
蔵の全焼から見事復活。進化した酒造りで大躍進
小林家がこの地で酒造業を始めたのは、1650年。三代将軍・徳川家光の時代にまで遡ります。「酒は水しだい」という当主の考えのもと、酒造りに適した水を求めていくつも井戸を掘っていた、という記録が残っています。
創業から2年目の1652年、小林家の敷地内に加賀藩の参勤交代の糸魚川本陣が敷かれ、前田家三代目の前田利常公より、酒の銘柄に『加賀の井』の名を賜りました。
小林家にとっては誉れ高きできごとですが、十八代蔵元の小林大祐(こばやし・だいすけ)さん(以下、小林さん)は、「なぜ創業して間もない酒蔵に本陣が敷かれ、銘柄の命名までしていただいたのか……」、子どものころから不思議だったと言います。そこであるとき糸魚川市史を調べてみると、その謎を解く出来事を発見したのです。
加賀藩のお殿様に書状を届ける飛脚が、糸魚川で病気になってしまったことがあり、当時の小林家の当主が機転をきかせて他の飛脚を手配。そのおかげで無事お殿様に書状を届けることができた、というのです。その後、加賀藩から礼状が届き、しばらくやりとりが続いた、という記述も残っていました。
「そんなご縁があったことがわかり、いろいろ納得がいきました。酒蔵を本陣にすれば、お酒も簡単に調達できると考えたのかもしれないですしね」。その後加賀の井のお酒は、加賀藩の献上酒としても採用されました。
代々の当主が掘り続けた井戸から、納得のいく水がみつかったのは、1697年のこと。糸魚川は軟水も出る地域ですが、フォッサマグナで海底が隆起した場所では、石灰質の層があり、硬度の高い水も得やすい土地柄。当時の当主が探し当てたのは、中硬水の水でした。実際に酒造りに使ってみたところ、「酒母のゆるみよく、味のり上々吉、寒造りの使用可燃」と酒づくりに極めて優れた水であることが証明されたのです。
「硬度の高い水のほうが、発酵が進みやすいですからね。当時の醸造技術からすると、軟水よりは硬水のほうが造りやすいことを、当主たちも知っていたんでしょう」と、小林さん。この水脈は現在も引き継がれ、代々続く小林家の酒造りを支えてきました。
酒造りにとって大きな転機になったのは、2016年12月22日に発生した糸魚川大火です。フェーン現象を伴う強風にあおられて次々に飛び火。昼間の出火だったため幸い死者は出なかったものの、市街地の多くの建物が消失しました。加賀の井酒造の建物もほぼ全焼し、酒造りの存続に大きな影を落としたのです。
「できたばかりのお酒も、発酵中のもろみも、タンクが真っ黒になるほど焼けて、残っていませんでした。一部貯蔵してあった酒もありましたが、消火の時に水が入っている可能性があり、食品衛生上の観点から出荷は断念。建物もお酒もほぼ全てを失いました」(小林さん)
当時の火災後の報道写真を見ても、まるで戦後の焼け野原のような惨状で、当事者の蔵の方々は、絶望的な気持ちだったことでしょう。しかし小林さんは、父の小林幹男さんとともに再起を誓い、翌シーズンまでに新蔵を完成させ、糸魚川での酒造りを再開することを決意したのです。
「2016年シーズンは火事の前に完成して出荷したお酒がありましたから、2017年の酒造りのシーズン中に蔵が完成すれば、この地での酒造りを休まず継続できることになります。ですから、何としても次の酒造りのシーズンには間に合わせたい、と必死でした。設計士や建設会社の方々は、無茶ぶりで大変だったと思います」
短い工期の中でも、小林さんは妥協せず、火災前の蔵ではできなかったことや改善したかった点を設計士さんと話し合い、より質の高い酒造りのための蔵造りに邁進。希望どおり、2017年の酒造りシーズン中である2018年春に新蔵が完成したのです。
こだわったのは、一つが洗米から蒸米までの原料処理を徹底したいということ。そのための設備を整え、少ない人数でも対応できるよう動線も工夫しました。画期的だったのは、1階で蒸したお米をクレーンで持ち上げ、2階の放冷機に移動させるシステムです。蒸し器の中の米をスコップで掘って人力で何度も運ぶよりもはるかに手間が省け、人手も少なくて済みます。
クレーンで持ち上げた蒸米は放冷機に移しますが、このとき使うのは、大小のしゃもじ。しゃもじを使う蔵は初めて見たので尋ねてみると、「最初は手袋をして手でやっていたんですが、蒸したばかりの米は熱いし、手袋は穴が開きやすい。それで、作業しながらみんなで話しているうちに、『給食センターなどで使っている大きなしゃもじがいいんじゃない?』という話に。使ってみたら使い勝手がよくて、大小そろえて使い分けています」と、スタッフ同士で、より作業効率のよい方法を模索し実践。自由に意見を出し合える風通しのよい蔵の雰囲気が伝わるエピソードです。
小林さんが新蔵でもう一つこだわったのが、麹室です。「以前の麹室は、湿度や温度管理が難しかったので、管理しやすい室が希望でした。そのため、いろいろな蔵へ見学に行って皆さんの意見をうかがいました」。その結果、3室とそこを行き来するための前室付きの麹室を完成させたのです。3つの室の壁は開閉式で、麹作りのために引き込んだ蒸し米を、横の部屋にスライドさせながら湿度と温度の管理をすることができ、効率よく質のよい麹作りができるようになりました。
そうして、新蔵の誕生で再スタートをきった加賀の井酒造。酒造りの環境が大きく変化したことで、酒質にはどんな影響があったのでしょうか。
「造り手と水、原料は同じですが、環境が変わったことで目指す酒質が造りやすくなり、造れるお酒の引き出しが増えました。以前はムラがあった味が安定し、綺麗なお酒を造れるようになったことは驚きでした」と小林さん。造りたいお酒を造れるようになったからこそ、これからどういうお酒を造っていこうか、考えるきっかけになったといいます。
「以前は、骨太なお酒という印象でしたが、せっかく造れるお酒の幅が広がったのですから、以前と同じタイプを造るのはもったいない。これまでの酒質をさらにブラッシュアップして、新たな加賀の井のお酒を造っていこうと考えました。そのために何ができるか、醸造責任者の父とともに、日々模索しながらよりおいしいお酒造りに誠心誠意取り組んでいます」
蔵が全焼という最大のピンチから見事な復活を経て、新しい蔵で醸す酒は、洗練されたモダンな味わいへと進化。イギリスのIWCや、フランスのKuraMasterなど、世界的なお酒のコンペティションでもさまざまな賞を受賞し、世界も認めるSAKEへと成長を遂げています。
