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妙高酒造株式会社~水・米・技の紹介

妙高酒造をロケハンした初日、筆者とカメラマンは引間 社長に蔵の中を案内され、いろいろと手を加えた設備に驚かされました。
効果的な空調を考えた麹室、特注の瓶燗ライン、中でも酵母培養室はひと際興味を引く存在でした。実は、妙高酒造では20種類以上の酵母を独自に開発し、協会酵母は2割ほどしか使用していないのです。
その個性的な酒造りを束ねるのが、「上越に、その人あり」と聞く 平田 正行(ひらた まさゆき)杜氏です。
平田 杜氏は地元の高校を卒業後、酒蔵とはまったく畑違いの東京の大手銀行に一度勤めています。

いったいなぜ、酒蔵へ転職したのですか?と訊ねてみると「いやぁ、人に使われるのがあまり好きじゃないんでしょうね。一人でコツコツ研究することが好きですし、都会の雑踏も息苦しかった。それと、私の実家は農業をやっていましたし、父親が杜氏でしたから」
そう言ってはにかむ 平田 杜氏は、昭和25年(1950)に地元の中頸城郡頸城町に生まれ、育ちました。昔から“頸城杜氏の郷”として知られる町です。

東京から故郷へUターンした平田 氏は、春から夏の終わりまで田畑で汗をかき、秋から冬は父親とともに群馬県の蔵元へ入りました。早生の稲を刈り入れると、すぐに荷物をまとめて旅立つのです。
5年間の修業の後、本格的に杜氏を目指すべく、平田 氏は国税庁醸造試験場に学びます。

そして27歳になった昭和52年(1977)、妙高酒造株式会社へ入社しました。
「当時は蔵人が18人、住み込みも8名ほどいました。麹造りなど夜間の作業も多かったんです。でも、そこが一番肝心なところでした。今でも、泊まりで作業する蔵人は4名ほどいます。やはり、絶対に手を抜けない、気を抜けない部分を守っていかないと、いい酒はできません」
平田 杜氏には、その頃に体得した“ここだけは外せないこだわり”があるそうです。

最先端の設備に恵まれる妙高酒造だからこそ、守るべき酒造りの原点……“不易流行”の言葉が思い浮かびます。
そんな厳しい毎日でしたが、精進努力の甲斐あって、平田氏は38歳で杜氏になります。
妙高酒造は早くから蔵人の就業や作業を見直し、設備を整え、できる限り負担のない体制に移していました。いい酒造りには、いい人作り、なのでしょう。
現在は 平田 杜氏を含め10名の蔵人が、10月から4月まで季節就業しています。


それでは妙高酒造の造りの特徴と、素材・技について訊ねてみましょう。
まずは酒質ですが、“気品のある酒”をモットーとしているそうです。
「男っぽいとか女っぽいとか、辛甘とか、いろいろありますが、一番大切なことは、凛とした雰囲気と申しますか、“気品”ただよう酒であることでしょう。それがなければ、酒造りは失格だと思います」
なるほど、平田 杜氏 の言葉を換えれば、その酒自身を物語っている酒。つまりは、ロマンを秘めているような酒でしょうか。確かに“越乃雪月花”の純米吟醸には、ほのかな艶のような、美しい余韻と調和を筆者は感じました。
そして、その“気品”のための第一条件は“麹”であると、平田 杜氏は真剣なまなざしで語ります。
「麹は酒造りの決め手ですし、味の根幹です。出来・不出来は麹に大きく左右されます。せっかくいい米を使っても、麹で失敗すれば、すべてが水の泡。それほど貴重な存在なのです。ですから、私のような酒造り農家の者にとっては、親族みたいなものですね」

少年の頃から実家を支えてきた平田 杜氏 は、土作りや米作りにも哲学を持っています。だからこそ、酒米の良し悪しも分かれば、それを生かす麹造りこそ日本酒の絶対条件と言い切れるのでしょう。

