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七笑酒造株式会社 ~蔵主紹介

川合 清志会長は、昭和9年(1934)の生まれ。蔵元を受け継いで、今年で45年目を迎えます。太平洋戦争で亡くなった二代目・新司に代わって、早くから後継者の道を歩みました。
成長した清志氏は、松本市の高校から同志社大学へ進学し、卒業と同時に七笑酒造株式会社へ入社しています。

「昭和32年(1957)に家へ帰って来ましたが、祖父はもう80歳。ほっとしたのでしょうか。その年の夏に亡くなりました。新助は6人兄弟だったのですが、その内4人が夭逝しておりまして、なおかつ息子を戦争で無くしています。しかし、そんな悲哀など微塵も感じさせない、“明治の男”でした」
おだやかに語る清志会長の彫り深いまなざしは、初代・新助を髣髴とさせます。その相貌に、木曽の日本酒の市場と酒造りについて訊ねてみました。

「私は昭和40年代後半から“木曽には木曽の酒があるべし”に力を入れました。酒どころとして知られているのに、灘や伏見の大手酒が店頭で巾を利かせているのは断じておかしいと木曽郡の酒造組合で直言したのです。その甲斐あって、蔵元が一致団結して木曽ならではの酒質と地元のお客様を守ることができたのですが、ちょっとそちらに注力しすぎて、吟醸酒への取り組みが遅れていました」
清志氏が青年社長だった当時、木曽郡の酒のほとんどは地元で消費されました。そのため地域ぐるみで、特級・一級・二級に差別されにくい、まんべんなくおいしい酒を目指したそうです。また全蔵元共通で王冠やラベルには「木曽の酒」と銘を打ち、木曽ブランドをアピールしました。

「昔から木曽の経済圏は、岐阜や愛知などの中京方面です。敢えて、松本や諏訪の狭い市場に出て行かなくても豊かなマーケットが南にあって、そちらからの木曽酒ニーズが高かったんです。しかし、ここ数年のように日本酒全体が低迷してくると、地元消費に頼ってばかりはいられません。吟醸酒を中心とした新たな戦略や商品企画も、いろいろと打ち出しています」
清志会長が解説するのは、4代目社長の川合 潤吾 氏が近年リリースした蔵出し特別限定酒「七つの笑い酒」。クール便で蔵元から直接消費者に届ける、ダイレクトマーケティング的な販売スタイルが特徴です。

ここでインタビューに同席された潤吾社長に、「七つの笑い酒」のコンセプトを訊ねてみました。
「人生は波瀾万丈。けれど、どんな時でも“笑い”があれば、人は幸せな気持ちになれる。七たび笑えば福も来る。そんな願いを万物の笑いに託し、“七つの笑い酒”として命名しました」
なるほど、七笑のブランド効果を高める手法であり、昨今の不景気や不透明な社会を笑いで癒そうというユニークなアイデアです。リピーターを狙った商品戦略ということでしょう。

「流通や酒販店に売りを任せるのでなく、あくまで蔵元がリードしながらブランドと価値観を育てていく商品です。

取引ルートは従来の形を踏襲していますが、商品の発送は当社から。コストとしては厳しいのですが、お客様に七笑の顔が見えるサービスを展開していくことで、あらためて“木曽のうまい酒”をアピールできると思うのです」
なるほど、店頭での品質やセールストークなど、ともすれば見えにくい部分を掌握し消費者の口まで蔵元が届けることで、信頼を深めようとする姿勢が現われています。

さて、今年七笑酒造は、平成5年(1993)以来となる全国新酒鑑評会金賞を受賞しました。その好成績に、現在の蔵の体制や現場の育成が気になります。どのように取り組んでいるのでしょうか。
「4代目の柳沢杜氏以外は、すべて年間雇用の社員です。昭和60年代から小谷村の蔵人が減少したこともありまして、木曽福島の人材を採用してきました。高校を卒業したばかりでまったく酒造りの知識・経験のない人には、当社が出資して東京農業大学への進学を奨励したこともありました。卒業したら、入社してもらうことが条件でした。でも、最近の若者で酒造りに向いている人は、なかなか見つけにくいですね」

清志会長の見解では、近年は若い世代で“ガテン系”の職人仕事に憧れる人たちも増えてきましたが、単に日本酒が好きだから造ってみたいという理由だけでは、やはり長続きしないそうです。
「職人の世界は、今はどちらの蔵元でも消えかけています。見て覚える、盗んで覚える仕事から、ちゃんと解説を受けて理解する仕事に変わってきました。それだけに、本人の貪欲さというか、ひたむきさがあるかないかで成長の度合いがずいぶんと違ってきますね。ただ、そうばかりも言ってられませんから、当社でも今年の2月から、大手メーカーを退職した生産管理部門のトップに来てもらいました。柳沢杜氏と組んで、技術改革・人材育成を担ってくれています」金賞受賞には、新任の中野 眸(なかのひとみ)製造部長の貢献があったと清志会長は付け加えます。

今、50歳代の日本酒離れが著しい。若い頃あまりにも“まずい日本酒”を飲み、ビール・洋酒へ傾いたために、彼らの後輩たちへの日本酒の引き継ぎがプッツリと途絶えてしまっていると清志会長は言います。
また、長野市内の料飲店で多くの他県酒が扱われていることも指摘します。
そんな嘆かわしい現象に一石を投じようと、8年前から長野県酒造組合では、県や関係団体と「長野の酒メッセ」なるものを開催。毎年、七笑酒造も一翼をになっています。
また、先述の「七つの笑い酒」だけでなく、創業当時の銘柄「木曽錦」を復刻させるなど、木曽地域限定の商品展開も着々と進んでいるようです。
これからは、潤吾社長が中心となって、七笑のイメージ戦略を考えていくとのこと。

木曽に到着した初日、筆者は七笑酒造の店構えを前にして、「木曽は、酒蔵の似合う町だなあ」と実感しました。
時がゆっくりと過ぎていくような木曽のムード……銘酒・七笑は、“日本酒=スローフード”の魅力もそなえていると思うのです。