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六花酒造株式会社~プロローグ

「津軽平野のほぼ真ん中に位置し、(中略)善く言えば、水のように淡白であり、悪く言えば底の浅い見栄坊の町と言う事になっているようである」
不世出の文豪 太宰 治(だざい おさむ/本名:津島 修治)が綴った、小説「津軽」の一文です。取材班は、まずは津軽出身の彼に迫ってみようと、青森県北津軽郡金木町の実家である斜陽館(しゃようかん)へと車を走らせます。
現在、斜陽館は太宰 治 記念館として一般公開されており、太宰ゆかりの品々や彼が青年期まで過ごした邸宅を見学する人並みが絶えません。赤レンガ造りの豪奢な屋敷は、津軽屈指の豪農・津島(つしま)家の六代目・源右衛門(太宰 治の父)が建築したものです。

この津島家の六男として、太宰治は明治42年(1909)に誕生しました。そして、昭和2年(1927)には官立弘前高等学校(現在の弘前大学)へ入学し、秀逸非凡なる才能を発揮。昭和5年(1930)に東京帝国大学仏文科へ入学後、文豪・井伏鱒二を師と仰ぎ、走れメロス、斜陽、人間失格などの傑作を執筆します。
芥川賞候補に挙がるなど文学界に彗星の如く現れた太宰ですが、いつしか薬物による中毒と奇行を繰り返すようになり、ついには昭和23年(1948)39歳で東京都内の玉川上水で、山崎富栄なる恋人と入水心中したのです。
文壇をさまよった太宰 治の胸中は今日まで諸説さまざまに研究されていますが、その本心は誰一人知る由もないところです。

そんな想いに耽りつつ斜陽館を後にすれば、深まりゆく秋の中、たわわに実ったリンゴ畑が津軽平野を紅く染め、遥かな岩木山の頂は初冠雪を迎えていました。
それは、おそらく少年期の太宰 治が見つめた光景と、何ひとつ変わらぬものでしょう。

さて、津軽の地名は、幕末までこの地を領していた武家・津軽氏に由来しています。 その津軽氏の栄華を今に伝える遺跡が、弘前城でしょう。
弘前城は、慶長8年(1603)津軽十万石初代蔵主となった津軽 為信(つがる ためのぶ)が建築に着手、その後二代目である三男・信枚(のぶひら)に引き継がれ、慶長16年(1611)に完成しました。普請には、江戸から大工数百人を招いたと記されています。

現在は弘前公園として城跡が残されていますが、西に岩木川、東に土淵川を天然の外堀として配し、東西約630メートル、南北約1,000メートル、面積は約4,800アールもあり広大堅固な名城として知られています。
津軽 為信は、現在の青森県全域を治めていた南部氏の家臣・大浦氏の後裔です。

しかし、下克上の戦国時代となり、元亀2年(1571)叛旗を翻します。その後も郡代の砦や要衝の城を攻略し、みちのくでの勢力を拡大しつつ中央の統一者・豊臣 秀吉に早くから恭順。天正18年(1590)には、三万石を安堵されています。

これを機に為信は津軽氏を名乗り、戦国大名として磐石な国造りを進めます。
やがて、慶長5年(1600)関ケ原の戦が起こり、徳川方に加勢した津軽 為信は論功行賞によって津軽藩を与ることとなったのです。以後、弘前城は幕末までの260年間、津軽の民に「おらが国自慢」として愛され続けました。

現在は国の重要文化財に指定され、東北随一の桜の名所としても名高く、春には築城期に植えられた3,000本のソメイヨシノ、ヤマザクラが百花繚乱のままに咲き誇ります。

弘前市は“温かい人情の町”と聞きますが、その理由の一つに信仰心の厚さがあるようです。
弘前公園に近接する西茂森町には32もの寺院が甍を連ね、その奥院とも言えるのが津軽家の菩提寺「太平山長勝寺」。この名刹は、亨禄元年(1528)に建立された伽藍を慶長15年(1610)弘前城が完成間近となったため、現在の地へ移されました。重厚な山門と境内の紅葉が、観光客を魅了しています。

また、弘前は明治中期から大正期にかけて東北経済の拠点として発展しました。市街には往時を髣髴とさせるレトロな建造物がいくつも残されています。
旧・国立第五十九銀行(現在の青森銀行)記念館は、明治37年(1904)に青森県初の銀行として竣工。ルネッサンス調の洋風木造建築で、屋上には展望台を兼ねた装飾塔を配し、古き良き時代のノスタルジーを漂わせています。

そして、弘前が生んだ偉人・日本商工会議所 元会頭藤田 謙一(ふじた けんいち)の別邸「藤田記念館」も、和魂洋才の趣ある邸宅です。
屋敷にはみごとな池泉を配した庭園、洋館には大理石暖炉を備えた華麗なサロンをしつらえ、日本商工会議所会頭、東京商工会議所会頭のほか、映画、ガス、印刷など60数社の代表や取締役を努めた彼の人となりを感じさせます。

