蔵には、極彩色の“鏝絵(こてえ)”と呼ばれる色漆喰を左官の鏝で盛り上げたレリーフが飾られています。ある種の贅沢なアートで、当時としては希少なしつらえでした。その土蔵とは明治時代から昭和初期にかけて、機那サフラン酒の製造販売で富をなした初代・吉澤 仁太郎が、大正時代に建設したものでした。敷地面積は約9,000平方メートル。母屋のほか、サフラン酒製造場や数々の蔵が配置され、その中でも昭和初期建設の“離れ”には、幅1メートル以上もある欅の1枚板を何枚も使った豪華な廊下がありました。そこから眺望できる回遊式庭園も、見事なものです」
そんな解説を始めてくれたのが、蔵元五代目である吉澤 貞雄 代表取締役社長です。
ちなみに、その“鏝絵”は東洋のフレスコ画とも呼ばれ、極彩色で描かれた十二支の動物や植物が、見事な手さばきでイキイキと描かれています。

吉澤 社長の話によると、初代・仁太郎は商才に長けていて、奇抜なアイデアの持ち主だったそうです。
薬効のある機那サフラン酒を広めようと、行商に出かけた際、町の薬屋に頼んで商品を並べてもらいます。その晩、近くの宿に泊まると、突然腹を押さえて苦しみ出すのです。
そこで女中に『サフラン酒が薬屋にあるから、買って来ておくれ』と頼み込む。この自作自演の宣伝を機にサフラン酒は大当たりし、昭和初期には海外まで販路を広げたと伝わっています。
その当時の機那サフラン酒とは、サフランと10種類ほどの植物の抽出液から造られた酒で、疲労回復・滋養強壮のほか、血の道・月経不順・冷え性など婦人病に効能があったそうです。

まだまだ、即効性を感じない漢方薬や東洋医学が幅を利かせていた明治時代。「効き目あり!」と聞けば、誰もがサフラン酒を欲しがったはず。
しかも酒となれば、酔いながら体調が良くなるわけで、世の男性諸氏は金に糸目は付けなかったにちがいないのです。
ただし、現在は薬用ではなく、リキュールの扱いとなっていて、薬効を詠うことはできません。

さて、二代目として家督を継いだのは、吉澤 勇次郎。後の新潟銘醸・初代社長となる人物で、昭和2年(1927)に「灘琺瑯(ほうろう)株式会社」を設立します。
彼は、神戸の銘醸地・灘で琺瑯タンクが売れなくて困っていると聞き、仲間と出資し合って、新潟から買収しては灘へ供給するようになります。
琺瑯タンクは衛生的で手入れもしやすく、木桶に取って変わる新しい設備でしたが、旧態然とした蔵元の意識を変えることは難しく、西洋技術の琺瑯タンクにはなかなか手を出そうとしなかったのです。
そんな経緯から、勇次郎は清酒造りに強い関心を抱くようになり、昭和13年(1938)新潟県中蒲原郡に酒蔵を設立します。そして2年後には、小千谷市内に本店を移転し、「長者盛」の銘柄でいよいよ本格的な酒造りに挑戦していくことになります。

「実は、不思議なことが最近ございましてね。当時に造られた“長者盛”が、兵庫県の神戸市三宮で60年ぶりに見つかったのです。私も、俄かには信じがたかったのですが、先方のご家系が有名な寿司屋さんで、当時のご主人が手に入れた酒を床下にしまっていたようです。どういう経緯でその人の手に渡ったのか、今となっては謎ですが、お電話を頂き、都合を付けて神戸まで参りまして、その古びた酒瓶と対面しました。これが麗しい琥珀色に変化していまして、まったりとした古酒の極みのような味わいでした」

おそらくは、勇次郎が灘琺瑯の仕事で兵庫を訪れた際に、手土産あるいはサンプルとして持参したのではないだろうかと吉澤 社長は語ります。
それにしても、半世紀以上を経ても劣化することなく美しく円熟した酒は、さぞかし美味だったことでしょう。
新潟銘醸の品質の良さを納得できる、トリビアな逸話です。

昭和の清酒需要によってさらに躍進を遂げた新潟銘醸株式会社は、一万石超の生産量を誇る酒造メーカーへと躍進。そして、五代目の吉澤 貞雄 社長の時代を迎えると、世は地酒ブームへと突入。越後の酒が、一頭地を抜いて人気を博します。
この時期に発売されたのが「越の寒中梅」で、“越”の名を冠する美酒の一画に座する存在となりました。

さらに、酒税改革により「特定名称酒」が脚光を浴び始め、新潟銘醸は丁寧に米を磨いた吟醸造り、アルコールを添加しない純米酒造りを双璧に立て、こだわりの酒造りへと進化していきます。

「しかし、平成16年(2004)に発生しました中越地震では、報道等でご存知のように甚大な被害をこうむりました。当社の最も古い蔵も崩壊してしまいましたが、幸いなことに無傷のタンクや酒があり、これを瓶詰めすることから再開しました。全国の皆様から暖かいご声援・ご支援・励ましを頂戴しまして、これにお応えするには、一刻も早く操業を再開して美味しい酒をお届けすることだと思い、復興に尽力した次第です」

その復活劇のあらましについては、蔵主紹介ページで、吉澤 社長にじっくりと拝聴することとしましょう。
大地震の痛々しい爪痕を残しながらも、金賞、優秀賞の常連組に名を馳せている新潟銘醸株式会社。
平成18年春も、「長者盛」は全国新酒鑑評会において、みごとに金賞を受賞しています。その珠玉 の酒造りに、今後も大いに期待したいものです。