蔵主紹介

永山酒造合名会社

『人と人とのつながりが紡ぐ酒の物語、感動の伝達が”山口地酒維新”をおこす!』

『人と人とのつながりが紡ぐ酒の物語、感動の伝達が”山口地酒維新”をおこす!』

「これが『山猿』で使用している酒米、穀良都です。背丈が高いでしょ。」
平成14年(2002年)に永山社長が立ち上げた新ブランド『山猿』。
とにかく『味』で勝負できる酒をと、地元の酒米グループの造る酒米で醸された『米のうまみを出したお酒』は今や永山酒蔵を代表する銘柄にまで育った。
「農家から蔵元へ、蔵元から販売店へ、販売店から呑んでいただく皆様へ、それぞれ多くの方の思いが伝わって、今日があるんです。」
そう照れながら話すは、五代目の永山 純一郎社長。
昭和35年(1960年)生まれの若手社長だ。

永山社長は地元の高校を卒業後、東京農業大学へと進学。
在学中、知り合いの酒店のご主人をきっかけに地酒を担いで売り歩くこともあった。
「たまたま知り合った酒店のご主人に酒店さんや問屋さんをご紹介いただき、月に一週間ほど地酒を売り歩いていたんですよ。」
大学卒業後、そのまま永山酒蔵に入社。今までは、東京を中心に地酒を展開してきた永山酒蔵であったが、焼酎『寝太郎』の発売を機に販売ルートが全国区に。
「販売ルートが全国になった事で、今まで行った事のなかった街に色々行かせていただきました。その中で知り合った地域の卸問屋さん、小売店さんとの日々の会話からさまざまなヒント・お客様のニーズを見つけ、商品開発にいかしていきたんですよ。」
そう語る永山社長の目には、自らが手がけた『山猿』が映る。

永山純一郎氏

それでは、永山酒蔵の理念について具体的にお伺いします。

「我々は”農業とともに生きる酒蔵”というキーワードを掲げています。」
なるほど、お米あっての地酒、契約農家の方と協力し、より酒に適した米へと改良を重ねる事でおいしい地酒を造る酒蔵ということか。
「もちろん、そういった部分もあります。しかし、我々は、もっと広い意味で考えております。人が口に入れるものは人を幸せに出来ます。私も高校生の頃、小倉の寿司のあまりのおいしさに感動したのを今でも鮮明に覚えています。だから酒造りも人を幸せにする事が出来るんですよね。お米を作る人、酒を造る人、販売の過程で接する人、最終的に呑んでいただく人まですべての人が幸せになれる、そのためにも地域の農業を基盤として、地域の自慢の種を創造し、地域社会の活性化に貢献できるような酒造りを行っています。」
永山社長の笑顔にはその自信が伺えます。

「我が社に集まって下さっている契約農家の方々もそうです。我々の志をご理解いただき、『より良い米を』とそれぞれの自慢の種を創造してくれています。」
地元の農家の方々が造られた『自慢の種』で地元の名産となる『うまい酒』を造り、それを呑む筆者が『あーうまい!』と幸せを感じる、それこそが永山社長が掲げる”農業とともに生きる酒造り”だと感じる。

「山口県という特殊な地酒事情を持つ県にいたおかげで、地元で地元の酒を売る事には苦労しました。『男山』は地元を中心に”山口県の地酒”として親しまれるよう展開し、一方で『山猿』では、より酒米にこだわり”農家の方の顔”が見えるように、しかも気取らずより身近な地酒として展開しています。地酒としての知名度は灘・伏見や新潟に比べるとまだまだですが、近年では販売量も年々増加しています。」

地酒の世界ではまだまだニッチな存在である山口県。しかし今、県をあげての農家育成、品質向上に取り組む山口県。新たな特産品”地酒”として定着することを目指す。
実際、山口県の清酒は5年連続で前年販売数量を上回っている。これは全国で見ても山口県唯一だ。

地域の自慢の種となる地酒造りを
伊藤仁氏(山田錦)
品質向上に取り組む

永山社長が造り上げた、”地域の自慢の種”の結晶『山猿』。
地元農家の協力により、より良質な米で美味いな酒をと、社長自らが立ち上げた新ブランド。

「『男山』は、地元では根強い人気がありましたが、他県こと関東では『男山』を冠する酒が多数ありました。その中で『男山』としてこだわりの酒を造っても、いまいち”山口らしさ”は伝わらないですよね。そんなことを考えていたさなか、三隅酒米グループの方から自分たちの自慢の米で新ブランドの酒を造ってほしいという要望がありました。」
これで新ブランドのコンセプト、原料は決まった。あとはブランド名を決めるのみだ。

「ブランド名には悩みましたよ。インパクトがあり覚えやすく売れやすい名前をと思いましたが、思いつくものは皆すでに登録済みだったりと。」
ネーミングの悩みを解決してくれたのは、料亭の対象との何気ない会話の中にあった。
「北長門地区の俵山温泉の起源にまつわる逸話に薬師如来の化身となった”猿”が温泉のありかを村人に教える。というものがあるということを聞きました。この地では”猿”は縁起のいいというのです。その話を聞いたときにピンと来たんですよ。山口にはほかにも『猿地蔵』などの民話や『周防猿回し』といった郷土技能もあり、”猿”というものになじみがありましたから。『山口』の『猿』で『山猿』というネーミングになったわけです。響きもいいですし、『農業を止めない』『”やまざる”努力の結集』といった思いも込もっています。」
こうして誕生した『山猿』ブランドは、社長の思いも伝わり、農業と酒造りの技が融合した、山口県を代表する農業ブランド製品へと成長していった。
『山猿』の味の特徴や造りへのこだわりは杜氏さんも交え、『水・米・技の紹介』のページで詳しく聞くことにしよう。

長門市三隈は農業を主体に発展した町

最後に、社長の考える現在の日本酒業界の現状と、今後の目標をお話いただいた。
「そもそも日本酒業界と地酒業界は別物と考えております。地酒が生き残って行くためには”より明確な地酒化”をはかる必要があります。それが地元の農業とともに造る事でもあり、地域の特性など良いものをどんどん発掘して取り入れて行かなくてはなりません。」

「今後も我々は『絶対美味しい酒』を造ります。その為には欠かせない良い材料。これを作られる農家の方の物語、米から酒を作る永山酒蔵の物語、呑む方の物語、それぞれの物語を彩れる酒を提供し続けて行きたいですね。」

農家から酒蔵へ、それを売る人、呑む人それぞれに『地元』から発信された物語は人々を幸せへと導きます。

手に持つ盃に注がれる、山猿の物語・・・
それでは次に、永山酒造の酒造りの物語を紐解いていきましょう。

永山純一郎 社長