

朝まだきの港に、カツオ船が大漁旗をひるがえして帰って来ます。それを待ち構えているのは、夥しいほどのカモメの群れ。人馴れした鳥たちは、水揚げする荒くれ漁師たちの雑踏をこともなげにかわしながら、チャッカリとおごぼれにありつきます。
それは、日本屈指の漁港・気仙沼で、変わることなく日々繰り返される光景。三陸の海が、いかに豊かであるかを物語ってくれるのです。
広大な気仙沼漁港に直結している市場には、立錐の余地もないほど太平洋の魚介類が並び、明けやらぬ早朝から威勢の良いセリの声と鐘が響きわたるのです。
大物は丸太のようなカジキマグロや黒い砲弾に似たマグロから、小物はアジ・サバまでがひしめいていますが、中でもサンマは、言わずと知れた三陸の名物。旬のシーズンには、生のまま刺身で食べれるほど美味です。
そして、気仙沼の市民が最も好むのはカツオ。高知の土佐清水、千葉の銚子など太平洋沿岸の港町では、いずことも春の初ガツオ、秋の戻りガツオがつとに有名ですが、ここ陸前地方では、一年を通じてカツオを常食にしているそうです。
まさに黒潮が育む遠洋漁業の基地であることを、実感します。
陸前高田、大船渡、気仙沼は、かつて「気仙郡(ごおり)」と一つにまとめられていました。岩手県と宮城県の県境一帯を指していて、太平洋の怒涛に洗われる、いわゆる“リアス式海岸”が続くお国柄です。
本来、三陸は陸前国(宮城県)、陸中国(岩手県)、陸奥国(青森県)から成り立ち、陸前・気仙地方は、廃藩置県までは伊達藩に所属していました。つまり気仙郡(ごおり)だけが、維新後に南部藩である陸中国=岩手県に併呑されたわけです。
今回訪問する「酔仙酒造株式会社」のある陸前高田の町も、険しい磯と白い浜辺が広田湾沿いの海岸線を交互に織り成しています。
わけても、日本百景にも数えられている「高田の松原」は、白砂青松のみごとな海岸美を描き、訪れる旅人を魅了してやみません。
白い砂浜に樹齢300年を超える約7万本の松が続くさまは、まるで日本画に描かれた風景。その美しさに、かの石川啄木が名歌「一握の砂」を残しています。
東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて カニとたわむる
ところで、気仙地方が酒どころなのは、前述の通り、海の幸に恵まれてきたことのほか、もう一つの大きな理由があります。
狭い平野の後ろには、みちのく特有の深いブナの山並みが聳えていて、ここから下ってくる清冽な水で美酒を醸すのです。
中でも「気仙川」は春のヤマメやイワナ、夏の鮎、秋の鮭など魚影が濃く、太公望の憧れる清流。その伏流水は、酒造りに最適の中硬水です。
また、米造りにもその天然水は欠かせません。急峻な山懐に広がる陸前の水田は棚田が多く、山からの沢水を引き込んでいます。
そんな手つかずの天然水で育つ米は、抜群の美味しさ。陸前産の酒造好適米が上質なのを頷けます。
気仙地方にやって来たら、忘れずに食べたいグルメがあります。
それは「サメ」。気仙沼は、日本最大のフカヒレ産地。漁港には、恐ろしい顔をしたサメたちが山と詰まれています。かつて、そのほとんどは、マグロの延縄漁を邪魔する厄介物として、蒲鉾の原料にしかなりませんでした。
というのも、サメは死ぬと独特のアンモニア臭を発し、サメ肌が処理しにくかったため、食材としての用途は限られていたのです。
ところが近代になって中国料理が日本に入るや、気仙沼で加工されたヨシキリザメのヒレは、東京や横浜はもちろん、中国料理の本場・香港や台湾へも輸出されるようになりました。丁寧な仕事で処理されたフカヒレは、極上品として取引されています。
他にも、ヒレの天麩羅やヒレ寿司などユニークなメニューが地元で考え出され、一風変わったサメ料理に驚かされることでしょう。
「もうかの星」と呼ばれるこの一品は、なんとネズミザメの心臓。昔から陸前に伝わる漁師料理で、新鮮なサメでなければ取り出すことのできない珍味です。
船上で忙しく立ち働く漁師たちにとって、サメは貴重な蛋白源であり、ファーストフードでもあったのでしょう。
ちなみに、気仙沼港には「気仙沼リアスシャークミュージアム」というテーマパークまで作られ、大人から子どもまで気仙沼ブランド=サメを実感できるのです。
三陸沖の美味と清冽な山水、そして美味しい米。そこから生まれた地酒文化もまた、極上の一級品。そのしずくが、銘酒「酔仙」と言っても、過言ではないでしょう。
数々の輝かしい受賞が語る、陸前高田の美酒。“酔うて仙境に入るが如し”と讃えられたその喉ごしの秘密に迫ってみたいものです。
まろやかにふくらみ、飲み飽きしない酒を標榜するその酒物語を始めることとしましょう。