「それから、酒の8割は水ですから、仕込み水の質を十分知り尽くした造りをしなければいけませんね。例えば、香りが突出しても駄目ですし、すっきりし過ぎてもいけません。水の個性を生かした、バランスの取れた品質設計が大切ですね」
平田 杜氏が絶賛する妙高酒造の仕込み水は「妙高山の伏流水」。硬度1.0の超軟水、無味無臭な水です。
この水は上越市の東に隣接する清里村から採水し、タンクローリーで妙高酒造に搬送しています。清里村には天然の湧水山上湖「坊が池」があり、潤沢な水は上質の米を育てることでも知られています。
その澄んだ湖を抱く山麓に、妙高酒造の採水場があるのです。
越乃雪月花の香り、味、気品は、この水によってもたらされるといっても過言ではないようです。

ここで、「高品質・適正価格」を掲げる酒蔵の杜氏として、現在の日本酒業界の低迷をどう考えるかを質問してみました。
「はっきり申し上げて、まずい酒が多いのです。造りの技術や設備は、どの蔵元ともかなりの水準まで達していて、成熟状態です。しかし、貯蔵・出荷・販売までのトータルな品質管理は、まだまだですね。それができなければ、お客様の口に入った時に“うまい!”とはおっしゃってもらえません。つまりは、酒の作り手が考えている売り方と販売者の売り方が、かなりズレている。お互いの情報、意見交換、コンセンサスが取れないまま、目の前の数字にとらわれて酒を売り続けていますね」

造った後の品質管理まできちんと考えていれば、現状の日本酒市場の低迷などなかったはずと、平田 杜氏は嘆きます。途中で味が崩れてしまう酒。実際、他社の酒でも、素晴らしい出来栄えの原酒であったのに、なぜ市販されるとこんなに味が劣化するのかを、幾度となく感じたそうです。
そんな業界の状況に歯止めを掛けるためにも、妙高酒造は一大改革に踏み切り、新たな体制を整えたわけです。

さて、こうなると妙高酒造の酒米の品質・吟味は、もはや言わずもがなでしょう。
それよりも、好奇心をくすぐられるのは、やはり「独自酵母の開発」です。
「独自酵母は、非常に扱いが難しいんです。当社の酵母のルーツは9号系(香露)ですが、何度も培養する中で千変万化してきた品種です。当然、私ども素人には酵母の取り出しはできませんから、専門の先生にお願いしています。スラント(試験管)に入れて保存し、必要な際に取り出しています。協会酵母も2割ほど使っていますが、醗酵のスタートダッシュには、自家製の酵母が向いていますね。しかし、非常に危険度も高いです。それは、他の酵母の侵入、野生酵母・雑菌・乳酸菌などが食い込み、いつの間にか酒母を凌駕してしまうからです」

それを防ぐためには、日々の衛生管理や酵母の専門知識を磨くことが重要だと、平田 杜氏 は力説してくれました。
醸造協会の酵母は品質的には非常に優れており、いわば優等生。増殖もおだやかにスムーズに進みます。一方、独自酵母はヤンチャ坊主のようなものですから、元気が良くて、非常に成長力も旺盛。しかし、育て方を間違えると、とんでもない方向へ行ってしまうそうです。
酵母培養室に一度入れば、時間を忘れてしまう 平田 杜氏。試験管を見つめるその視線が、酵母開発に注いできた情熱を語っていました。

最後に、自分が追求する日本酒について訊ねてみました。
「もちろん“妙高酒造ならではの酒”ですが、私は欲張りですので、単に“淡麗辛口・新潟らしい酒”と思われたくはないんです。気品がありつつ『おっ、これは旨くて軽いな』と感じてもらえるような、飲み飽きしない酒ですね。ですから、濃醇タイプは好みではありません。吟醸酒でありながら、ふくらみも酸味もほどよく備えた、後味にキレのある酒。ちょっと贅沢過ぎますかね」
そう言って、平田 杜氏はほほえみます。
締めくくりに、今後の課題、目標としては「旨い純米酒を造りたい」と答えてくれました。これまでの日本酒はアミノ酸を抑えてきたが、本来アミノ酸は酵母の栄養素であり、香りの基本でもあるので、これを生かした純米酒が理想的と解説してくれました。

現状に甘んじず、さらに追い求める酒へ。
“酒造る人は、いぶし銀の人”……その昔、日本酒をこよなく愛した文豪の一説が、インタビューを終えた平田 杜氏の笑顔に重なっていました。