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新潟銘醸株式会社 ~プロローグ

霏々と降りしきる雪は大河の瀬音までも吸い込み、果てしなく白い世界が寂幕とした遠景を描き出しています。
これほど厳しい冬の信濃川の姿は、小千谷市でなければ目にすることはできないでしょう。
中越屈指の豪雪地だけに、降りしきる雪質は硬く、融けにくいようです。その雪雲は、日本海からやって来る寒波が中越の山並みを越える際に、ひときわ大きく発達します。

小千谷の町は、遥かな昔からこの大自然の営みに包まれてきました。ゆえに、農地は初冬から雪に閉ざされ作封地となり、春までの暮らしは想像以上に厳しいものでした。
それでも大雪は、冬の空気を浄化させ、春には清冽な雪解け水となって野に下り、小千谷の町にさまざまな恩恵をもたらしてきました。
今回訪問する、新潟銘醸株式会社の銘酒「長者盛」も、その名産品の一つなのです。

さて小千谷市は、昭和29年(1954)の市制施行以来、市域を拡大し、今日の小千谷市となったのですが、そもそもこの町の歴史のあけぼのは、およそ4,000~5,000年前の「大平遺跡」や「三仏生遺跡」など、信濃川に沿って暮らした古代人の遺跡にまで溯ると言われます。
狩猟民族から農耕民族へと移行する時代、大河の生み出した肥沃な耕地に、彼らはようやく定住生活を獲得し、爾来、この一帯に営々と暮らしたのでしょう。
それほどにこの地は、信濃川の自然と切ってもきれない沿革を持ち、満々と水を湛える大河の最も大きく蛇行した川筋のうねりは、ここ小千谷市ならではの眺望になっているのです。
この豊饒たる水の恵みから誕生した名産品の筆頭に、「錦鯉」があります。

実は、錦鯉は突然変異の産物。元来、山に挟まれた小千谷の貴重な蛋白源として育てられていた鯉に、約180年前の江戸期、緋色の魚が生まれました。
これを痛く気に入った長岡の蔵主・牧野家が、観賞用として諸国に出荷したことから、ブランド品としての歴史が始まったのです。

いかなる理由で色づいたのかは不明ですが、その後も品種改良を重ね、現在では80種類にも及んでいます。
小千谷の錦鯉の素晴らしさは色艶と体型にありますが、その秘訣は、やはり天然の湧き水で育てることにあるそうです。中でも、小千谷市から山間に入った「山古志」は逸品の鯉の産地。稚魚から育て上げる秀逸な魚体が、毎年小千谷市で催される全日本総合錦鯉品評会で最優秀賞を獲得し続けています。

近年は海外への輸出も活発化、韓国や中国、香港などのアジア圏から欧米諸国まで、観賞魚として高く評価され、世界中に愛好者が存在しています。
平成16年(2004)の中越地震では、大きな被害を蒙った錦鯉産業。特に山古志では、土砂崩れによる養魚池の決壊や、濁流による鯉の流出が相次ぎ、危機に瀕しました。しかしながら、全国からの励ましや支援も寄せられ、ようやく錦鯉の色艶も復活しています。
小千谷市にある「錦鯉の里」には、愛好家だけでなく観光客たちも頻繁に訪れ、その綾なる色彩美にうっとりと見惚れています。

小千谷市は、近代日本の激動の歴史舞台としても登場します。
その史実を雄弁に物語ってくれるのが、「船岡山 慈眼寺」。寺伝によれば、天武天皇の白鳳年間、薩明大徳によって国家鎮護の道場として創建されたというほどに指折りの古刹ですが、この本堂に向かって右手・上段の間で、慶応4年(1868)5月2日、長岡藩家老・河井継之助と官軍の軍監・岩村精一郎とが会見を開いたのでした。
世にいう「小千谷談判」です。この会見は不幸にして決裂、その結果、長岡藩は余儀なく官軍と抗戦する羽目になり、ついに長岡城陥落という非運を招くに至ったのでした。

しかし、そうした戊辰戦争の悲劇も今は昔、小千谷の人々は日々の平穏な営みの中に、山紫水明が織りなす四季の表情を肌に感じ取っています。
往時の小千谷らしさを変わらず語り継いでいるモチーフと言えば、「小千谷縮(ちぢみ)」でしょう。

和装の高級反物である小千谷縮は、軽くて丈夫。しかもサラリとした風合いが、春から夏にかけてしのぎやすく、麻よりも極上の服地です。
江戸時代より中越の名産品として知られ、手間ひまのかかる作業と工夫の末に完成します。例えば、横糸に“より”をかけ“しぼ”を作ったり、雪の上で生地を干す“雪晒し”という技法も編み出されているのです。

ちなみに、小千谷縮の歴史を紐解けば、その誕生にロマンを感じざるを得ません。
これを考え出した人物は、小千谷から遠く離れた播麿明石の藩士(現在の兵庫県明石市)だった堀 次郎 将俊。浪人だった彼は、放浪の果てに小千谷地内山谷の庄屋・西牧 彦治衛門宅に草鞋を脱いで、地元の人々に読み書きを教えていたそうです。
そんなある日、この地方で織られている越後麻布を、夏の衣料に改良することを思いついたことから、小千谷縮は開発されたのです。

小千谷縮は、一介の浪人によって創り出されたわけですが、そのスポンサーは地元の資本家である庄屋だったと言っても、過言ではありません。
そして、実は戊辰戦争を間近にした際、長岡や小千谷の庄屋や旦那衆たちは、できるだけ集落から離れた山中で交戦して欲しいと幕軍に申し入れ、多大な資金を提供したそうです。
つまりは、このゆかしい地域をどうにかして守りたかったのでしょう。

そんな庄屋=長者としての伝統・家風を今に受け継いでいるのが、小千谷の銘酒「長者盛」を醸している新潟銘醸株式会社です。
かつて、明治時代から“機那サフラン酒”によって富を築いたという蔵元は、今日、中越らしい、ふくよかな香りと柔らかな旨味を持つ美酒を醸していると聞きます。
小千谷ならではの魅力ある一杯を想いつつ、ゆかしき町の蔵元物語を始めることとしましょう。