歴史背景

酔仙酒造株式会社

被災地と名所を訪ねて

被災地と名所を訪ねて

【奇跡の一本松】 復興のシンボルとして、そびえ立つ奇跡の一本松

酔仙酒造の元本社・工場があった場所からほど近い、陸前高田市気仙町の高田松原。震災前は、広田湾に面した海岸沿い一帯に、約7万本の松の木が生えていました。 陸前海岸国立公園に指定され(現在は三陸復興国立公園)、渚百選にも選定された「名勝 高田松原」。これらの松林は、江戸時代の菅野杢之助、松坂新右衛門が植栽したことが始まりと言われています。 青々と生い茂る白砂青松の景観は、地元人のみならず、多くの観光客からも愛され、観光名所としても有名でした。

ところが震災による津波によって、壊滅的な被害を受けます。松の木はほぼ流され全滅。そのなかで奇跡的にも一本の松が残っていたことから、その松を希望・復興のシンボルとして「奇跡の一本松」と呼び、保存することとなりました。

その木の保護活動は懸命に続けられたものの、海水の塩分で根が腐るなどして枯死。そのため、現在は募金によって行われた保存プロジェクトにより、幹を防腐処理し、枝葉の複製が付け替えられるなどしたものを、元あった場所に再び立てたものになります。

この地帯はいまだ被災の爪痕深く残る場所。周囲には建物はなく、ほぼ更地状態。急ピッチに行われる土地のかさ上げ作業風景が随所で垣間見え、またその際に使用する土砂を運ぶために作られた白いベルトコンベア専用吊り橋が立ち並びます。

かつての松林を描いた看板
奇跡の一本松正面。石碑に経緯が刻まれています
バス停「奇跡の一本松」駅
一本松と、陸前高田ユースホテル。倒壊した様子はそのままに
採掘した土砂を運ぶベルトコンベア

盛駅 【線路からバス専用道路へ】

大船渡市にある盛駅。酔仙酒造まで盛駅から車で5分ほどです。沿岸部からだいぶ内陸にあるものの、なんとこの辺りにまで津波による海水が流れてきたというから驚きです。 かつては、岩手県一関市の一ノ関駅から宮城県気仙沼市、岩手県陸前高田市を経由して、ここ岩手県大船渡市の盛駅を結ぶ、JR東日本の鉄道路線でした(JR大船渡線)。

ですが震災により線路は断絶、鉄道が不通に。その後同年の4月には一ノ関駅と気仙沼駅間の運転は再開。気仙沼駅から盛駅間は不通のままで、現在は、元線路だった場所をバス専用道路に変え、2013年の3月2日からBRT(バス高速輸送システム)が運行開始しています。 そのため、見た目は電車の発着駅所にも見えますが、中の待合室を通過し、駅フォームに立つと、目の前がコンクリートで舗装されたバス専用道路であることが分かります。また、奥の線路は、貨物専用です。

盛駅正面
フォーム前はバス専用道路
歩道橋の上から撮影右の線路は貨物専用
BRTバスが到着。1日に25、6本の運行本数

大船渡魚市場 【水産復興とともに新魚市場完成】

世界三大漁場の三陸沖やリアス海岸の入江に育まれる水産の街、大船渡。ここも、震災の被害が甚大だった場所の一つです。 震災前に、新しい計画・着手されていた魚市場施設の建設は震災により一時中止。その後、約1年後に再開され、平成26年3月に新しい大船渡市魚市場が完成しました。

白を基調にした建物は、海のブルーによく映え、1Fは水揚げされた魚が並び、セリや入札をする卸売場などが、2Fには、見学デッキや事務室が、3Fには、震災による大船渡水産業の被害・復興について知ることのできる展示室や新鮮な魚介を食べられるレストランがあります。

展示室では、震災についてだけでなく、漁業についてのあれこれを映像やジオラマなどを通して学べるゾーンもあるため、親子連れで楽しむことができます。

大船渡市魚市場、施設正面口
見学デッキ。目の前は海!
上のほうから見下ろした白い施設とブルーの海
展示室正面。空間も広々
展示室内。津波の高さを記したマップ
壁には復興を願う人々の寄せ書きなどが飾られている。
魚市場すぐ側にある仲卸店。一般客も魚を購入できる。

碁石海岸 【美しき海と自然の造形美を堪能】

大船渡市末崎半島の太平洋側に面した約6㎞の海岸線を碁石海岸と呼びます。約一億3000万年前に海に体積した泥が基で、地下深い所で固く黒い岩石となって隆起した、高さ30mの黒い岩々が見渡せる場所が、三陸復興国立公園ないにあります。

変化に富んだ海岸地形は、国の「名勝・天然記念物」に指定されているほか、「日本の渚・百選」にも。展望台までの道のりは、自然豊かな軽い散歩コースにも。

見晴台までの道のりは木々に囲まれている。
デッキで造設された見晴台は岸壁上に作られている。
見下ろす海は透明度の高くブルーのグラデーションがキレイ。