さて、青森県の名物と言えば“ねぶた祭り”ですが、ここ弘前では「ねぷた祭り」と発音します。
弘前のねぷた祭りは毎年8月1日から7日まで催されますが、弘前公園前には、いつでも祭りの雰囲気を体験できる「津軽藩ねぷた村」が設けられています。
祭りのシンボルは、高さ3メートル以上もある巨大な“組みねぷた”。色鮮やかな時代絵巻や物語を描いた60台もの屋台が、ドドンと響く太鼓の音とともに「やーやどー」の掛け声で市内を練り歩きます。また、“子どもねぷた”や“金魚ねぷた”なども、街角を飾り立てます。

このねぷた祭りの起源は、平安時代の坂上 田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)の蝦夷征伐や蔵主・津軽為信の治世安泰祈願など、さまざまな説があり定かではありませんが、「やーやどー」の掛け声の由来は、盆の灯篭流しに道で出合った村々の屋台が「譲れ!譲らぬ!」と押し問答したことにあるそうです。
ちなみに、ねぶた祭りと聞けば「らっせーら、らっせーら」と叫びながら飛び跳ねる祭りと思われていますが、それは“青森ねぶた”のもの。かつての城下町・弘前の“ねぷた祭り”は勇壮かつ凛として、武家の格式をそこはかとなく感じさせるのです。

そして、もう一つ忘れてならないのが、津軽じょんがら節でおなじみの「津軽三味線」です。霏々と降りしきる雪や厳しい冬の哀愁を奏でるような三味線の音色は、津軽人の魂を語るかのように心に染みわたります。
津軽三味線は、京都・大阪から北前船で運ばれた義太夫三味線が独自の形に変化したものでした。

明治維新期、津軽地方では目の不自由な男たちが家の前で三味線を弾き、米を貰って食を繋いでいました。彼らは「ぼさま」と呼ばれて蔑視され、他の東北地方、遠くは北海道の村々まで巡り歩いたそうです。
その仕事は「門付け(かどづけ)」と言い、演歌“風説流れ旅”のモティーフにもなっています。
この頃に金木町出身の神原 仁太坊(かんばら にたぼう)という盲目の三味線弾きが現れ、津軽三味線の原型を創り出しました。そして、大正末頃にバチで叩く演奏方法が生まれ、津軽の三味線は民謡楽器から独奏楽器へと変わっていったのです。

昭和28年(1953)前後、通常の三味線よりバチが厚く、棹は太く、そして犬の皮を使った津軽三味線が完成すると、その音色は全国に響きわたります。仁太坊の最後の弟子である白川 軍八郎(しらかわ ぐんぱちろう)、木田 林松栄(きだ りんしょうえい)や福士 政勝(ふくし まさかつ)といった名人三羽ガラスが活躍し、今日のブームの礎を築いたのです。
弘前市民には津軽三味線を奏でる人たちが多く、市内の繁華街では、じょんがら節を聴きながら津軽料理と地酒を楽しめる料理店もあります。

そして、青森県のランドマークとなっているのが、真っ赤なリンゴ。
弘前のリンゴ生産量は日本一を誇ります。国内の市販リンゴ7個につき、1個は弘前のリンゴというほどなのです。
市の郊外には岩木山に向かってアップルロードなる道路が開かれ、その両側にはリンゴ王国・弘前を象徴するかのように延々とリンゴ畑が続いています。
中でも広大な「弘前市りんご公園」は無料開放されており、約60種1,000本のリンゴの樹が栽培されています。もちろん、リンゴ狩り体験も可能(有料)。園内に流れる“リンゴ追分”の唄を聴きながら、昔ながらの絣やモンペ姿で収穫を楽しむことができるのです。また、弘前リンゴの美味しさの秘密は、その実を育てる水。つまり、世界遺産「白神山地(しらがみさんち)」から流れる雪解けの天然水にあるそうです。

白神山地は青森県南西部から秋田県北西部にまたがり、13万ヘクタールに及んでいます。豊潤なブナの森はツキノワグマやニホンザル、クマゲラなど野生動物の棲家でもあり、晩秋の山麓は錦絵のように彩られ、美しい「暗門の滝(あんもんのたき)」が訪れる人たちを魅了してやみません。
その山肌に染み込んだ雪は膨大な地下水となり、あるいは岩木川の清流となって津軽平野へと広がります。実は、この軟らかな天然水を使った美酒こそ、今回訪問する六花酒造の銘酒「じょっぱり」なのです。

「じょっぱり」とは津軽弁で「頑固者」、「一徹な奴」の意味。厳しい津軽の冬を乗り越える辛抱強さ、しかし、その心根は温かい春のようなおだやかさ…津軽の酒にふさわしい銘柄ではないでしょうか。
青い山、青い海、青い水…そんな青森県の地酒を醸し続ける、六花酒造株式会社。
しんしんと降る雪を想いながら、津軽の名酒物語を味わうこととしましょう。