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七笑酒造の蔵は、店先から現場へと入り組む“逆L字型”。昭和初期の大火で焼失した跡に継ぎ足しながら増設したため、階上から階下へ移る合理的な工程を見ることができます。
また、さすがに山国とあって、重厚な梁と柱に圧倒されます。
その蔵で四代目杜氏として櫂棒を揮っているのが、昭和11年(1936)生まれの柳沢久(やなぎさわひさし)氏。秋から翌春までの期間のみ、勤めています。
この道50年のベテランは、お隣りの新潟県中頸城郡(なかくびきぐん)吉川町の出身。青年期から全国へ出稼いだ、数少ない「頸城杜氏」の一人です。
雪深い中頚城郡では、冬の農閑期の酒造りが重要な生活の糧でした。当時、柳沢氏の通っていた吉川高校では醸造学を課外授業として教えており、現在は正式に“醸造科”が設けられています。

昭和28年(1953)に高校を卒業した柳沢氏は、新潟県西蒲原郡の宝山酒造へ入り、15年間の修行に明け暮れます。
「まったくの駆け出しから33歳で頭(かしら)になりましたが、杜氏が非常に厳しい方でした。下着の洗濯から掃除、身の回りの世話までしました。しかし、その後いろいろな蔵元にお世話になる中で、その頃の辛抱が役に立ちましたよ」
いかにも温厚そうな柳沢杜氏ですが、積み重ねた苦労は計り知れないほどあるようです。
34歳になった昭和44年(1969)、ようやく愛知県豊橋市の蔵元へ移り、2年目から杜氏を任されます。

しかし、その蔵元が突然廃業することとなり、今度は福井県丸岡町の久保田酒造で6年、さらに茨城県の蔵元で6年間を過ごします。
そして、9年前の平成6年(1994)に七笑酒造へ入り、当初の4年間は先代の鷲澤杜氏から指導を受けています。

さて、七笑酒造の酒造りについて、訊ねてみましょう。
その味の特徴は「甘からず辛からず、誰からも好まれ、飲みやすい旨口の酒」と、柳沢杜氏は解説します。
「代々の杜氏や社長も繰り返して言っていることですが、“誰からも好まれ、飲みやすい”が一番大切だと思います。淡麗さに少し厚味をつけた、味のある酒ですね」
その秘訣のひとつは“麹のハゼこみ”なのですが、柳沢杜氏はなるべく軽い麹を使い、なおかつ乾かすことを心がけているそうです。
現在、七笑酒造の特定名称酒とレギュラー酒の比率は50:50。酵母は、吟醸系は9号酵母、純米には10号泡無し酵母を使用しています。
この麹・酵母の具合も含め、総合的な工程管理と酒質の分析・判断を担うのが、今年の2月から製造部へ入った中野 眸(なかのひとみ)部長です。

柳沢杜氏と蔵人は中野部長の指導を受けながら、新たな七笑の酒を目指しているわけです。

木曽は水のおいしい土地としても知られています。
むろん、その水を使っているからこそ、“木曽のうまい酒・七笑”があるわけです。
「硬度2.4ぐらいの軟水です。井戸は8メートルと浅いのですが、ずっと涸れることなく水質も一定しています。でも、木曽川の水とはつながってなくて、上の段(うえのだん)独自の水脈のようですね。数知れない水脈が、町中を交錯しているんですよ」

柳沢杜氏が語った「上の段」とは、七笑酒造社屋の背後に立つ丘陵のことで、木曽福島特有の山襞とも言えるでしょう。その高低差のある町のそこかしこで、豊富な水が湧き出しています。
また、井戸を50メートルから100メートルも掘削する蔵元が多い中、七笑酒造の蔵脇にある井戸を覗けば、底の見える深さなのです。
そして酒米は、総使用量の内の25%まで長野県産米を使用。長野県産の美山錦にこだわっています。

さて、蔵人の育成については、中野部長と二人三脚で取り組んでいるとのことですが、そのポイントはどこなのでしょう。
「中野部長は数値に明るい方なので、そちらの指導をお願いしています。私は古い人間なので、なかなか口下手でして。若い人には、しっかりと自分の目で見て、肌で感じて、仕事を憶えるように指導しています」
現在の仕込みは、柳沢杜氏以下、7人でまかなっています。名跡を継ぐ五代目杜氏候補も、すでに決まっているとのことです。

大手メーカーに在職していた中野部長からは「専業制から兼業制へのシフトが課題ですね。誰もが全体を見渡せるコーディネーターになることです」と、フレキシブルな職場への転換を感じさせる言葉がありました。来年からの体制はさらに進化しそうです。

「今の頭(かしら)は、20年を越えました。後は人間的な魅力を兼ねそなえてもらえれば、私はいつでも櫂棒を置くことができます。酒の味は、おのずと人に似ますからね。酒の味を作り出すのは、杜氏だけの力じゃありません。何人もの蔵人を束ねることから、深みやツヤが生まれます。そのためには、おだやかな包容力と強い指導力が大切ですね。私なんぞ、まだまだ至りませんが……」
そう謙遜する柳沢杜氏の笑顔もまた、七笑の歴史にしっかりと刻まれていくことでしょう。