プロローグ

桃川株式会社

「みちのくの原風景に南部の心と技が息づく、おいらせ町へ」

「みちのくの原風景に南部の心と技が息づく、おいらせ町へ」

息さえも凍りつきそうな地吹雪にさらされる、みちのく青森。大寒真っ只中の上北郡おいらせ町の冬は、晴天と思いきや、突如として雪雲に覆われ、刻々と表情を変えます。町を下る「奥入瀬川」の川面はざわめくように波立ち、この季節に到来する白鳥の群れも、いずこかに避難しているようです。「南部(なんぶ)」と呼ばれるこの地は、いにしえの頃より過酷な冬を越す環境にあって、春夏も冷たく湿った海風やませが吹く稲作や農作物に不利な環境。しかし、なればこそ土地の人々は、暮らしを潤す豊かな知恵と工夫を育んできました。

例えば、今や世界的に評価の高い「南部鉄器」を筆頭に、伝統産業を守り継ぐ職人気質は南部人の真髄。また、日本酒造りの匠「南部杜氏」は、左党にとって憧れの存在であり、その血統は、今回の取材蔵元である桃川㈱にも脈々と受け継がれています。

おいらせ町の歴史は、東北が蝦夷と呼ばれていた平安朝初期の頃に遡ります。京の都から派兵された東征軍と幾たびかの戦を重ねたと史実にあり、鎌倉時代の源頼朝と奥州藤原氏との合戦は、誰もが知るところでしょう。ちなみに、当時、軍兵を率いた甲斐源氏の南部三郎光行が、その恩賞によってこの土地一帯の所領を与ったことが南部地方という総称の原点と言われています。

町を流れる「奥入瀬川」
南部鉄器
日本酒の蔵元 桃川㈱
南部杜氏の酒造り

おいらせ町の名は、町のシンボルである「奥入瀬川」に由来します。外国人観光客にも人気の観光スポット「十和田湖」を発し、古来より絶えることのない渓流から下る清冽な軟水が南部杜氏流の酒造りをもたらしたと言っても過言ではありません。この奥入瀬川を含めて地元に流れる数本の河川には八甲田山の万年雪が解け出し、豊かな天然水は60年間も地層をめぐり、伏流水として湧き出しています。そして、八甲田山の滋養を蓄えた水は、豊穣の海も町に恵んできました。

藩政時代からやませの影響による凶作にみまわれた地元では、年貢米の収穫が危機的状況で、天明3年(1783 )も大飢饉であったと記録されています。また、アワ・ヒエ・ソバなども収穫できない冷害は、昭和初期まで続いていたのです。一方で、過酷な農作業の回避策として発展したのが、漁労でした。栄養分豊かな百石漁港の沿岸では、ヒラメ、水ダコ、ホッキ貝といった絶品の海産物が獲れ、その美味しさは、南部の地酒と格別の相性です。

また、奥入瀬川や河口では、秋を迎えれば鮭漁が活況。多くの鮭が帰って来る川として、本州屈指の名流なのです。中流には人工孵化場が設けられ、毎年、親鮭約5万匹を捕獲し、翌年に稚魚約3500万匹を放流。遡上する魚影の濃さもさることながら、日本一を掲げる「鮭まつり」もおいらせ町のご自慢となっています。

奥入瀬川 渓流
雪深い八甲田山
地元の絶品魚介類
日本一のおいらせ鮭まつり

実は、おいらせ町には「日本一」を自負する名物・名所が、いくつか存在します。まずは樹齢1,100年以上と伝わる「根岸の大いちょう」、全国津々浦々に残る古木の中でも一頭地を抜く姿は、高さが32m、幹の周りは圧巻の16m。言い伝えによれば、平安時代にこの地を訪れた天台宗の名僧・慈覚大師が旅の休息に、このいちょうの幹にもたれたところ、持っていた杖から根が生えて、大木になったとか。聳えるいちょう公園は、町民の憩いのオアシスとなっています。そして公園内には、さらにユニークな「日本一の自由の女神像」が立っています。なにゆえ、みちのくの素朴な町に、自由の女神なのか。その理由は、おいらせ町が米国のニューヨークと同緯度にあるため。北緯40度40分の位置に由来して、4分の1スケール/高さ20.8mを誇ります。

日本一の根岸の大いちょう
町のオアシス・いちょう公園
日本一の自由の女神像

さらに日本一、力を入れていると評されるのが「将棋」への取り組み。おいらせ町と将棋の縁は、棋聖として名を馳せた、故・大山康晴十五世名人と地元住民の交流から約40年前に始まりました。将棋愛好家の町民が大山名人の指導と監修を受けながら、全国規模の将棋大会の開催や将棋道場を開くなど、普及発展に寄与。平成17年(2005)には、大山名人の貴重な資料と将棋に関する資料2000点以上を展示する「大山将棋記念館」を公設しています。また大山名人ゆかりの地として岡山県倉敷市と友好関係を結び、全国小学生倉敷王将戦への出場も果たし、「大山名人杯争奪将棋大会」をはじめ、さまざまな将棋大会を開催しています。粘り強く、考え抜き、あきらめずに戦う姿勢が肝心な将棋を、厳しい冬や農業に耐えてきたおいらせ町の人たちが得意とするのは頷けるところです。

全国将棋まつり
大山将棋記念館

真面目で一途なおいらせ町民を実感するのが、有職故実を継承する名祭「百石えんぶり」です。呼び名の百石(ももいし)とは、おいらせ町の旧町の一つである百石町に由来し、えんぶりとは、東北地方に広がった五穀豊穣の舞いです。金銀をほどこした烏帽子をかぶり、首を振りながら踊るさまは、勤勉な農家気質の表れでしょう。

そんなゆかしさと鄙びを漂わせる風土と暮らしの傍に寄り添ってきたのが、地の酒「桃川」です。全国新酒鑑評会34回受賞の栄光、日本最大の南部杜氏流の酒造りを先駆けてきた名門蔵元の魅力に、酔いしれてみましょう。

百石えんぶり
桃川 株式会社
銘酒 桃川