蔵主紹介

酔仙酒造株式会社

今までと変わらず手作りで、より地元に根ざしたお酒造りを

今までと変わらず手作りで、より地元に根ざしたお酒造りを

「酔仙はお蔭様で、前のスタイルと変わりません」

開口一番、自信たっぷりにこうおっしゃった金野連(こんのつらね)社長。東日本大震災により、陸前高田市にあった酔仙酒造の本社・工場は津波に流され、製造するための設備や在庫も全てを失いました。 甚大な被害を受けるなかで「もうダメだ…」と思った社員も多くいるなか、驚きの早さで大船渡市に新工場を設立し復活を遂げた酔仙酒造。そこには金野社長のある想いがありました。

「今まで紡いできた歴史を次に繋げたい、震災前と変わらない日常を取り戻し、酔仙のお酒を好きで待ってくれている人に届けたい。その気持ち一つです。それが原動力となり、私を突き動かしました。 また、震災から1か月経ったある日のこと、『酔仙復活するんだろう?』と声をかけられて。復活することが当たり前かのように言われ、逆にハッとさせられましたね。『うちらがやらなくて誰がやる!』お尻に火をつけられた瞬間です」

その後、震災と同年の10月1日に例年通りの「雪っこ」を販売。翌年の8月には大船渡市に新工場が完成。年内には、従来通りの作り方で仕込みを開始するまでに至ります。現在、焼酎工場はないものの、以前販売していたブランドの半分まで製造できるラインが確立されています。

「本当に色々な方に助けていただいて、今があります。岩手銘醸さんからは稼働していなかった、玉の春工場を『良ければ使ってください』と言っていただいた。そこで、主力商品である『雪っこ』を作ることができました。その間、新しい工場探しに奔走。 以前と変わらない、氷上山系の水質である、ここを貸していただけることに。“水”は酒造りの要。地図を見ると分かるのですが、水源を同じくして同じ水が流れています。山を挟んで元あった陸前高田が南で、ここが北という風に。味を変えないこと、それが第一ですから。」

こだわったのは水だけではありません。震災後から、使用するお米は岩手県産米にシフト。

「今までは山田錦も使用していたのですが、震災を受けて、より地元に根ざしたお酒造りを目指していこうという気持ちが強くなりました。吟醸用に使う岩手県産の「結の香」というお米は、山田錦に負けず劣らずの品質です。自分たちの県で作ったお米で、その土地の水で、南部杜氏が作る、これが今一番の最優先課題。 そして、工場が稼働して最初の1、2年は、とにかく酔仙のお酒を通して元気になってほしい、そういう気持ちで“地元の人たちが楽しめるお酒”がテーマでした。でも今年3期目は、さらに『元気だった時の自分を思い浮かべるようなお酒を造ってください』と杜氏に伝えています。 酔仙も昔と変わらずに復活した、だから皆さんも前みたいに頑張ろう、という気持ちを込めて。震災前は企業それぞれ個体色が強かったですが、震災後は地域企業体みたいになって、みんなで頑張っていきましょう、という意識が強くなったのは以前と違う点ですね。」

品質第一、さらに今までの作り方を一切変えない、というのも金野社長をはじめとした杜氏や蔵人、社員の方々の強いこだわりです。

「前と変わらず手作り。うちは昔ながらの方法でずっとやってきて、それが一番美味しいと分かっているから、それを変えるわけにはいきません。つるしもね、うちはぶん投げて本当につるして、丹念に。だから味も非常にいいものが出来上がりますよ。でもね、木が新しいから、お酒に木の香りがついてしまうのはどうしても避けられません…。それでも蔵人は毎日蒸気をあてて洗って、乾かして、と色々試行錯誤しているようです。もう少ししたら、香りも馴染んでくると思うので、そろそろ品評会に出していきたいと考えているところです。
酔仙酒造が震災後、こうして新たな蔵で再スタートできたのは、多くの方々のご声援とご支援があったからこそ。また、努力を惜しまず共に行動してくれた仲間たちにも感謝しています。かつてと変わらない酔仙酒造の姿を取り戻しながら、今後は、今まで以上に皆さまにご満足していただけるお酒造りを追及したいと思います。」

金野 連 社長

60を過ぎてぶつかった大きな壁、乗り越えた先には

「自信はあったけれど、平常心では造れなかった」

と語る、酔仙酒造の杜氏、村上賢一さん。震災があった翌月、金野連社長から「一緒に酒を造ってほしい」という連絡があった時は、「いったいどうやって?」と、とにかく驚いたと言います。津波が迫りくる光景は目にしなかったものの、震災・津波の怖さを痛いほど肌で感じ、精神的にも参っていた。 さらに、現役で頑張る齢は過ぎている。これを機に引退も…と考えていたそうです。そのため、当初はその声かけを断ったという村上杜氏。ところが、社長のある言葉に心を強く突き動か、酒造りを決意。そこにはどんな想いがあたったのでしょう?

「『酒造りを開始する』と言われた時にはね、『無理だ』という気持ちの方が強かったです。でも社長が『雪っこを作ってくれ』と言うんですよ。雪っこは、私が酔仙酒造に入社した約45年前に商品開発が始まり、商品化され、みんなに愛されるようになるまでをずっと見守ってきた、自分にとっては子どものような存在。 長い歴史を共に成長してきた雪っこ。そう言われてしまうとね、やらずにはいられないですよ。それに、地元の人から、『切らさないでくれ』と言われましてね。そうした言葉が、自分を奮い立たせる原動力にもなりました」

村上杜氏の決意とともに蔵人たちが集結。岩手銘醸の玉の春工場にて、悪戦苦闘の日々が始まります。本来、寒い時期に造り始めるお酒。ところが真夏の熱い時期に毎日蔵に通いつめて造ったというのだから、その苦労も推し量れるでしょう。

「まずは10年も稼働していない蔵掃除からのスタート。それは大変でした。それだけで1ヶ月近くはかかっていますから。いざ酒造りの段階となれば、自分は他の蔵で造ったことがない。全てが初めての体験です。 本当に試行錯誤でした。そして真夏の暑さ。一歩間違えれば、雑菌が蔓延してしまう可能性もあって。様々なプレッシャーに、恐怖すら感じましたね。でも『やれる』という自信だけはあったんです。」

努力と奮闘により、雪っこは無事に完成。例年通りの販売開始に間に合わせることができたのです。まだまだ苦労は続き、翌年、大船渡市に完成した新工場での酒造りが始まります。またここで一からのスタート。

「玉の春工場で雪っこを造ったことが大きな自信に。60歳であんなに大きな壁にぶち当たるとは思ってもみなかったですから。それを乗り越えたのだから、今度だって、という気持ちにもなれましたね。足りない道具は自分たちで自作して。 そんな風にみんなで一から積み上げて、ようやく生産量も安定してきています。目方を変えると、新しい蔵は、酵母を純粋培養できるから、そういう楽しみもあります。これからも品質第一、美味しいお酒を提供できるようにみんなで取り組んでいきたいです。」

村上杜氏の夢は、次なる世代にしっかりと酔仙酒造ならではの製法を受け継ぎ、伝えていくこと。杜氏になる見込みのある若者が、今いるのだという。もしかしたらバトンを受け継ぐタイミングはそう遠くないのかもしれません。

工場内を案内してくださった村上賢一杜氏。
道具の使い方も実際に見せていただきながら、解説いただきました。